普天間基地の辺野古移設問題が焦点となっている重大な時期に、沖縄で開かれている『
わたしは国際人権NGOである反差別国際運動日本委員会(IMADR―JC)に理事長として関わっています。反差別国際運動は、世界からあらゆる差別と人種主義をなくすことをめざして、国連人権理事会のさまざまな案件について協議し国連機関へのはたらきかけをおこなっています。
日本も署名し締約国となっている生物多様性条約(1992年採択)があります。日本は生物多様性条約締約国であるため、条約の枠内での行動が義務づけられています。
さまざまな環境をアセスメント(評価)するときに、外から来た環境の専門家といわれる人たちの評価を信用することはできません。彼らは環境についての専門家ではあっても、地域の実態についてよく知っているわけではありません。そのような人たちの評価を信用することはできないというのは当然のことです。
それぞれの地域に住んでいる方々の意見、とりわけ女性の意見を深く率直に聞いたうえで、アセスメントにくわえなければいけないのです。しかし国連人種差別撤廃委員会から日本政府は辺野古地元住民の意見をまったく聞いていないと指摘され、質問が提起されたのでした。
沖縄の人々にとって、普天間基地移設予定地となっている辺野古は、生活のなかで神聖な場所として存在してきました。沖縄の人々の気持ちや伝統を無視して、神聖な場所である辺野古に米軍基地をつくり、軍事的な活動をすることは許されません。沖縄(琉球)の人々の伝統的な信条、信仰を無視して、勝手に外から基地の移設を決定することは許されないと明確にうちだしているのです。
本日のチュチェ思想全国セミナーは、『
わたしはこれまで国連大学副学長として5回、その役職を辞めた後、1990年代から6回、計11回訪朝しています。
わたしは訪朝するたびにチュチェ思想について朝鮮社会科学者協会の先生方と議論してきました。
1982年に日本労働組合総評議会(総評)事務局長であった岩井章氏が組織された訪朝団には大学の教員が何人かはいっており、わたしもそのなかの1人として訪朝しました。
そのときにチュチェ思想についていろいろと質問し議論をおこない、わたしはチュチェ思想の提起している自己決定権は絶対必要なものである。人民は自分のことについて自分で決定する権利があり役割があるという見解については賛成である≠ニ述べました。
朝鮮という国家と日本という国家はまったく異なる国です。
朝鮮は徹底した反植民地主義、反帝国主義の国です。それにたいして日本は、口では植民地主義はよくないと言ってはいても、結局植民地主義を中心にした考え方、政策をとっている国なのです。
朝鮮は世界で唯一アメリカ帝国主義と異なる立場に立って対峙している国です。以前は社会主義建設をおこなっていたロシアや中国も、1990年代にはいる頃には、資本主義市場経済を導入し、こんにちでは実際に社会主義の道をすすんでいない状況もあります。
そのような政治的環境のなか、朝鮮は指導者を中心に人民が団結して、国や民族の自主を守っていく必要性があったということは理解できることです。
『
この著作には日本の学者などが読むと多少違和感を感じるような表現も見うけられますが、「主体的方法論の具現や理論と革命実践の結合、歴史主義原則の堅持、これはチュチェ思想にもとづく社会科学発展のもっとも正しい道」であるといった内容は、まったく正しいことであり重要な指摘であると思います。
また、こんにち社会が発展する過程で、社会科学研究の分野が多様になり、新しい方法が適用されるにつれて応用科学、境界科学などが新たに開拓されている、社会科学の研究分野や部門科学がけっして固定不変のものとはなりえず、社会科学部門では当面して、応用社会学をはじめ、朝鮮の革命実践に必要な分野を朝鮮式に改革するための科学研究事業を積極的に展開しなければならないといった重要な指摘もあります。
もちろん
これから「日本の自主と東アジアの平和」というテーマでお話させていただきます。
わたしが述べたいことの第一点は、朝鮮と日本における自主と平和の関係です。
まずこのことに関連して、つぎの点を大事なこととして確認しておきます。
いま沖縄では普天間米軍基地の辺野古への移設問題があり、世界に目をむけると中東やアフリカなどで政情が不安定になっているなど、さまざまな問題があります。
これらの問題の元にあるのは、覇権主義、植民地主義、新植民地主義です。とりわけ国内植民地主義も含めて植民地主義の問題がもっとも深刻なこととしてあります。
植民地主義の問題には、搾取や資源収奪の問題などさまざまあります。そのなかでももっとも根本的で深刻な植民地主義の問題は、平和に暮らすこととは何なのか、それをどのようにすれば実現できるのかといったことを、外からおしつけることです。
そのことについて、日本と朝鮮とをくらべたいと思います。
日本列島の一部である沖縄諸島などの島々を琉球弧と呼ぶことがあります。わたしはそれと同じように、沖縄弧ではない北海道から9州までの日本列島の部分を「大和弧」と呼んでよいのではないかと考えています。
そのように考えたときに、日本列島の片方の琉球弧に、日本にある米軍基地の約75%が集中していることは、人間の安全という立場から許されないことです。
また自主ということで考えると、日本列島の2つの部分のうち、自主のためにみんなが1丸となってたたかっているのが琉球弧(沖縄)です。それにたいして、一部の人たちは自主が大事だとしてたたかってはいても、安倍晋3首相のようにアメリカに従属するなど、自主的でない人が多くいるのが「大和弧」だと考えられます。
一方、朝鮮半島に目をむけると、朝鮮民主主義人民共和国においては人民と指導者が一体となって、自主独立を守ろうとたたかっています。それにたいして、韓国の方はかならずしもそうではなく、膨大な米軍基地が存在し、「大和弧」と同じようにアメリカに従属している状況があります。しかし、自主、民主、平和のためにたたかう人たちは、韓国の方が「大和弧」よりは多くいるのではないかと思います。残念なことに金大中政権、盧武鉉政権のあとは、アメリカに従属する自主的でない勢力が強くなっています。
日本列島や朝鮮半島を見ると、自主のために一生懸命たたかっている琉球弧と朝鮮民主主義人民共和国があり、逆に、アメリカに従属している「大和弧」と韓国があります。日本と朝鮮との連帯、協力について考えるときには、自主を中心にしてとらえていくことが重要です。朝鮮と琉球弧を中心とした協力関係をうち立てることがもっともむずかしく、もっとも重要であるといえます。
こんにち自主にもとづく協力関係を東アジアや世界においてきずいていくべき時代になっています。
わたしが述べたい第2点は、「自主」と日本国憲法前文の平和的生存権とは関係があるということです。
日本国憲法前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と記されています。
日本国憲法前文でうたわれている平和的生存権は、自主を大事にすることをうちだしています。
平和的生存権というのは平和的に生存する権利です。これはふつう平和主義と解釈されています。平和に暮らすのだから平和主義にはちがいありませんが、平和的生存権はほんとうは平和主義と同義ではないのです。
日本は日本国憲法ができるまで、朝鮮や中国をはじめ周辺諸国にたいして植民地侵略をつぎつぎに強行しました。最初は琉球王国の併合から始まり、韓国(朝鮮)を併合し中国に満州傀儡帝国をつくるなどしながら植民地侵略の魔手をのばしていったのです。
植民地侵略のはじまりは、さらにアイヌモシリ(北海道)など広い範囲に住んでいたアイヌ民族の植民地化までさかのぼることができます。
日本は早い時期から琉球王国を強制的に日本に併合したという歴史的事実があります。
沖縄やその歴史について、沖縄の人々のなかにもさまざまな立場、意見があるのも事実です。しかし客観的な立場から見るならば、日本による琉球王国の併合とアメリカによるハワイ王国の併合は、太平洋にあった2つの文明を大きな権力が併合したということであり、それにより独自の文明を破壊してしまったといえます。
日本国憲法前文の平和的生存権に関する文言は、日本がこれまでおこなってきた植民地主義、植民地支配について反省している内容となっています。それはまた日本のみならずイギリスやフランス、オランダ、アメリカなどのおこなってきた植民地主義に反対する立場を明確にうちだしていることにもなります。
これらの国々は、平和に生存している人たちのところに外から土足でふみこみ、おまえたちの文明は水準が低い、自分たちの文明の方が水準が高いといって自国の文明、価値観をおしつけていきました。これが植民地主義の考え方です。
日本国憲法は植民地主義に反対する第一の憲法です。植民地主義に明確に反対する憲法をもっている国はそれほど多くありません。
わたしたちが自主や自己決定権を大事にするのであれば、すべての国の人々や民族が平和に生きる権利、自分で決めた平和な状態のなかで生きつづける権利を認め擁護しなければならないのです。
そのことを日本の国家、政府、国民みんなが認識していかなければなりません。そのために日本の人々みんなが懺悔する必要があると思います。
哲学者である田辺元(1885?1962)が『懺悔道としての哲学』(岩波書店)という本を書いています。わたしは長いあいだ田辺元の政治的立場からこの本を読むのを敬遠していましたが、最近手にして読み多くの大事なことが書いてあることがわかりました。
ご存じのように、東久邇宮稔彦内閣は、敗戦直後、「1億総懺悔」をしなければならないと言いました。本来、戦争責任があるのは天皇や東條英機などの戦争をおしすすめた者たちです。にもかかわらず、日本国民みんなが「総懺悔」しなければならないというのは、責任の所在をあいまいにし、ほんとうに戦争責任がある者たちが戦争責任を追及されないようにする欺瞞的な考え方です。
しかしだからといって、日本国民1人ひとりが他国を侵略し植民地支配をおこない莫大な被害を与えたことについて、まったく懺悔しなくてもよいというわけではないと思います。
田辺元が「総懺悔」を考えだした背景には、学徒出陣で学生たちを送りだしたことにたいする懺悔の気持ち、無力感があったからだと言っています。
自分たちがいままでおこなっていた過去のあやまちについて悪かったと率直に認めていくことは大事なことです。その反省があってこそ反植民地主義、反帝国主義の国に日本をかえていこうとします。そのような日本になるならば、朝鮮や中国とも協調関係をきずくことができ、韓国とも独島(竹島)の問題で対立する必要もなくなります。
平和的生存権は大事なことであり、それにもとづいて自主について考えることができるのです。
安倍晋3首相は、日本が朝鮮や中国など周辺国にたいして植民地支配してきたとけっして認めません。逆に、明治以来日本がすすんできた道のりは基本的に正しかったとしており、堂々と外にむかってそのことを主張すれば日本は尊敬されるだろうというのです。しかし、実際は安倍首相がそのような言動をすればするほど、日本は世界の人々から批判され軽蔑されるのです。
日本が過去の植民地支配の歴史を素直に反省すれば、中国や朝鮮、韓国、フィリピン、インドネシア、マレーシアなどとよい関係をきずくことができ、いま問題となっている従軍慰安婦問題などもすぐに解決できます。
こんにち日本列島の2つの弧のうちの琉球弧に、二重の意味で植民地主義の重圧がのしかかっています。すなわち日本国家の植民地主義とアメリカ国家の植民地主義です。日本国家はアメリカ国家の植民地であるという側面があるため、単純な構造ではありませんが、沖縄に過重な負担がかかっていることは明白なことです。
このことをきちんと理解するためには、植民地主義がどれだけ悪辣なものであるのかを認識しなければなりません。その認識があれば、みんなが平和に暮らす方向でさまざまな問題をとらえ解決しようとするでしょう。
つぎに中国について考えたいと思います。
わたしは中国の「自主」の考え方についてかつては尊敬の念をもっていました。いまは少し尊敬しすぎたと反省しています。
2004年にサッカー・アジアカップが重慶であり、日本と中国のサッカーの試合がおこなわれたとき、中国の人々の反日感情があらわとなり、翌年2005年の大規模な反日デモへと発展していきました。
本来、政治と関係のないサッカーの試合に関連して、54運動以来の日本帝国主義にたいする反対の態度を中国の人々が示したことをわたしは喜んでいました。
知人にわたしの意見を話すと、みんなからはそれは喜ぶべきことではないと言われ残念に思いました。
わたしが国連大学副学長をしているとき、中国の社会科学院の人たちと話をする機会がありました。
中国哲学院の賀麟院長は54運動がおこったときに学生であったが、ドイツの哲学者であったフィヒテ(1762?1814)の「ドイツ国民に告ぐ」をもとにして、「中国国民に告ぐ」を発表したということでした。フィヒテがナポレオンに蹂躙されているドイツ国民を励ましたのと同様に、日本帝国主義に蹂躙されている中国国民を励まそうという思いからでした。
マルクス主義だけが中国の哲学ではなく、中国の学者の口からフィヒテがでてきて興味深く感じました。
最近「ドイツ国民に告ぐ」を読み返してみましたが、少し残念に思いました。フィヒテの言っていることと、安倍首相がいま発言していることが似ているからです。たとえばフィヒテはドイツが美しい国であると言い、安倍首相は日本が美しい国だと喜んでいるのです。
反植民地主義の立場でフィヒテを引用すればよいのですが、フィヒテの言っていることはすべて正しいということになれば、右翼の立場を擁護することにもなりかねません。
わたしが国連大学にいるとき、いろいろ助言をいただいた人類学の先生が、「中国は漢民族だけの国ではない。中華民族である」と言っていました。中華民族という概念をもって多様なアイデンティティ、多様性を大事にするとしているのです。漢民族と少数民族みんなが平等であるという中華民族の考え方は、中国において正式に採用されています。
中華民族という内容が、いまの中国において実際に実行されているのかということについては疑問があります。ウイグル民族の問題など中国において未解決の民族問題は多くあります。
中国社会科学院副院長であった李慎之先生は、国際問題、国内問題を解決するためにも、1648年ウェストファリア条約締約時に生まれてきた国家を単位にするというヨーロッパ型の考え方はやめて、中華秩序、中国を中心とした秩序(天下)をもって考えることがよいと主張しました。
中華秩序の考え方では、台湾は中国の一部なのか、中国と異なるのかといった議論は意味がなく、たがいに区別はせず領域国家の考え方をすることになります。
日本列島のなかでは、琉球弧は礼を守る首里の国として公に中国では認められていた文明国です。それにたいして「大和弧」は朝貢をしなかったので文明国ではないとされていました。そのような歴史の流れのなかで、琉球弧と「大和弧」の関係をもう1度考えなおすことは大事です。
朝鮮において自主が主張される内容の一つには、かつて社会主義大国であったソ連や中国にたいして、自主決定権の堅持を主張することが重要であったという事実がありました。朝鮮には、中国が中華民族としてピラミッドの中心であるという考え方を拒否する思想があります。直接の植民地支配ではなくても、どちらかの文明が上という考え方があるとさまざまな問題が生じます。
かつて中国の周恩来首相とインドのネール首相が会談をおこない、中国とインドのあいだで平和5原則を立てました。そのときの原則がもとになって、1955年にインドネシアでアジア・アフリカ29か国が集い、バンドン会議が開かれました。その平和5原則のなかに「平等互恵」「平和共存」の原則がありました。バンドン会議の精神はその後非同盟運動にひきつがれていきました。
かつて中国の秩序とインドの秩序のそれぞれの中心には皇帝が存在し、ピラミッド型になっていました。インドのまわりにはネパールやスリランカなどの国があり下に見られていました。その考え方を否定して、インドはネパールやスリランカと同じ国であるとして、「平等互恵」「平和共存」の原則をうちだしました。これらの原則はたがいに異なる考え方をもっていても、平等で平和共存していく、仲よく暮らしていくということを示しています。
先住民族の発言権が強い中央アメリカ、カリブ海諸国などラテンアメリカ諸国で、自主性を大事にする動きがおこっています。
自主性を大事にする動きとして、先住民族の立場で「母なる大地、母なる地球を大事にしましょう」「人民を大事にしましょう」という考え方が強くうちだされています。
2015年は、バンドン・アジア・アフリカ連帯会議プラス60年の年です。東アジアは、この記念の年にラテンアメリカとカリブ海の「自主」への動きと連帯すべきです。ラテンアメリカとカリブ海の「自主」への動きは、先住民族と市民と国家の混成する多文化的、多民族的な連合主義にもとづいています。
ラテンアメリカの「自主」への動きと同様、ウェストファリア国家の閉鎖性をのりこえた、「自主」勢力の連帯を東アジアでも実現する必要があります。
「自主」にもとづいた枠組みのなかで、再度日本と朝鮮、中国の関係を見直す必要があるのではないでしょうか。
そのときに国家を大事にするということが重要な問題として提起されます。
朝鮮は国家を大事にし前面にうちだしていかないと、アメリカにつぶされてしまいます。それゆえ朝鮮が国家を中心にして考えることは当然のこととしてあります。
それにたいして日本が国家を中心にして考えると、国家としてアメリカに従属してしまうことになり、アメリカの思うつぼになってしまいます。日本の場合は国家を相対化していく必要があるのです。
朝鮮ではチュチェ思想の考えにもとづいて、
自主性は国の自主だけをいうのではありません。ローカルな環境のなかでローカルの固有な伝統や特性を生かすという多様な自主性が大事にされています。人民が社会の主人であるというチュチェ思想の考え方は、国家だけではなくローカルなところでも、人民があらゆることに主人として参加してみずから決めてつくっていくということなのです。
国家として大きな中国にくらべて小さい日本のなかでも、「大和弧」と琉球弧がいっしょにローカルを大事にして「平等互恵」「平和共存」を実現すれば、大きい、小さいは問題ではなくなってきます。
国家を単位にものごとを考えるという西欧流のやり方により、世界や地域で紛争が生じているため、そのような考え方をやめることが必要となっています。しかし植民地主義、帝国主義が厳然とあり、それとたたかううえでは、国家は大事なものとなります。その両方をどのように結びつけるのかということについて、『
『
わたしたちは地のほうに目をむけ研究しても、目を世界にむけない傾向があります。朝鮮においては、地に足をつけて帝国主義の包囲網のなかで生きつづけるという朝鮮のおかれている現実を直視する一方、目は世界にむけているのです。
わたしたち日本人にとっても、多くの示唆に富む『