【座談会】
沖縄の基地問題と自主のたたかい

[発言者]
  佐久川政一(沖縄大学名誉教授)
  高良有政(沖縄大学教授)
  島袋宗康(沖縄社会大衆党顧問)
[司会]
  森田和茂(沖縄チュチェ思想研究連絡会事務局長)

司会)きょうは、非米自主とベネズエラの集いと題して会を開かせて頂きました。
 佐久川政一先生と高良有政先生に報告して頂き、その後、討論していきたいと思います。
 高良先生が2005年9月下旬から10月上旬にかけて南米のベネズエラを訪れ、チュチェ思想世界大会に参加されましたので、はじめにその報告をして頂きたいと思います。

 
21世紀のビジョンを提供する国づくり

高良)9月28日に日本を出発して、ハリケーン・カトリーナの影響を直接受けたアメリカ・テキサス州のヒューストン経由で、ベネズエラの首都カラカスに行き、 5日間滞在して帰ってきました。カラカスでは、21世紀の反帝自主偉業に関する世界大会に参加しました。
 ベネズエラでは東日本国際大学学長の鎌倉孝夫先生と行動を共にしました。
 30年程前、沖縄復帰直後に鎌倉先生が総評の講師団で沖縄に来られたとき、鎌倉先生と私と大田昌秀氏の3名で沖縄中を講演して回ったことがあります。そのとき鎌倉先生はチュチェ思想を研究されていませんでしたが、久しぶりにお会いしたところ、鎌倉先生はチュチェ思想をずっと研究されていることが分かりました。チュチェ思想研究において、私と鎌倉先生とは出発点は異なっていましたが、共通する目標をもっていたのだと思いました。
 ベネズエラの新聞に21世紀の反帝自主偉業に関する世界大会の概要が掲載されました。
 私が中南米に関心をもちベネズエラでのチュチェ思想世界大会に参加するきっかけになったのは、2004年にベネズエラ解放者実践教育大学のオマール・ロペス教授を沖縄にお招きして研究会を開き交流したことです。その後、オマール・ロペス教授からベネズエラで開催されるチュチェ思想世界大会の招請状を頂きました。
 ベネズエラに到着すると、オマール・ロペス教授が空港まで出迎えてくれました。そのときオマール・ロペス教授が最初に叫んだのは、佐久川先生は元気か?ということでした。オマール・ロペス教授はなかなか親しみやすい先生で、今回の世界大会実行委員長をされていました。
 中南米はラテン文化圏に属していますが、沖縄と多くの共通点をもっていることにびっくりし、ベネズエラに行って良かったと思っています。中南米のラテン文化でとりわけ関心があるのは、キューバとベネズエラです。キューバには2年前、沖縄大学教授の仲村芳信先生と佐久川先生と私の3名で訪問したことがあります。今回は二回目の中南米訪問となりました。
 最近、沖縄も世界で関心がもたれるようになってきています。2005年3月に北欧のノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマークに行き、仲村芳信先生のガイドのもとで、大学なども訪問し、大学の先生方と討論しました。ノルウェーの大学には、2004年夏に沖縄に行ったことがあるという先生がいて驚きました。その先生は沖縄の琉球舞踊など伝統芸能を勉強するために沖縄を訪れたとのことでした。もう一人の先生は、日本国憲法9条の研究をしていると言っていました。

 
沖縄とラテンアメリカの文化の共通性

 ラテンアメリカの特徴として、一つは、広大な大地、熱帯から温帯までの多様な自然環境、豊富な天然資源、恵まれた大陸棚があることです。
 二つは、植民地的な経験や人種が混合しているなかでつくられたクレオール文化があることです。
ラテンアメリカには、何か惹かれるものがあります。それは、ラテンアメリカの文化が沖縄のチャンプルー文化と共通性があるからだと思います。
 15世紀にコロンブスがアメリカ大陸を発見して以降、中南米はスペインやポルトガルの植民地にされ、その植民地のなかで文化が培われたという歴史があります。クレオールとは新大陸で生まれたスペイン系の人々を指しています。沖縄のチャンプルーとは、混ぜるという意味があり、混ぜこぜ、いっしょくたにするというときに使います。ベネズエラもキューバもスパニッシュと現地人との混血が圧倒的に多いのです。人種的にも文化的にも言語においてもチャンプルーが強められています。
 三つは、サルサやタンゴのようなラテンミュージックにみられるように、陽気で楽天的な癒し系文化が発展していることです。
 このような文化は21世紀を先取りする文化ではないかと思います。
 沖縄も日本のなかではもっとも癒し系のチャンプルー文化が発展しており、また沖縄の健康長寿食品は人気があり、沖縄に多くの方々が移住してきます。沖縄はそういう点でもラテンアメリカと共通しています。
 四つは、ノンビリズム、ユックリズムの超近代合理主義的な文化が徹底しているということです。
 例えば、ベネズエラの世界大会には44ヶ国から数百名の代表が参加され、ベネズエラ政府の外務次官の方も報告されましたが、朝9時開会の予定で、9時前に会場に行くと、各国代表も9時前に集まっていましたが、9時になっても始まらないのです。ようやく10時過ぎになって始まりました。世界のトップレベルの人々が集まる国際的な集まりで、そういう経験をしたことはありませんでした。しかしベネズエラの先生方は、いっこうに気にする様子がありませんでした。これは南国の特徴ではないかと感じました。
 地中海にマルタ共和国という島国があります。昔、イギリスの植民地でしたが1965年に独立して、2005年5月にEUに加盟しました。マルタの人々は、英語を話すイタリア人とも言われていますが、ラテン系で実に時間を気にしません。一時間どころか一週間も予定がずれることがあるということです。
 南国の方にはノンビリズム、ユックリズムという超近代合理主義的な生活文化があります。ベネズエラでも一時間以上遅れるのは驚くに値しないということでした。
 生活リズムがゆっくりしていることについて、私は一つの仮説をもっていました。それは、交通体系と関連があるのではないかということです。交通機関がスムーズに運行されるようになれば、時間にルーズな習慣はなくなっていくのではないかと思います。
 沖縄でも最近はモノレールができて、沖縄タイムがだんだん滅びていくような感じがあります。実はヤマトにも、宮崎県の日向には日向タイムが、四国の松山にも松山タイムがあり、30分くらい遅れるものですが、それもだんだんとなくなってきているようです。それを調べてみると、電車が開通し、交通手段がスピーディーになってなくなったということです。
 ベネズエラ・タイムも交通システムの影響ではないかと思ったのですが、私の予想は見事にはずれました。カラカスには日本の地下鉄のように大きな素晴らしい地下二重構造の地下鉄が走っており、しかも高速なのです。
 時間厳守は、近代社会が発展する過程で、合理主義精神が発揚され、工業生産に表れるようになったのではないかと思います。産業革命の後、工場がオートメーション化され、1分1秒の時間を監視するようになりました。時間厳守は合理的な工場生産が人々の生活に浸透した結果もたらされたものであり、近代合理主義の所産だと私は考えています。最近は近代合理主義も壁に直面し、制度疲労を起こしています。
 近代合理主義の精神は、一つは経済合理主義、物質主義です。物事をすべて合理的に、経済的に、そして物質に還元して考え、経済成長や所得などを量的に数値的に把握していこうというものです。二つは進歩主義、成長至上主義です。常に上昇し前進し増大する方向をめざすということです。三つは巨大志向型、エントロピー増大型です。常に大きいことは良いことだとすることです。
 ソ連の社会主義は、近代合理主義の精神にもとづいて建設されていきました。ソ連は、物質主義や経済合理主義、進歩主義、巨大志向の上に乗ってしまったために社会主義が崩壊したと私は見ています。
 それにたいしてラテンアメリカは、経済合理主義に代わって文化主義、進歩主義に対して伝統主義、巨大志向型に対して中間志向型というような近代合理主義を超える超近代合理主義的な方向に向かっているように感じます。
 これは、私がキューバに行ったときに気づいたことです。
 ラテンアメリカの人々は、ラテン・ミュージックとかラテン・ダンスとか、時間さえあれば、歌って踊ってエンジョイします。ベネズエラでも世界大会が終わる頃、楽団が会場に来て演奏を始めると、みんながサルサを踊りだしました。公的な、世界大会の会場で、突然、みんなが踊りだしたので驚きました。私たちの文化とは全然違う感じがしました。ラテンアメリカでは伝統音楽などの伝統文化を大事にしており、とくにダンスを重要視しています。
 人間の生活は発展するにしたがって、その目的が変わっていきます。第一段階においては、みな経済的な特権を求めて活動します。カネを稼いで豊かになろうとします。ある程度、経済的な特権が満たされると、第二段階においては、政治的な特権を求めて人間は活動するようになります。そして議員や市長、大臣などの政治家になりたいと願うものです。経済的な特権や政治的な特権をエンジョイすると、第三段階では、伝統的な芸術、文化、科学技術や宗教哲学といった方面で人間は活動するようになります。
 ノーベル賞を受賞した世界的に著名な小説家であるドイツのトーマス・マンが、「ブッデンブローグ家の人々」という小説を書いています。その小説は、一代目は経済的な富、特権を求め、二代目はそれをもとにして政治的な特権を求めて議員や市長になり、三代目は芸術・文化や進歩哲学といった方面に向かったというストーリーになっています。
 人間の第一段階の要求は、経済的な要求であり、経済成長や経済合理主義を徹底していくことですが、人間が発展して最高段階の水準になると、芸術や文化的要求を実現しようとします。
 そのような意味で、ラテンアメリカは第三世界ですが、既に第一段階を過ぎて第三段階に到達していると感じました。ラテンアメリカは先進文化圏なのです。
 21世紀のビジョンをラテンアメリカが呈示していると感じています。それには社会主義のビジョンも含んでいます。ソ連社会主義はすでに崩壊し、中国やベトナムにおいては社会主義市場経済ではなく市場主義の社会主義を進んでいます。これらとラテンアメリカがめざしている社会主義はまったく違います。
 キューバはまさに超近代合理主義的な社会主義の方向に進んでいます。吉田太郎氏(東京都産業労働局農林水産部農業振興課主任)がキューバを頻繁に訪れて農業の状況などをまとめた報告書を出版しています(『有機農業が国を変えた―小さなキューバの大きな実験』コモンズ刊、『200万都市が有機野菜で自給できるわけ―都市農業大国キューバ・リポート』築地書館刊など)。1100万のキューバ人民が反グローバリズムを掲げ、経済的には自給自立の道を進んでいます。キューバは小さな国ですが、21世紀の社会主義を展望することができます。
キューバともっとも連携を強めているのがベネズエラです。ベネズエラはキューバの最大の貿易相手国になっています。キューバは、石油をソ連崩壊以前にはソ連から年間1300万トン輸入していましたが、ソ連崩壊以後はソ連から輸入できなくなりベネズエラから輸入しています。
 キューバは、21世紀の持続可能な循環型の社会主義志向を政策的に展開しています。経済学用語でいえば、一つは内部自給型産業構造の編成体系であり、これは朝鮮とも共通する政策です。二つは有機農法、自然エネルギー志向の循環型社会経済システムです。たとえば農村では豚舎の糞を活用したメタンガスをエネルギーに利用するような方法です。キューバは半世紀近くにわたって反グローバリズム、反アメリカン・スタンダードの道を歩んできました。
 キューバのカストロ首相は、もともとは親米派でした。カストロは1948年に結婚して、新婚旅行でニューヨークに行き3ヶ月間滞在しているのです。
 キューバのバティスタ政権がアメリカの従属下で独裁政治をおこない国民が貧困にあえぐなか、ハバナ大学の学生自治会長をしていたカストロは同志と一緒になって反独裁運動を展開し、59年1月にキューバ革命を成功させました。カストロは同年5月、アメリカと提携しようとしてワシントンを訪問しました。しかし当時のアイゼンハワー大統領はカストロと会見せず、ニクソン副大統領が会いました。カストロは軽く見られ、しかもカストロが乗ってきた飛行機がアメリカに差し押さえられました。キューバは当時、アメリカに約120億ドルの債務があったのです。カストロは帰国する飛行機がなくなり、国家元首として侮辱的な待遇を受けました。それ以来、カストロ首相は反米主義者になったのです。
 カストロははじめから反米主義者であったわけではありませんし、ラジカルな路線を歩んでいたわけでもありませんでした。
 キューバは革命後46年経ちますが、現在の経済状況はどうでしょうか。
 国連は世界各国の発展段階をHDI(人間開発指数)という指標を用いてチェックし、毎年、人間開発指数報告書を出しています。HDIは、一つは所得水準、二つは平均寿命、三つは識字率で表されます。
 その報告書によれば、キューバは2002年において、一人あたり所得水準が2445ドル、平均寿命は男が72.9歳、女性が76.9歳、識字率は96%となっています。中国の一人あたり所得水準が現在1000ドルレベルですから、中国と比較すると2倍以上の水準になっています。地球上に65億の人間が住んでいますが、地球全体で年間、生産している所得が33兆ドルです。33兆ドルを65億で割ると約5000ドルが世界の一人あたり平均所得になります。アフリカのスーダンやエチオピアは数百ドルですから、平均水準の十分の一くらいです。ちなみに日本は3万ドル、アメリカは35000ドルとなっています。

 
自主・自立の道を進むベネズエラ

 ベネズエラは資源が豊富で世界第五位の産油国です。
 いま石油が高騰して、産油国はかなり好景気になっています。ベネズエラで使われている言葉はスペイン語であり、英語は通用しません。ところがヒルトンホテルのなかにはスペイン語だけではなく日本語の「こちらはレストランです」という案内板がありました。こんなところにも日本人の商社マンがたくさん来ているのかとびっくりしました。日本の商社マンは鶏のえさからミサイルに至るまで、全世界で商売をしているのです。
 ウーゴ・チャベス氏は、元は陸軍中佐でしたが、1998年の大統領選挙で当選し大統領に就任しました。
 チャベス大統領は思い切った直接民主型の政治を展開し、キューバのカストロ政権と連携して、自主・自立・自衛路線を進めています。
 世界大会にもわざわざ外務次官が参加して祝辞を述べたように、国家をあげてチュチェ思想を研究していく方向性を示しています。日本の場合、来賓祝辞は普通四、五分ですが、中南米では一時間くらいおこないます。これもラテンアメリカの特徴であり、カストロ首相も調子の良い時には六、七時間も演説することがあります。わたしたちの常識では考えられないことですが、ラテンアメリカでは常識なのです。
 ベネズエラは、人口が2617万人(2002年段階)、面積が91.2万kuで日本の約2.5倍です。一人あたり所得水準は4080ドル、キューバの約2倍で、平均寿命は男性68歳、女性71歳です。識字率は93.1%で教育水準はかなり高いことが分かります。
 キューバとベネズエラは中南米の希望であるだけでなく、世界の21世紀のビジョンを提供してくれるモデルだといえます。
 是非一度はラテンアメリカ、キューバやベネズエラに行き、21世紀の未来展望、そしてラテンアメリカの癒し系文化、沖縄のチャンプルー文化と共通するような中南米のクレオール文化をエンジョイして頂きたいと思います。
 中国やベトナムが社会主義とはいっても事実上、資本主義の道を突っ走っている一方で、ラテンアメリカではピュアーな21世紀の社会主義を展望して、地道に実践して成果をあげてきていることが、現地に行き、よく分かりました。またラテンアメリカにおいても自主・自立・自衛のチュチェ思想を学び良いところを自国に適用しようとしていることを知り感銘を受けたというのが、私の報告の結論です。

沖縄県民の思いをくみとり基地問題の解決を

佐久川)きょう沖教組、高教組の教研集会が沖縄市の市民会館でおこなわれ、参加してきました。そこでの挨拶で、私は二つのことを提起しました。一つは憲法改悪の動き、もう一つは教育基本法の改悪が作業段階に入ることです。
 小泉政権が2005年9月の総選挙(第44回衆議院議員選挙)で地滑り的圧勝をもたらしたことで、私は日本の行く末にたいへん不安を覚えています。10月の特別国会では、8月の国会で廃案になった郵政民営化関連法を再提案し、いともたやすく可決成立させました。前回は参議院で否決されたものが今回は可決されたことをみても、小泉首相のフリーハンドの権力行使を可能ならしめる条件が作り出されたのではないかと憂慮しているのです。
 同じ特別国会で憲法「改正」手続きのための「国民投票法案」が審議入りしました。次の国会でまとめるのでしょうが、憲法「改正」の準備段階として「国民投票法」の制定があります。
 もう一つは、教育基本法の改悪が目前に迫っていることです。いまは郵政民営化関連法をめぐって集中した論議がなされているため、後回しにされているようにみえるだけです。
 石原慎太郎・東京都知事が、今の若者に元気がないのは、60年間、戦争がなかったからであり、スポーツによる高揚感は戦争による高揚感には及ばないなどと戦争を待望する発言をしています。また、自民党、民主党を中心とする国会議員で構成する教育基本法改正促進委員会の集まりで、西村真悟衆議院議員(民主党)が国のために命を投げ出す日本人をつくりだすところに教育の目的があると発言しました。
 私は戦前、軍国主義教育を受けたことを今でもよく覚えています。5才のとき、幼稚園で習った歌の歌詞には、「僕は軍人大好きだ、いまに大きくなったなら、勲章つけて剣さげて、お馬に乗ってハイドゥ」とありました。教育勅語も小学校4年のときには丸暗記していましたが、そのとき意味は分かりませんでした。意味が分かるようになったのは戦後です。教育勅語は愛国心を強要するものでした。教育基本法改悪を先取りした形で、現場ではすでに、その内容が着々と進められています。
 これは戦前の教育勅語への回帰以外の何ものでもありません。
 沖縄の基地問題も、こうした動きと無関係ではありません。

 
県民の意思を無視する日米両政府

 日米両政府は2005年10月29日、日米安全保障協議委員会(二プラス二)でまとめた在日米軍再編協議の中間報告で普天間基地(飛行場)を名護市辺野古崎のキャンプ・シュワブ沿岸部へ移設することで合意しました。
 普天間基地の移設場所については、これまで陸上だとか浅瀬だとか沿岸だとか言われてきましたが、沖縄県民の頭越しに、県民には何の相談もなく勝手に沿岸案に決められました。
 キャンプ・シュワブ沿岸案とは、辺野古崎の北東(大浦湾)側から南西(辺野古)側に突き抜ける形で滑走路などの空港施設を建設するというものです。さらには、嘉手納基地(飛行場)以南の四つの米軍基地を返還し、それらを北部に集約するというのです。
 額賀福志郎・防衛庁長官が11月8日、沖縄を訪れ、知事と市町村の首長と会談しましたが、ほとんどの首長がキャンプ・シュワブ沿岸案にノーと答えました。
 国と県知事と名護市長の三者が一緒になって(代替施設協議会)2002年7月、名護市辺野古地先沖合いのリーフ(環礁)上に埋め立て工法で全長2500mの代替施設を建設することを決めましたが、この計画は破綻しました。2年近くに及ぶ座り込みをはじめ反対のための壮絶なたたかいがあったためなのか、40mの深さの海を埋め立てるのは不可能だと判断したのか、完成までに時間がかかりすぎると考えたのか、アメリカ政府は辺野古案に見切りをつけて浅瀬案(キャンプ・シュワブ寄りの浅瀬に建設する案)を主張するようになりました。
 日本政府は、キャンプ・シュワブ内の陸上部に基地を建設する案を提示しましたが、アメリカ政府は受け入れず、結局、両者が妥協する形で沿岸案に決まりました。
 『琉球新報』の世論調査によれば県民の9割が沿岸案に反対しているとのことです。賛成は7%にすぎません。全体的な基地負担軽減策については7割が不満をもっているとのことで、日米両政府の基地負担軽減策は県民から総スカンをくっている状況ですが、麻生太郎・外務大臣は手直しできないと言って、あくまで押し付けようとしています。
 公有水面埋め立て法は、海や川や湖沼を埋め立てる場合には県知事の許可が必要です。県知事が反対すると基地が建設できないので、県知事の権限を奪いとるために特措法の制定を準備していると言われています。
 1995年(この年、米兵による少女暴行事件があり、八万五千人による県民総決起大会がおこなわれた)にも、当時の大田昌秀知事が沖縄の米軍用地強制使用手続きの代理署名を拒否して、当時の村山富市総理大臣から署名せよという行政訴訟をおこされたことがありました。大田知事は最高裁までたたかいましたが裁判に負けて、96年9月、米軍用地強制使用手続きの公告縦覧代行を応諾したのです。文字通り苦渋の選択でした。
 日本政府は米軍用地確保を容易ならしめるために、97年には米軍用地特措法を改正して使用期限が切れても「暫定使用」できるように改正し、また99年には再改定されて首相が知事、市町村長に委任していた代理署名、代執行などの機関委任事務を国の直接事務とした他、県収用委員会で審理が却下された場合には、首相が代執行できるようになりました。今回は、海を埋め立てるための県知事の許可を不要としようというのです。
 日本は、日米安保条約のもとで日米同盟を強化しようとしています。日米安保条約のもとで日本は米軍に基地を提供する義務を負っているのですが、その義務を果たすためならば、県民の財産権であれ、県知事の権限であれ、県民の意向をまったく無視するかたちで国策としての日米同盟を強化するのです。
 沖縄県民は長い間、構造的差別ともいえる状況下におかれてきました。戦後60年、復帰後33年経ちましたが、基地の機能、形態はほとんど変わっていません。
 私は嘉手納基地のど真ん中で生まれましたが、1945年3月末、艦砲射撃が激しく、飛行場周辺にいることができず、山原(ヤンバル)の山に逃げました。私の生まれ故郷、北谷町は羽地の山が避難区域だったのです。それ以来、60年間にわたって私は故郷を見ることができないでいます。生きている間に故郷の地を踏むことができるのだろうかと考えると憂鬱になります。
 日本政府の沖縄にたいする政策には、怒りを通り越して、情けないと感じています。
 また、日米の軍事一体化が進み、自衛隊と米軍が共同使用できる基地が増えるということです。ワシントン州にあるアメリカの陸軍第一軍団司令部を神奈川県にある米軍キャンプ座間に移そうとしています。アメリカは司令部まで日本に移そうとしているのです。こうして日米軍事一体化を強めようとしています。

 
憲法を「改正」し戦争のできる国へ

 憲法「改正」は何のためにやるのでしょうか。
 アメリカは、集団的自衛権を行使できないような憲法は「改正」すべきであると言っています。また、日本が国連安全保障理事会の常任理事国になるなら、国際的利益のために軍隊を使うべきであり、そうでなければ常任理事国入りは果たせないと言っています。
 軍隊が戦争して集団的自衛権を行使し、国際的利益を守ることができるように憲法9条を「改正」しようというのは、アメリカの大きな圧力によるものです。2004年7月、アメリカ国務副長官のアーミテージは、訪米中の中川秀直自民党国対委員長と会談し、日本国憲法9条が日米同盟関係の妨げの一つになっていると述べました。そして、日本が国連安保理常任理事国になりたいのであれば、国際的に軍事力を展開することが必要であると述べました。アメリカに荷担して、戦争のできる国にするよう日本に要求しているのです。
 憲法「改正」は、衆参両院がそれぞれ三分の二以上の賛成で国民に発議し、有権者の過半数が賛成してはじめて成立します。
 衆議院ではすでに与党(自民党と公明党)の議員が三分の二以上を占め、憲法改正案を成立させる条件が整っています。
 自民党が、1955年、党是として自主憲法制定を打ち出し、鳩山一郎氏が総理大臣に就任(1954〜55年)して、憲法改正を公約に掲げて選挙をおこないましたが、その時には社会党が躍進して自民党が三分の二以上の議席をとることができませんでした。それで憲法調査会を発足させましたが、憲法調査会でも「改正」を打ち出すことはできず、結局、賛否両論を併記して終わりました。
 その後は憲法を「改正」するのは難しいということが分かり、結局、憲法の解釈を既成事実に合わせて改めていく解釈改憲を続けてきました。
 1952年、警察予備隊から保安隊ができた頃は、戦力とは近代戦争を遂行しうる能力、装備を指し、保安隊がもっている戦車や大砲は戦力とはいえないと言って切り抜けてきました。今日では、必要最小限度の自衛力は戦力ではないと言っていますが、その限度を超えているのか否かを誰が判断するのでしょうか。結局、政府が判断するのです。そして必要最小限度の自衛力は戦力ではない、憲法違反ではないということで今日に至っています。
 憲法9条の効用は、確かに今でもあります。憲法9条があるために、政府は軍隊をイラクやアフガニスタンに派遣しても戦闘行為を控えているようです。しかし軍隊を派遣して、米軍の後方支援として、兵士を運んだり、物資を運搬したり、日本の軍艦がペルシャ湾まで行ってアメリカの軍艦に給油したりしています。これは、すでに戦争に荷担して集団的自衛権を行使しているといっても過言ではありません。実際には、憲法違反をしていても、法制局のインチキな解釈ですりぬけてきたのです。
 しかし平和憲法があることによって、どうしても核兵器を製造するとか、武器輸出を自由におこなうとか、イラクで正当防衛の範囲は認めるけれども、それ以上の戦闘行為は認めないといった限界をもつことになります。そうした限界を取り払う意味あいから、憲法9条を改正しようという動きが出てきたのです。
 自民党の草案によれば、憲法9条の第1項はそのまま維持していこうとしています。
 政府の解釈によれば、憲法9条第1項は、国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄しているというのです。これは、1928年のパリの不戦条約で、国際紛争を解決する手段としての戦争とは侵略戦争であると規定している、との解釈にもとづいています。すなわち憲法9条は、自衛戦争まで放棄しているのではないという解釈なのです。
 国際法でも戦争にたいする考え方は、歴史的に変わってきました。
 昔は、戦争は政治の一手段であり、戦争が違法であるとは言いませんでした。ところが、だんだん兵器が発達してきて、戦争で多くの人が死ぬようになってくると、正しい戦争と正しくない戦争を区別する正戦論という考え方がでてきました。正戦論とは、自衛と制裁のための戦争は正しい戦争であり、侵略するための戦争は正しくないというものです。
 自衛戦争は国際法でも認められています。国連憲章でも、国際紛争は戦争によって解決するのではなく、平和的手段によって解決しなければならないが、国連軍を編成して派遣するまでの間、自衛戦争をすることを妨げてはいません。国連憲章第51条には「…国際連合加盟国にたいして武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。…」と記されています。国連憲章では、個別的自衛権と集団的自衛権を認めています。侵略戦争は違法ですが、自衛戦争は国連憲章でも認められているのです。
 朝鮮戦争(1950〜53年)では、米軍が国連軍と称して朝鮮半島で戦いました。この国連軍の派遣は、当時、中国の代表権問題(国連での中国の代表権を中華民国に与えるのか中華人民共和国に与えるのかという問題)でソ連が欠席した国連安全保障理事会の場で決められたものであり、米軍を中心とした編成になっていました。
 しかし、核兵器ができ、兵器の技術が進歩してくると、戦争を違法化しようという考え方が強くなってきました。
 日本では長崎、広島に原爆が投下され、マッカーサー連合軍総司令官の案であったのか幣原喜重郎・元首相(1945〜46年在任)の案であったのか議論がありますが、戦争放棄を謳った憲法が制定されました(1946年11月3日公布、47年5月3日施行)。憲法を制定した直後の世論調査では憲法9条を大多数の国民が支持していました。
 わたしの素直な解釈によれば、日本は憲法9条第1項で、あらゆる戦争を放棄し、戦争にいたらない実力行使のような戦闘行為も否定しているのです。日本国憲法前文には、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記されています。この理念にもとづいて、日本はあらゆる戦争を放棄したと解釈するのが自然だと思います。ところが政府は、国際紛争を解決する手段としての戦争を永久に放棄すると解釈しています。これは、侵略戦争は放棄するが、自衛のための戦争までは放棄していないという解釈です。

 
基地負担を押し付けられる沖縄

 日本政府は、平和憲法を制定する一方で、日米軍事一体化を強めるために、国土面積のわずか0.6%しかない狭隘な沖縄に、日本全土に存在する米軍基地の75%を押し付けてきました。
 ですから、戦争放棄を謳った憲法9条は、沖縄に基地を集中させることの引き換えとしてあるとも言われているのです。沖縄に米軍をおいておけば、自衛軍を持たなくても安全保障は可能だという考え方が基本にあるのです。
 沖縄という小さな島は、21世紀もずっとこのまま基地を抱えこまされていくのでしょうか。私は生きている間に故郷の土地を踏むことができないのでしょうか?!
 沖縄の在日米軍再編に関する日米の合意案をつきつけられたとき、いろんな思いが私の頭に去来しました。
 日本政府は、振興策をちらつかせて県民世論を分断するやり方をずっとしてきました。かつての島ぐるみ土地闘争のように、党派の垣根を越え、県民が一体となって島ぐるみで闘争してこそ基地問題を解決することができます。
 岸本建男・名護市長も沿岸案に反対と言っていたかと思うと、納得いく説明を聞いて合意に達するようにすると言い出しています。振興策によってカネをばらまき世論を分断するのが、日本政府の常套手段です。
 アメリカは、日本政府が地元を納得させると言っているので、6年以内に解決しろと言って高見の見物をしています。アメリカは、米軍基地を確保するのは日本政府の仕事であり、日本政府と沖縄県民の問題であると考えて、すずしい顔で眺めています。
 小泉首相は2004年秋には、沖縄県民の負担を軽減するため、基地を県外に移すことも考えると言っていました。しかし今回は、そんなことはなかったかのようにして、沖縄に基地を置くことを既成事実として日本政府は対応しています。このような日本政府の態度は間違っています。
 沖縄県民のために何をすべきか、何が得策かを、党派を越えて、みんなで考え、日本政府につきつけるべきだと思います。まず日本政府を動かさないことには、アメリカを動かすことはできないからです。
司会)佐久川先生、どうもありがとうございました。
 いま在日米軍を再編するという課題が前面に提起されています。また、そういうなかで憲法「改正」の動きもあると思います。

 
島ぐるみの力で解決

島袋)今回出された普天間基地移設に関するキャンプ・シュワブ沿岸案が具体化されるかどうかは、名護市民の決断によって決まると思います。
 1月におこなわれる名護市長選挙で市民が勝つことによって、その勢いで日本政府を動かしていかなくてはならないと思います。私たちは、米軍基地の県外移設を主張していますが、そのための島ぐるみ闘争が可能だと思っています。市長の発言力は大きいので、何といっても岸本建男・名護市長を辞めさせない限りは難しいと思います。
 名護市民の90%がキャンプ・シュワブ沿岸案に反対しているのに、市長一人が賛成しているという状況は許されません。
 基地を誘致したいと考えている人は県民全体ではなく、ごく一部の人で、その人が仕掛け人になって画策しているのです。
 沖縄の米軍基地再編問題は日米軍事同盟の強化という日本政府の方針のなかに位置付けられています。日米軍事同盟を強化することによってしか自民党は政権を維持できないのです。
佐久川)私が沖縄大学の学長をしている時、西ドイツの元首相であるヘルムート・シュミット氏に沖大で講演してもらったことがありました。その時、シュミット氏が最後に言ったのが、日本はアメリカと親しくなるのも結構だが、もっと隣人を大事にしなさい、ということでした。中国とか韓国とか朝鮮とか隣人を大事にした方が良いと、アメリカにばかり顔を向けている日本の姿勢を痛烈に批判したのです。
 中国は、経済力が急速に高まっています。日本の財界も中国に投資するなど関係を深めています。ですから、財界として経済交流を増進させるためには、中国と友好的にしてほしいと願っているのではないでしょうか。そういう意味では、小泉首相の靖国参拝は国益を損ねているといえます。
(ここで参加者のなかから、ベネズエラのチャべス政権がボリーバル革命を通してめざしている社会主義への道について質問がなされた)

 
新しい社会主義の展望

高良)わずかな期間しか滞在しなかったので詳しくは分かりませんが、キューバ、ベネズエラ、そしてブラジルは社会主義的な方向に進んでいます。現在の一人あたり平均所得は、キューバは2000ドルレベル、ベネズエラは4000ドルレベルで、いずれも世界平均の5000ドルに達していません。そのように経済的には貧しい第三世界の国々が自立していこうとしています。
 ソ連は、近代合理主義という路線でつまずき失敗しました。近代合理主義的な形で社会主義へ移行してはだめだというのは誰でも分かっています。
 いま内部自給型の社会が有望です。最近はカラカスでも食糧自給体制を整えていこうとして、都市で菜園作りを始めています。キューバでは、自然エネルギーを活用していこうと半世紀近く努力していますし、ハバナの野菜自給率は20%を越しています。
 ロシアでも有機農法を使って、循環型の自然エネルギーを使った形での食糧自給体制を地道な形でやっていこうという動きがでています。ソーラーシステムで太陽エネルギーを活用するとか、生物エネルギーとしてバイオを活用する方法、たとえばメタンガスを発酵させる方法なども研究され、成果をあげています。具体的に13年間、調査、研究をおこない、どういう形で自給体制を展開していくかという詳細な研究成果がだされています。
 それが中南米で一つのモデルになって、それをチャべス大統領がモデルにし、しかもブラジルのルーラ大統領もモデルにしています。ルーラ大統領は、貧しい家庭で生まれ、小学校も出ていません。小学校を中退するくらいの移民クラスの出身で、印刷工などをしながら政治活動を一生懸命おこない大統領になった人です。ルーラ大統領はチャべス大統領やカストロ首相と連携をもっています。そして貧しくても地道に、手作りの社会主義路線をとっていこうとしています。
 そして最近言われている循環型の持続可能な社会を社会主義と結合させていこうとしています。ソ連のような大型の成長一点張りの、物質主義、物量主義の近代合理主義路線は失敗しています。同じ失敗を繰り返さないように教訓化しようとしています。キューバ危機のときに、キューバはソ連から年間1300万トンの原油を国際価格の三分の一の値段で輸入し、食糧も輸入していました。
 ベネズエラも食糧を半分以上輸入しています。従来の経済構造を脱却して、食糧とエネルギーの自給体制をはかるために、有機農法や自然エネルギーなどを導入しています。ラテンアメリカのクレオール文化、クレオール経済の成果がこれから出てくるだろうと思います。
 21世紀の社会主義のビジョンは、ベネズエラから提起されるかもしれません。
 チュチェ思想は、人間は、自主性、創造性をもった社会的存在だと規定しています。人間が社会的存在であるからには、人間は社会的方向性を目ざします。ソ連はつまずきましたが、社会的存在である人間は社会主義を志向するといえますし、それが自然です。そのようにみれば、キューバもベネズエラもブラジルも社会主義の方向に向かっているといえます。
司会)南米では非米自主の新しい動きが強まっています。南米10か国は、2010年をめざしてEUのような新しい経済圏として南米共同体(CSN)をつくることで合意しています。
 世界では冷戦終結後、アメリカによる単独支配の10年があっという間に過ぎて、新しい世界像が見えてきています。
 東アジアでは南北朝鮮が統一に向かって確実に進んでおり、中国やロシア、朝鮮はそれぞれ友好関係を強めています。
 東アジアの平和に向けた動きをみるならば、沖縄の米軍基地再編がいかに時代の流れに逆行するものなのかということが分かります。アメリカに目を向け、米軍基地を沖縄にばかりおしつけてくる日本政府の政策は間違っています。
 日本が自主の道を歩み、アジアと協調していくことが求められていると思います。
 高良先生、佐久川先生、きょうはご報告どうも有り難うございました。
(2005年11月11日、那覇市)