南北経済協力と法
関東学院大学教授 大内憲昭

私の専門は憲法とアジア法です。とくに朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)の法律を中心に研究してきました。

いま日本のなかでは共和国の正しい情報はなかなか伝わってこないばかりか、伝わってくるのは否定的な情報ばかりです。ここでは、共和国が世界で決して孤立しておらず、南北朝鮮の関係改善が大きく進んでいること、とくに南北の経済交流の象徴である38度線の北側にある開城(ケソン)工業地区の開発を中心に述べたいと思います。

ただケソン工業地区の法律に関する研究は私自身はじめたばかりであり、研究途上にあることを付記しておきます。またケソン工業地区の法整備自体にもまだ不十分なところがあります。ケソン工業地区の開発は2012年に完成する計画になっていますが、国際情勢、国内情勢の影響により、もっと時間がかかることが予想されます。そのなかで法整備も進んでいくものと思います。

昨年来、私は共和国の先生とケソンで展開されている南北経済協力について共同研究を進めています。

私は1980年にはじめて共和国を訪ねて以来、ほとんど毎年のように訪朝しています。ここ数年はおよそ毎年2回行っており、昨年は5月と9月に行きました。ケソン工業地区の共同研究における私のパートナーは共和国の国会にあたる最高人民会議のなかで立法政策を立案する部署の副部長です。とくに共和国への外国からの投資、外国資本に関する立法を担当し、現在はケソン工業地区の立法を担当しています。6、7年前に共和国がはじめて、改革、開放地区として設定した羅津(ラジン)、先鋒(ソンボン)の法律に関する本を先生と一緒につくったことがあります(『朝鮮民主主義人民共和国外国投資法規概説』明石書店)。先生とはそれ以来のおつきあいです

。 昨年5月、ケソン工業地区の研究をするにあたり、実際に開発地区を見たいと要望しました。

ケソンを管理する直接の主体は、韓国の現代(ヒョンデ)グループとなっています。金剛(クムガン)山も共和国の領域ですが、現代グループが管轄しており、わたしたちが訪朝しても以前のように簡単には行くことができないようです。ピョンヤンからケソンには高速道路で行きました。軍事境界線近くまで延びた高速道路が途切れるあたりまで行き、周囲から開発地域を見せてもらいましたが、中に入ることはできませんでした。つぎに訪朝したときには中に入れてもらう内諾を得ていました。9月に訪朝したときには、おそらくいろいろな手続きをして頂いたと思いますが、開発地域の中を見せて頂きました。自由に撮影しても良いというので、カメラとビデオカメラで撮影もしてきました。

韓国側で1989年につくられた「南北交流協力に関する基本指針」があります。韓国が共和国との経済交流と関連して、申請件数、承認件数、実績件数および共和国を下見のために訪問した人数を発表しています。資料によると、2001年12月までに、南から北を訪れて経済交流の下見をした人が1万5000名を超えています。2000年6月15日に南北共同宣言が発表され、政府レベルで経済交流を承認したことにより、南北交流がいっそう活性化しました。南北共同宣言の第4項目には、「北と南は経済協力を通じて、民族経済を均衡的に発展させ、社会、文化、スポーツ、保健、環境など諸般の協力と交流を活性化し、互いの信頼を築いていくことにした」と記され、南北の経済交流を推進していくことが謳われています。実際に、高麗ホテルなどに宿泊すると韓国の人々が多く泊まっていることがわかり、経済交流が進んでいることを実感します。

共和国は2002年7月1日、経済管理方法改善政策を打ち出し、従来の経済管理方式をあらためて、賃金および政府の農村からの買い上げ価格を変更し、経済活動の活性化をはかりました。

共和国には、これまでも農民市場がありました。日本のメディアは、テレビカメラで隠し撮りしたような映像を流し、農民市場という言葉も使わず、ヤミ市場のように報道していますが、農民市場は共和国の民法のなかに規定され公認されたものです。共和国は農民市場を拡大して総合的な市場にする経済改革をおこないました。

昨年5月、東ピョンヤンの統一通りにある統一市場に行きました。新しい市場は非常設的な青空市場だろうという私の予想は見事に覆されました。統一市場はかまぼこ形の建物が3つ並んだコンクリートでつくられた常設の広い市場です。残念ながら5月の段階では、建物の外の撮影は良いが、内部は準備段階だということで撮影できませんでした。建物の中に入ると、ありとあらゆる商品があり、活気に満ちていました。価格は上限が設定され、抑えられています。アメリカ製のタバコは1箱1ドルで販売されていました。そこで働いている人に給料がどのくらいか尋ねると、2000ウォンという返事でした。朝鮮の経済を単にドルに換算するだけでは正しくみることはできません。月給では外国製タバコ1つしか買うことができないように見えますが、共和国の中で2000ウォンはかなりの価値をもっています。西側の報道は共和国経済をドル換算ではかりたがりますが、数字だけ1人歩きしてあてになりません。新しい市場は各地域にそれぞれ設置されています。共和国は内部においても経済活性化に向けて努力しています。

そのような状況のなかで昨年12月15日、ケソン工業地区で初の調理器具メーカーの工場が操業をはじめ、鍋セットを出荷しソウルで販売したとのことです。

ケソン工業地区はまず先行してモデル地区をつくり、韓国の企業を誘致して、生産した製品を韓国に輸送し販売します。そのモデルが成功すればさらに大きな企業、あるいは外国の企業を誘致するということです。

共和国は1990年代にはいり、外国資本を一部の地域に導入する経済「特区」をつくっていきました。共和国ではこれまでに4つの経済「特区」がつくられてきました。この4か所の経済「特区」は、共和国では「改革」「開放」という言葉は使いませんが、西側からみるなら改革開放地域だといえます。

共和国は、東海(日本海)側のロシア、中国と国境を接する豆満江の下流に位置するラジン、ソンボン地域をはじめて経済「特区」、自由経済貿易地帯に指定しました。1993年に「自由経済貿易地帯法」が施行されました。自由経済貿易地帯の中はいわば資本主義経済がおこなわれるわけですが、共和国は50を超える法令をつくり、本格的に経済「特区」づくりに乗り出しました。ラジン、ソンボン地域は今日では羅先(ラソン)経済貿易地区と呼ばれていますが、開発計画が必ずしも成功したとはいえないでしょう。

つぎに、黄海側の中国と共和国の国境になっている鴨緑江流域の新義州を経済「特区」にしました。2002年11月、新義州特別行政区基本法が施行され、国家がこの特別行政区を直轄する形で立法・行政・司法権を授与するというものです。新義州特別行政区は国家から今後50年間土地を借用し、開発をおこなうことを法制化しました。香港と同じように共和国のなかに囲い込む形で新義州という街をまったく新たに資本主義化する構想でした。同特別行政区の初代長官に任命されたオランダ国籍の華僑実業家の楊斌氏は中国政府により国外追放処分となり、この開発計画は現在、暗礁に乗り上げているようです。

つぎにおこなったのが南北経済交流にもとづく金剛山観光地区とケソン工業地区の開発です。これは、現代グループの故鄭周永(チョンジュヨン)名誉会長が先鞭をつけました。1998年11月に金剛山観光船が初出航して以来、金剛山観光が進められています。韓国から共和国の金剛山へは最初は海路が使われましたが、今は陸路を使って観光がおこなわれるようになりました。2002年11月には朝鮮民主主義人民共和国金剛山観光地区法が施行されました。今日、韓国の現代グループが金剛山における30年間の土地・施設利用権、観光事業権を得ています。

ケソン工業地区と法

朝鮮民主主義人民共和国ケソン工業地区法が2002年に施行、2003年に修正・補充されています。法的なことでいうと、南北経済協力に関しては、1991年に「南北間の和解と不可侵及び交流協力に関する合意書」を交わしています。その後、盧泰愚(ノテウ)大統領から金大中(キムデジュン)大統領になり、それから盧武鉉(ノムヒョン)大統領になって、南北和解がすすみ、韓国の北にたいする政策の大きな転換がおこなわれていきました。2000年の南北共同宣言にもとづいて、2003年7月には「南北経済協力のための合意書」がつくられました。韓国側には1990年に制定された南北交流協力に関する法律がありますが、この法律が97年に改正され、その後も、これに関連した法律が整備されています。共和国側ではケソン工業地区関連法が2003年~04年につぎつぎにつくられています。それらの法律は共和国が勝手につくっているのではなく、南の担当者と相談してつくっています。私と共同研究している共和国の先生はソウルに行き、韓国の法学者と共同で法律を作成しました。ケソン工業地区の法律は既存のラジン・ソンボンや新義州の法律とはまったく異なる法律です。南北が一緒になって合意のもとにその地区の法規を定めています。南北が分断されて60年間、資本主義体制と社会主義体制という異なる過程を歩んできたため、同じ言語を使っていても専門用語は異なる場合があります。それで韓国の法令をみて、それは北ではこうするんだというように読み替える検討作業がなされています。用いる用語をわざわざ調整しなくてはいけないということもまた1つの事実です。

ケソン工業地区は、2003年6月に着工式がおこなわれました。2000万坪(65・7平方㌔㍍)の土地を工場区域、生活区域、商業区域、観光区域に分けて開発する計画となっています。共和国は、行政地区も改編しました。従来この地域はケソン市という市と板門郡、長豊郡、開豊郡の3つの郡から成っていましたが、板門郡を廃止してケソン市が吸収し、他の2郡は黄海北道に移しました。開発計画は3段階8年間にわたり、2012年を完成の目標としており、第1段階から第3段階までおこなう計画になっています。

ケソン工業地区の開発は現代グループの故鄭周永名誉会長が1989年に共和国を訪問し、そこで南北経済協力を進めていこうということから始まりました。北と南の間には鉄道も連結され、ケソン工業地区のなかを走ります。

中央工業地区指導機関はピョンヤンにあり、管理機関は現地、開発業者は韓国側です。ケソン工業地区の土地利用権を取得すれば50年間土地を利用することができます。50年たってさらに利用したければそれも可能です。土地利用権も譲渡または売買することができます。またケソン工業地区はビザなしの出入りが可能です。西側の企業がケソン工業地区で操業する場合、企業所得税などが課税されます。多額の課税をすると、企業を誘致できないので、工業地区における企業所得税率はインフラ建設部門及び軽工業部門、先端科学技術部門は10%、その他は14%、5年間は当面課税しないとなっています。韓国国内の企業所得税は23%から28%ですから、ケソンの場合はその半分です。それからケソン工業地区の一般の単純労働に関しては、共和国とりわけケソンの労働者を雇用し、韓国の労働力や外国人労働力を雇用してはならないことになっています。ただし管理者や特殊な技能をもった者に関しては韓国または外国人労働者を雇用しても構わないとなっています。労働者の賃金は月最低50ドルとなっており、非常に安価な労働力だといえます。この50ドルには所得税がかかりません。昨年8月、朝日新聞のコリアウォッチャーとして有名な人が、労働者の月収50ドルには所得税がかかると書きましたが正しくありません。所得税がかかるのは外国人と韓国人であり、共和国の人にはかかりません。ケソンの担当者は、企業で働いている共和国の労働者にその企業から直接50ドルを支払う、共和国の機関がまとめて受け取り、労働者に分配するのではないと言っていました。

ケソン工業地区の経済効果を韓国側は、どのように見ているのでしょうか。韓国の国土研究院、全国経済人連合会、現代峨山、現代経済研究院が、それぞれ試算しています。

韓国の国土研究院は「北韓は17万名の雇用効果と同時に、210億9000万ドル(約27兆ウォン)の生産効果を得るし、6億6000万ドル(約8480億ウォン)の所得をあげるものと予想」しています。全国経済人連合会は「3段階工事が終了した後、1年が過ぎた時点(着工9年目)までに南北韓合わせて総額722億8000万ドル(約92兆ウォン)の経済効果を得ることになる」と発表しています。現代峨山は「工団完成時に、南側で約36万名、北側で25万名の雇用効果をあげるものと見ている。また8年の間進められる3段階の開発過程で、付加価値だけとってみても、南が60億ドル(約7兆7000億ウォン)、北が2億ドルに達するものと分析」しています。現代経済研究院は「工業地区が完成すれば北に27億ドルの直接的な外貨収入を含む73億ドルの経済的効果をもたらし、南にはその7倍に当たる524億ドルの経済的利益を与える」と試算しています。

韓国側は何らかの基準をもって試算しており、かなりの成果を期待しているとみることができます。

ケソン工業地区の開発においては、いくつかの問題もあります。

その1つが、戦略物資統制問題です。社会主義諸国への戦略物資の輸出規制の協定であった対共産圏輸出統制委員会(ココム)は1994年3月に廃止されました。新たに1996年、ワッセナー・アレンジメント(ワッセナー協約)が成立しました。参加国はアメリカ、イギリス、日本、ロシアなど33か国であり、韓国も参加しています。この協定は、共和国やイラン、イラク、リビアを戦略物資の輸出規制をおこなう国として想定しています。ワッセナー協約によれば、戦略物資とみなされるものを韓国からケソンに運ぶことはできません。この協定に違反した場合には制裁があります。

またアメリカ国内に「輸出統制法」があります。アメリカの製品を韓国からケソンに持ち込む取引は規制の対象となります。この法律に違反すると、韓国そのものが制裁の対象になります。戦略物資は、目にみえる形あるものだけではありません。この問題を解決しない限り、共和国が先端科学技術をケソンで実用化するのは難しいでしょう。共和国が求めているのは先端技術であることは当然ですが、ワッセナー協約やアメリカの「輸出統制法」があるため、西側企業にとっては商売になりません。

韓国としては内国取引であると主張し、アメリカの反発をかわす思惑も見受けられますが、簡単にはいきません。民族内の取引として、韓国内あるいは共和国内だけで消費するなら問題は生じないかもしれませんが、輸出をどうするかという課題があります。

またインフラ(社会資本)構築問題があります。

共和国はインフラ整備が遅れています。共和国では鉄道の車両も日本でいえば1950~60年代頃の車両をいまも走らせています。西側企業を誘致する場合、そういったものも含めてインフラ構築の問題が、ケソンだけではなく大変重要な問題となります。

またケソンで生産された製品の販売市場をどのように拡大していくかという問題があります。販路拡大と関連して原産地をどう規定するかということも課題となります。米朝関係、日朝関係が複雑な状況のなかで、一般市民がメイド・イン・コリアの製品を購入するように、メイド・イン・DPRKの製品を購入するかという問題が出てきます。

90年を前後してソ連、東欧の社会主義諸国が崩壊しました。共和国の海外市場は、当時、その7割が社会主義国でした。その社会主義市場がほとんど消滅してしまったというのが90年代です。共和国では90年代の後半から苦難の行軍がはじまりました。そういうなかで共和国は社会主義自立的民族経済を柱にしながら経済建設をおこなってきました。その一方で市場経済の体系にいやおうなしに組み込まれていきました。共和国は市場経済原理をどのように国の経済建設と兼ね合わせていくのかという課題が提起されていたといえるでしょう。共和国の98年憲法の33条には「国家は、経済管理において大安(テアン)の事業体系の要求に則して独立採算制を実施し、原価、価格、収益性などの経済的テコを効果的に利用するようにする」とあり、市場経済という言葉は使っていなくても収益性を重要視していると見ることができます。中国は深を経済特区にし、そこでまずモデルをつくって、それを沿岸地域、そして内陸に拡大していくやり方をとりました。共和国の辺境の経済特区は中国型の改革開放の経験を参考にしつつも、自国の実情にそってどのように適用するかが課題だといえるでしょう。共和国は中国のように広大な地域ではなく、ケソンからピョンヤンまでは150キロしかありませんから、国内で1つでも開放すれば、一挙に「改革」「開放」の波が拡大する可能性があります。それにどう対処するかという課題もあるでしょう。それから韓国との関係においても、共和国の安価な労働力で物を生産していくなら、自ずと韓国の労働賃金と摩擦が起きてくることは目に見えています。共和国が韓国の労働者との連帯をどう実現するかという課題も出てきます。

 朝鮮新報社が発行している雑誌『祖国』(2004年12月号)に金正日総書記の1998年の著作『帝国主義者の「改革」、「開放」策動は受け入れられない侵略・瓦解策動である』が掲載されています。

金正日総書記はこの著作のなかで、つぎのように述べています。

『帝国主義者たちは自分たちの支配と略奪の目的に合致しない他の国の政治体制や経済制度は、「グローバリゼーション」の流れにあわないと言いたて、「改革」しなければならないと言い、彼らの要求する体制と政治方式、腐敗したブルジョア文化と生活様式を受け入れない国にたいしては、「孤立主義」だ、「閉鎖」だと言いながら、「開放」しなくてはならないと圧力を加えています。これこそ強盗の論理であります。帝国主義者たちはわれわれにそれ「改革」だ、「開放」だと要求するのではなく、わが国にたいする彼らの孤立圧殺策動と封鎖を撤廃すべきでしょう。

帝国主義者とその追従者が、われわれに「改革」、「開放」をしなければならないと騒ぎたてるのは、わが国の社会主義制度を崩壊させ、資本主義制度を復活させようとすることに基本の意図があります。

…われわれの経済的難関は、わが国にたいする帝国主義の経済封鎖と孤立圧殺策動によって醸し出されたものです。そのうえに、世界の社会主義市場が崩壊し、以前の社会主義諸国との経済協力関係が途絶え、何年も続いた自然災害まで重なったために、われわれの経済状態と人民生活が困難になったのです。

…経済問題もチュチェの原則、社会主義の原則で朝鮮式に解決していかなければなりません』市場経済のグローバル化との関連で考えたときに、共和国が少なくともケソンをモデルとして、同一民族内の経済交流といえども明らかに商品経済、商品開発をおしすすめることによって韓国経済が入ってくることになります。これが成功すれば実質的に38度線は解消することになるでしょう。しかし、38度線は事実上解消しますが、その結果としてケソンは韓国の中に組み込まれていき、資本主義化しないという保証はありません。ここが、これからの大きな問題だと思います。同時に、ケソン工業地区の開発が成功をおさめるためには、米朝関係・日朝関係が敵対的な関係から平和的な協調する関係へと変わることが重要になるのではないかと考えられます。