朝鮮半島情勢の変化と米軍基地の行方

沖縄大学名誉教授
平良研一

 六月一二日、歴史的な朝米首脳会談がシンガポールでおこなわれ、金正恩朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領の共同声明が発表されました。
 その後、朝鮮は北部核実験場を爆破し、朝鮮戦争時の米軍兵士の遺骨を返還するなどの行動を実行していますが、米国側の動きはそれほどないようです。もともと時間をかけて段階別、行動対行動の原則ですすめていくことになっています。
 南北首脳会談、朝米首脳会談がおこなわれたこと自体が大きな意味をもつもので、戦争から平和の方向へ情勢は大きく変化してきています。南北朝鮮、朝米の政治的な関係を考察し、首脳会談にいたった背景について考えてみたいと思います。

1、南北首脳会談、朝米首脳会談開催の背景、底流

 四月二七日、金正恩委員長と文在寅大統領は板門店で出会い握手し、いったん北側にいっしょに行き、さらに手をつないで三八度線をまたいで南側の平和の家に行きました。二人の首脳のやりとりはとても感動的なものでした。朝鮮民主主義人民共和国の最高首脳が南側に行ったことは、今回がはじめてのことで意義深い歴史的なできごとであり、年初には予想もしなかったことです。
 朝米首脳会談にいたる直前にもトランプ大統領が会談を一瞬躊躇しましたが、金正恩委員長の強い意志と忍耐強いはたらきかけで首脳会談を実現していきました。急速な展開にみられる本質的な問題を考えてみる必要があります。

朝鮮統一は全民族の心からの願い

 南北首脳会談が実現するまでの情勢の本質的な問題は、金正恩委員長と文在寅大統領、そして北と南の人民が心から平和と統一を望んでいるところにありました。両国の人民は対立と戦争ではなく、平和と和解への意志が明確であり、その意志を実現していく思いで首脳会談がなされたといえます。
 一九五〇年にはじまった朝鮮戦争は一九五三年に停戦協定が締結され、朝鮮と米国は休戦状態にありました。停戦協定の締結は戦争が終わったことを意味するのではなく、戦争状態がこんにちまでつづいていたのです。戦争状態からの解放を実現したいという願いが双方の人民に厳然とあったということです。
 今年二月には、韓国において冬季平昌オリンピックが開催されました。両人民が合同でアイスホッケーチームをつくり競技に出場したり、応援をいっしょにおこなったりするなど交流しました。また三池淵管弦楽団が韓国で二回公演をおこない、韓国の芸術団も平壌で公演をおこなうなど民族の和解と統一への思いが一気に高まっていきました。
 南北首脳会談はある日突然実現したのではありません。一つの民族が敵対関係にあることは不自然であり、平和をおびやかすものです。双方の人民は一日もはやい統一を願っているのです。

金正恩委員長の指導と一心団結した主体

 朝鮮において金正恩委員長が指導者として二〇一二年に登場して以来、委員長の指導のもとにうちだされた政策、そして一心団結した主体があることが、朝鮮側としての首脳会談実現の要因と指摘できます。
 米国は朝鮮が北と南に分断された後、つねに朝鮮の体制破壊をねらって悪辣な策動をおこなってきました。対朝鮮の核攻撃もふくむ大規模な米韓合同軍事演習をおこなってきました。米国の朝鮮攻撃危機にたいする対抗として朝鮮は核開発をすすめてきました。
 二〇一三年の朝鮮労働党中央委員会三月総会において経済建設と核戦力建設を並進させる路線がうちだされました。 米国の核圧力に対抗するためにうちだされた戦略的路線としてありました。
 もちろん核兵器開発は世界人民にとって好ましいものでないのは当然のことです。しかし朝鮮にとって国の自主性や主権、人民の生命の安全を保障するためには、核開発が経済建設よりも重要なものとしてありました。本来は人民生活を豊かにしていくことを金日成主席も金正日総書記も心から願っており、金正恩委員長の思いもそこにあったといえます。
 朝鮮は米国の圧力に対抗していくために核戦力建設を短期間に飛躍的に発展させ核保有国になりました。米国に対抗するための抑止力としての核開発をおこなってきたのです。
 米国の核保有数は朝鮮の核保有数とは比べるべくもありません。しかし核兵器はその性格上、一つでも保有すると大きな意味をもつものです。
 朝鮮の核開発の技術レベルは高く、米国に対抗できるようになりました。とりわけ大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発し、米国本土のワシントンまで到達する水準になりました。
 朝鮮が核戦力建設をすすめたことが朝米会談にいたった一つの要因です。

韓国民衆の民主化運動

 韓国は長いあいだ民主化運動をつづけてきました。独裁政権にしいたげられてきた韓国民衆のたたかいの終着点が、腐敗した朴槿恵政権を倒す「ろうそく革命」でした。ろうそくを灯して一〇〇万人が結集し、朴槿恵政権をうちたおした民主化運動がおこったのです。文在寅大統領も「ろうそく革命」を背景にして登場してきました。
 金正恩委員長を中心とした一心団結の朝鮮人民の社会主義建設のたたかいと韓国の民主化闘争がおりなしてもたらされたのが南北首脳会談であるといえます。
 負の危機的な情勢を利用しつつ民衆がつくりだす積極的な要因が統一しながら首脳会談として結実したのです。
 今回の首脳会談は、長いあいだ熟成してつくりだされてきたものです。その背景のうえに金正恩委員長が今年一月一日に「新年の辞」を発表してから、金正恩委員長が主動して一気に南北首脳会談、朝中首脳会談、朝米首脳会談を実現したのです。

核廃絶は世界の流れ

 トランプ大統領の登場は米国の衰退を如実に示しており、それも会談にむすびつく一つの要素としてとらえることができます。朝米首脳会談はけっして突然おこったできごとではなく、底流にあったさまざまな動きがあわさって実現したとみることが重要です。南北首脳会談から朝米首脳会談への流れは、考えぬかれた一つの戦略ではないかと思います。
 南北首脳会談においては、板門店宣言を採択し朝鮮半島の非核化に明確に合意しました。非核化は朝鮮半島全体を包括するものです。
 日本政府やマスコミは、非核化は朝鮮だけの問題であるかのように宣伝しています。非核化は朝鮮だけの問題ではなく朝鮮半島全体の問題であり、アジア、世界の問題なのです。
 朝鮮半島の非核化については、段階的に行動対行動の原則で実現していかなければなりません。
 核廃絶への思いは世界の人々の共通の思いです。核廃絶への流れをすすめていくことは世界が認めていることです。
 米国は多くの核を保有しています。ロシア、イギリス、フランス、中国も核を持ち、イスラエルも持っています。非核化の問題は朝鮮だけに適用することではなく、世界共通の課題として考えていく必要があります。

2、平和の流れに逆行する辺野古新基地建設

 朝鮮半島の平和の動きと辺野古の新基地建設問題は結びつけて考えなければならない課題です。
 この間、世界における情勢が急激に動いています。米国の基地は現情勢にどうかかわっていくのでしょうか。米国の基地の状況をみても、複雑な問題が存在します。
 歴史的、世界的には平和の流れ、デタントがあります。ドイツやイタリアなど駐欧州米軍を削減するのは明確です。 駐韓米軍も削減の動きが出てきています。トランプ大統領は商売に徹していますから、できるだけ必要がないものは削減しようとしています。日本のように米国の言いなりになる国に押しつけようとしているのです。
 多くの国々では軍隊を削減する方向なので、増強していくことは考えられません。
 ところが在日米軍基地は削減どころか、むしろ強化する方向にむかっています。何が何でも辺野古新基地建設をすすめようとしています。辺野古新基地建設の根拠となっているのが「日米安保条約」です。自民党政権は米軍が沖縄の基地を勝手に使用し、新基地建設をすすめていることを積極的に承認しています。米軍はまさにやりたい放題です。 日本は戦後一貫して米国に従属しており独立国とはいえない屈辱的な状況がつづいています。

日本はいつでも核爆弾を製造できる

 日本は核保有国ではありませんが、原発の使用済燃料から抽出したプルトニウムを四七トン保有しており、いつでも核爆弾を六〇〇〇発製造することができます。さらに日本は核の運搬手段であるロケット開発もしており、容易に核ミサイルを製造できるため、世界の国々から懸念の声があがっています。
 日本には米軍の核が隠されているという疑惑もあります。日本はアメリカの核の貯蔵庫になっているということです。
 日本は核保有国に匹敵する国であると認識すべきです。米国の核の傘に守られ、日本自身も核保有がすぐにでも可能な国にもかかわらず、自衛のための朝鮮の核にたいして誹謗中傷する立場にないことを正しくみていく必要があります。
 原発の恐怖とは、原発事故そのものにもありますが、それにもまして原発を稼働することにより大量のプルトニウムを蓄積し容易に核兵器に転換しうることにあることをしっかり認識する必要があります。
 安倍政権は、その発足時から憲法九条を「改正」して日本を戦争できる国にしようとしています。日本を戦争できる国にしようとする政策をとる者が、憲法を「改正」して核保有国をめざすということは許されることではありません。
 安倍政権のやっていることは、森友学園問題、加計学園問題、働き方改革関連法、カジノ法等あらゆることが腐敗堕落の極致であり、すべての面において時代に逆行しています。在日米軍基地の存在自体、ハーグ条約などの国際法違反です。国際法的にも人道的にも米軍基地の存在は許されないことなのです。
 米軍の軍事費削減について議論はされていますが、簡単にすすむ問題ではありません。しかし全体的な歴史の流れは、戦争はしない、武器も原子力もなくす方向にあるといえます。
 歴史に逆行しているのが日本の安倍政権です。
 沖縄には戦後七三年間米軍基地が存在しつづけて、沖縄県民の生命や生活をおびやかしつづけてきました。七三年間も他国の基地の存在を認めつづけてきて、いまになって、さらに新しい基地をつくることが認められるのでしょうか。安倍政権のひどさは許しがたいものです。正気の沙汰とはいえません。
 世界の大きな平和の流れに逆らっている安倍政権に鉄槌をくださなくてはなりません。

不正腐敗の安倍政権が生きながらえる理由

 しかし多くの人が安倍政権のひどさを知りつつも支持率がそれほど極端に下がらないという不思議な現象がおこっています。これほど腐敗し批判をあびている安倍政権が生きながらえているのは、その理由があるのです。安倍政権はさらにまた選挙制度をかえて生きのびようとしています。
 安倍政権がやっていることは許しがたいことですが、それを許している国民の側の問題についても考え、今後もまたがんばっていかなければならないと思います。
 ネット社会のなかで、いろいろな言説が乱れとんでいます。
 ヘイトスピーチなど、革新的な意見にたいするすさまじい攻撃があります。沖縄の新聞にも攻撃が日常的におこなわれています。
 また安倍首相はよくやっているのではないかといった意見が一定程度あるのも事実です。もちろん安倍首相にたいしては、多くの否定的な意見があります。ところが自民党政権にたいする支持率はなかなか落ちないのです。もっと落ちれば解散になりますが、そうはなりません。安倍首相=自民党になっていないのです。自民党にたいして野党がだらしないといった意見が多くあります。わたしは一定程度よくやっていると思います。野党陣営がいま一つ物足りないという意見も多く、そのようなこともあって全体的には支持率が下がらないのではないかと思っています。

権力によってつくられる慣れ

 わたしたち民衆側は社会の主人としての価値観を本来は共有できるはずです。しかし民衆側にたいしてインターネットなどでヘイトスピーチやデマなどがはいってきます。個人個人がばらばらにされ、朝鮮をバッシングする報道が正しいような雰囲気があります。
 慣れというのは怖いものです。『罪と罰』で有名なドストエフスキーは、習慣は実に恐ろしいと述べています。まちがっていることを、まちがっていると指摘しても、確信をもって相手が流しつづけるうちに、それが真実のようになっていくのです。
 あんなに頑張っても負けているのだから勝ち目がないとあきらめがでてきます。慣れがあきらめに通じます。何回も何回もたたかれて負けつづけていくと、それが慣れとなって自身の考え方のように思えてしまうのです。
 今年六月二一日、米軍キャンプ・シュワブに隣接する名護市数久田で流弾事件が発生し、二〇〇二年に同様の流弾で被害をうけた名護市の主婦の発言が新聞に掲載されていました。彼女は、〝これだけ流弾があるのに自分に飛んでくるとは思わない。おかしいですよね。慣れてしまった自分が逆に怖い〟と語っています。彼女の言っていることは真実ではないかと思います。
 人間の心理を考えると複雑です。一般的に権力をもつものが明らかに強いわけです。権力をもつものがマスコミや暴力をつかって辺野古の新基地建設のように強引に実現していきます。県民の側はどうにもならない状況があり、だんだん流されていくようになります。多くの人が流されてしまうのにたいして何百人でもいいから諦めない抵抗の意思を示すことが大切です。
 最近、慣れ、習慣などがつくられてきていると感じます。権力が圧倒的に強い力で県民側の流れをつくりだしています。それを考えなくてはいけません。
 国家権力などの強い権力が、何らかの手段で民衆側の慣れをつくることが怖いと思います。
 これは安倍政権の支持率が一定のところから下がらない問題ともつながると思います。
 人間の心理的な弱さをついています。そこに分析を加えないといけないと思います。何も考えずに立ちむかっても勝ち目はなく、何のために闘っているのかという疑問もわいてきます。
 怒っていても「力が強い者が勝つんだよ」とあきらめをつくるようになっています。慣れをつくるということの怖さが権力のみにくいところです。
 安倍政権は「拉致」、「拉致」ばかり騒いで、朝鮮と真摯にむきあっていません。日朝会談にもっていこうとしても、誠意がないので朝鮮からあしらわれています。
 いま世界が平和、非核化の流れにむかって動いていますが、日本は蚊帳の外におかれています。日本は外交を自主的に積極的にすすめようとしません。「拉致問題」もアメリカにお願いして解決しようとしており、主体性がまったくありません。
 日本にはまともな外交がまったくないといえます。安倍首相は金をまくために外国訪問しているようなものです。外国に多く行っていることをもって外交だといって評価されている面もあります。日本の人々が働いてつくりだした税金を無駄遣いしていながら活躍しているとはいえないでしょう。
 日本には世界の流れにそって、自主、平和の道をすすむことが求められています。