チュチェ思想を真髄とする朝鮮社会主義建設の成果
福島訪朝者の会会長 住谷圭造

 2016年の訪朝にひきつづき、今回、朝鮮民主主義人民共和国創建70周年という記念すべき年に、六度目の訪朝をすることができたことを嬉しく思います。
 とりわけ、昨年までの国連あげての経済「制裁」とマスコミを中心とした意図的で徹底した朝鮮バッシングという、これまでにないきびしい情勢から、2018年1月1日に発表された金正恩委員長の「新年の辞」をスタートに、朝鮮半島をとりまく情勢が一変しました。
 予想もしなかった、歴史的な南北首脳会談と4.27板門店宣言、史上初の6.12朝米首脳会談と共同声明をうけての訪朝でした。
 日本からもいくつかの代表団が参加をしていますが、わたしは朝鮮社会科学者協会のうけ入れによる、金日成・金正日主義研究全国連絡会代表団の秘書長として訪朝しました。

国際セミナーに参加して

 今回の訪朝において一番の特徴は「チュチェ思想と朝鮮民主主義人民共和国の70年」に関する国際セミナーに参加することでした。参加者は、日本もふくめて16ゕ国から23の代表団と朝鮮の社会科学部門の学者など約200名でした。
 セミナーは同時通訳でおこなわれました。全部理解できているわけではないので概要と若干の感想を述べたいと思います。
 朝鮮民主主義人民共和国創建70周年は、金日成主席、金正日総書記、金正恩委員長のもとにすすめられてきた、チュチェ思想を真髄とする朝鮮社会主義建設の成果を自信をもって世界にさししめすものだと感じました。
 司会進行は、チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長、祝賀演説は、朝鮮社会科学院院長・朝鮮社会科学者協会第一副委員長の李恵貞氏、報告は、チュチェ思想国際研究所副理事長のハリシュ・グプタ氏がおこないました。
 李恵貞第一副委員長が祝賀演説で、「自主性は国と民族の生命であり、尊厳であり、自主独立国家の象徴である」、「チュチェ思想は人間を世界と自己の運命の主人とする威力ある思想的武器である」、「社会主義が挫折を余儀なくされ、世界情勢が複雑ななかでも、チュチェ思想研究普及活動が中断することなくつづけられていることは、チュチェ思想の科学性と真理性を世界が公認したことになる」と指摘されたことは、日本のいまの状況下では考えにくいものではあっても、わたしたちのめざすべき方向ではないかと実感しました。
 スピーチは、各国のチュチェ思想研究者(エチオピア・イギリス・ナイジェリア・日本・モンゴル・ロシア・ネパールの7ゕ国)と朝鮮の学者3名の10名がおこないました。
 朝鮮の代表は、人民大衆中心の社会主義国家建設は、思想活動が基本であること、金正日総書記の指導のもと、1990年代の困難できびしい「苦難の行軍」をのりこえてきたことそのものが、他に従属しないチュチェ思想にもとづく自主の路線の正しさを証明している、人民が社会の主人公であり、教育強国・人材強国を中心とする教育重視を何よりも大事にしていると述べました。
 さらに、これからの課題は、文明強国建設であり、最高の文明を最高の水準で共有することが求められていると強調していました。
 国際セミナーの全体的な感想としては、朝鮮が、人民大衆中心の社会主義国家建設にたちむかい、自分の国も大変な時代に金日成主席が世界の発展途上国にたいする惜しみない支援・協力をおこなうことによって、自主独立への礎をきずくことができたとして、アフリカの代表者たちが深く感謝していたことが印象的でした。そして、朝鮮の指導思想であるチュチェ思想がいかにすばらしいものであるのか、社会主義建設において決定的位置を占めるチュチェ思想を学び広めていくことの重要性が強調されていました。
 日本を代表して、埼玉大学名誉教授の鎌倉孝夫先生が、「世界の平和・非核化を主導する朝鮮」という内容で以下のように報告しました。
 朝鮮は、アメリカをはじめとする外部の国や勢力からの核兵器攻撃をさせない強力な抑止力をきずいてきました。それは、金正恩委員長の提起する「人類の共通の念願である、核兵器なき世界の建設」の道でもあります。
 朝鮮が一貫して心底から平和、そして、非核化を追求していることを広く大衆にうったえ、朝鮮脅威論を払拭させなければなりません。朝鮮式社会主義こそ平和を希求し、平和を確立させうるものです。
 日本において、「平和は社会主義の本性的要求である」ことを、現実に実証しなければなりません。
 鎌倉先生の報告は、参加者全員の心をとらえるとともに、セミナー終了後も鎌倉先生の指摘がいかにタイムリーであったのかを実感しました。
 朝鮮にたいする意図的な誹謗中傷、攻撃、嫌がらせがあろうとも、三回におよぶ南北首脳会談、二回目が実現されようとしている朝米首脳会談は、確実に朝鮮戦争の終結と朝鮮半島を中心とする東アジアの平和と安定に直結することを確信しています。
 日本には、かつて東アジアを中心として侵略・植民地支配してきた歴史があります。とりわけ朝鮮半島において、日常の生活も、言葉も、名前も、さらには時間さえも奪いとる侵略行為をしてきたことにたいする反省のかけらもなく、安倍政権が意図的に「朝鮮脅威論」を唱えていることを、わたしたちの力を結集して払拭させていくことが求められています。
 鎌倉先生が指摘した、日本における「朝鮮脅威論の払拭」をはじめとして「朝鮮高校への授業料無償化実現と裁判闘争の勝利」、「朝鮮学校への支援体制の強化」、「身のまわりからの日朝友好運動の広がりと強化」など、わたしたちのやるべき課題はたくさんあります。
 大衆のなかにはいって意識をつくりあげていくことが大切であり、足元レベルのところで日朝友好運動の輪をもっと広げていかなければならないと思います。
 日本の課題に真正面からたちむかって勝利の展望を見いだしながら、多くの人たちとともにすすんでいくことがわたしたちの任務だと思います。

平壌市内の各施設を参観して

⑴トロリーバスによる平壌市内遊覧
 わたしたちは、高麗ホテルの近くにある平壌駅からトロリーバスに乗車して、40分ほど平壌市内を遊覧しました。市民の主な交通手段は線路付きのトロリー電車とタイヤで走るトロリーバス、そして地下鉄です。利用頻度はトロリーバスが圧倒的に多いようです。市内は今回、国家行事が間近のためか、道路両脇の街路樹もふくめてたいへんきれいに整備され整然としていました。街を歩く人たち、とくに若い女性の服装は個性にあふれ彩り豊かで軽やかな感じでした。
 2年前の2016年に訪朝したときと比べて、古いアパートがとり壊され、道路両脇ばかりでなく新たなアパートが多く建て替えられていました。二年前訪朝したときに、「わたしたちの国では、税金なし、医療費・教育費無料ばかりでなく、住む家のない人や働く場所のない人は誰もいません」と自信をもって言われていたことが納得できると、街並みの様子を見て実感しました。

⑵凱旋門
 これまで何度も平壌空港の往復、市内の移動のときなどに凱旋門を通過してきましたが、今回はじめて凱旋門の屋上にあがって市内を一望することができました。
 凱旋門は1925年から1945年まで、金日成主席を先頭に抗日武装闘争を中心とする民族解放闘争が勝利したあかしとして、1982年4月、主席生誕70周年に際して建設されたものです。平壌空港から一本線で伸びる凱旋通りにあって、文字通り平壌市内への玄関口として建てられています。
 大きさは高さ60m、屋上は約40m×50mあり思っていたよりかなり広く感じました。凱旋門の両柱やまわりには彫刻が施されており、きびしいたたかいから勝ちとった朝鮮人民の喜びと平和への決意が込められた、まさに不滅の記念碑としてそびえたっていました。

⑶玉流児童病院を参観
 玉流児童病院は、金正恩委員長の指導のもと2013年10月に建設され、現在は平壌市内に一ゕ所あるモデル地区となっています。敷地は延べ坪3万2800㎡です。
 6階建てで、1、2階が診療・検査室、3階には手術室、4階から6階が入院病棟です。院内はうすい青色を基調としており、アニメの絵がいたるところに描かれ、落ち着きのある雰囲気でした。入院患者にたいしては、保護者も一緒に入院できる施設や専属の教員が配置され一対一での個別授業もしていました。入院は主に小学生が中心とのことです。全国の11道、200市・郡の病院とネットワークでつながっており、遠隔治療指導も完備されています。

⑷万景台学生少年宮殿を参観
 万景台学生少年宮殿は1989年5月、学生たち(小・中学生)専門の課外活動センターとして設立されました。
 宮殿という名称には、金日成主席の子どもたちは国の宝であり王様であるという思いが込められています。
 金正恩委員長の指導により、2015年5月に八階建てで改築されました。建物は、親が両手を広げて子どもたちを抱え込む形に設計されています。
 学生たちは午前中、各学校で授業をおこない、午後は全員課外活動をおこないます。活動時間は一日三時間程度とのことです。
 学生少年宮殿は市内に二ゕ所あり、万景台学生少年宮殿では140の教室で課外活動がおこなわれ、毎日5000名の子どもたちが課外活動をしています。学校ごと、区域ごとでも課外活動はおこなわれています。
 実際に子どもたちが活動しているクラブを参観することができました。体育館でおこなわれていたバレーボールとバスケットボール、コンピュータ、刺繍、書道、アコーディオン、カヤグム、ダンス、新体操、民族舞踊、水泳のクラブを参観しました。
 また発表会に同席しました。すばらしい発表会場で、座席数は約1500~2000人、舞台装置もふくめて一流の公演ができる施設でした。発表会は毎週一回実施され、出席者は出演者の関係者と地域の人たち、市内の学校の子どもたちなどです。時間は約二時間で、演目は合唱、民族舞踊、ダンス、民族楽器、合奏などでした。
 朝鮮では2014年4月1日から、それまでの全般的11年制義務教育(就学前1年、初級学校[基礎教育4年]、中高一貫教育[6年])から、全般的12年制義務教育(就学前1年、基礎教育5年、初級中学校3年、高級中学校3年)を実施しています。
 朝鮮人民は、誰もが12年制無料義務教育をうける期間中に一つ以上の楽器を奏で、文学作品を制作し、芸術を鑑賞する文学芸術的素養をつちかうことが教育の目標として位置づけられています。

⑸平壌教員大学を参観
 平壌教員大学は、1968年9月に創立され、今年で50周年目をむかえるということです。学校の規模は、教職員と学生の約700人程度で、幼稚園と小学校の教員を主に養成しているとのことです。
 朝鮮は教育を重要視しており、金日成主席と金正日総書記の指導をもとにしたカリキュラムによる教員のレベルアップ、知識力・実践力強化を中心に教育の科学化、現代化、情報化を最重点にしているとのことです。
 平壌教員大学は金日成総合大学のような一流の人材を育てるのが目的ではなく、「人間の五感の育成を中心に、子どもを育てる教員の育成」という主席と総書記の「教育にたいする想い」が感じられました。
 それぞれの実習室でおこなわれていた授業を参観しました。パソコンを使用して、少人数グループによる形態で授業をおこなっていました。書道やスケッチの授業では、ピアノ実演による音楽を流しながら、リズムにあわせて実習をしていました。
 幼稚園教育では、一人ひとりが歌と体の表現による演技を先生に指導されながら授業をしていました。
 低学年からのロボット教育(設計の段階から制作・完成まで)、小学校5年生の社会科の授業で環境教育にたいする授業案の発表・検討もしていました。また、語学にも力をいれており、英語、ロシア語、中国語をとくに力をいれて教育しているとのことでした。
 評価法の研究と実践を重視しており、成績をプログラム化して子どもの知能を具体的、総合的に評価しているとのことです。学生が教員を評価する逆評価も授業の一環としてあるようです。
 家庭教育にたいする実践、実習を重視しており、子どもの教育にとって親は何が一番必要なのか、子どもにとって父母の考えが大事という観点で家庭教育を授業のカリキュラムに入れているということです。

⑹柳原靴工場を参観
 柳原靴工場は、1988年11月、朝鮮で最初の運動靴生産工場として設立され、モデル工場として位置づけられています。
 年間百数十万足を製造しており、その内の40%は競技選手用、30%は人民用、30%が地方からの注文に応じて製造しているとのことです。子ども用から大人用まで、各種の運動靴を色もふくめて多種多様に製造していました。
 製造過程では、それぞれ製造部門別に流れ作業になっていますが、各工程にはかならず人間による手直しがはいり、手間暇を考えると手づくりの靴といっても過言ではない丁寧さが感じられました。

⑺平壌鞄工場を見学
 金正恩委員長の指導のもと、子ども用の鞄を製造する工場として2017年1月に平壌鞄工場が設立されました。工場の形は、万景台学生少年宮殿と同じく、親が子どもを両手で抱えるような形に建築されています。
 年間30万個以上の鞄を製造しており、学生用は24万個、子ども用としては217種類の鞄を製造しています。
 子ども用鞄の製造に力を入れるのは、小さい時から自国のものをつかうという自覚をもつためということで、自国で生産した文房具などもふくめて子どもたちの意識づくりをねらっているということです。
 レーザー裁断機を使用し、自動的に材料を裁断して複雑な形も裁断可能であり、端切れをなくして効率的に製造することができます。
 最終仕上げのミシンをつかう工程では、作業場には音楽が流れ雰囲気のいい作業環境がととのえられていました。完成段階では厳重な強度試験が実施されており、安全面の保障が確立されています。また各地方の工場へ技術面での遠隔指導もおこなわれているとのことです。
 二、三年に一度は鞄のデザインをかえることにしているということで、そのために日常的に人民の意見を聞き、年間をとおして新しいデザインの創作づくりをおこなっているとのことでした。

⑻平壌化粧品工場を参観
 化粧品工場は平壌市内に二ゕ所ありますが、平壌化粧品工場は国営工場として1962年に設立されました。21世紀の要求にこたえ、世界にも通用するモデル工場として位置づけられています。人民のための工場として設立された二ゕ所の工場はつねに「品質の向上」をめざして競争しており、世界的にも有名で、国際市場にも輸出されているとのことでした。
 工場内はすべてオートメーション化されており、工場内部へはいるときは靴カバーと白衣を着ての参観でした。
 平壌化粧品工場では、機能性のある化粧品づくりにも力をいれています。また、化粧品だけでなく石けんや歯ブラシなども製造されていました。

⑼地下鉄を参観
 地下鉄の駅名にはその地域の想いが込められた駅名がつけられており、わたしたちが乗った地下鉄の駅は、戦後、廃墟のなかからつくりあげたという想いから「復興駅」と名づけられていました。
 ホームへ行くにはエスカレーターで地下へ降りるのですが、その高低差は100mはありました。ホームは15mほどの幅で、両側に線路があります。ホームにはまた、ニュースや音楽などの放送が流れ、ホームの中央には電車を待つ人たちのために、各種の新聞が掲示されていました。
 わたしたちが乗った列車は、国産製の新しい列車で、各車両にはテレビ画面がつけられており、温度、湿度、駅名が表示されていました。日本の列車よりも静かではやく感じられました。下車した駅は、「栄光駅」という駅でした。

国家行事・祝賀行事への参加

⑴平壌体育館での芸術公演
 男女別の交響楽団とコーラス隊が舞台の左右に配置され、二人の指揮者が交代で指揮をとっていました。男性楽団は軍人で構成され、一楽団は約100名、コーラス隊は約150名、総勢約500名による大型交響楽団による公演でした。公演時間は約90分でした。

⑵共和国創建70周年慶祝閲兵式および平壌市民パレード
 前段の閲兵式では、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会の金永南委員長が演説しました。
 慶祝閲兵式には、朝鮮人民軍の各種専門部隊(一部隊約300人)が全部で30数部隊の編成で行進し、その後、兵器の種類ごとの行進に移りました。2012年に訪朝したときの金日成主席生誕100周年慶祝閲兵式にくらべると、今回ミサイルなどはなく兵器自体の量は三分の一程度の規模に感じられました。
 平壌市民パレードはこれまでになく大規模なもので、10万人ほどが参加していたように感じました。参加団体はおおよそ30をこえ、それぞれの団体が創意工夫したスローガン・大型のつくり物をかかげてパレードしていました。


⑶大マスゲーム・芸術公演「輝かしい祖国」
 15万人収容の五・一メーデースタジアムで、大マスゲーム・芸術公演「輝かしい祖国」が開催されました。
 開始前に金正恩委員長ご夫妻が入場され、各国政府や国家の代表たちとともに首席壇で鑑賞されました。
 わたしは15万人収容の会場ははじめての経験でしたが、さすがの大きさにおどろきました。会場内の正面に位置づけられた背景(マスゲーム)には、中学生1万5000人が配置され、スローガンなどの文字ばかりでなく、自然の風景や人間の細かな動きなど一糸乱れぬ表現行動に感激しました。
 フロアーでは、これまでにはなかったプロジェクションマッピングによる迫力のある映像が展開され、また小・中・高の学生による入れ代わり立ち代わりの演技にはおどろくばかりでした。出演者は総勢で約5万人はこえていたように感じました。
 15万人の観客席はすべて指定席であり、海外からの参加者が約1000人ほどだとすれば、参加者のほとんどは創建70周年を祝賀するため全国から集まった朝鮮の皆さんであり、創建70周年をお祝いする熱い思いが伝わってきました。

学んだことを身のまわりの生活や運動に生かしていく

 今後、福島県内では、会津や福島市で日朝友好の集会が計画されています。会津は日朝友好会津地区会議の総会が企画されていますし、福島も毎年一回は日朝友好の集会・会議がおこなわれますから、訪朝報告会をおこなって日朝友好運動を広げていくことは必要だと思います。
 県外の朝鮮初中級学校をみると、40、50年の歴史のなかで子どもたちが少なくなって、そして休校になり、結果的にはそのまま廃校に追いやられてしまうという状況があります。しかし、学校があって一人でも二人でも子どもがいれば、かならずそこには親もふくめて新たに子どもがやってくるという状況もあるので、そういう意味では福島の朝鮮初中級学校もいまが一番のふんばり時だと思っています。
 2017年は情勢がたいへんきびしかったので、朝鮮初中級学校への支援金が集まりにくかったのではないかと思っています。2018年は1月1日に金正恩委員長が発表した「新年の辞」以降、2月の平昌オリンピック、そして4月の南北首脳会談、さらに6月の朝米首脳会談が成功裏におこなわれて現在にいたるということで、情勢的にはかなり変化をしているという状況です。
 情勢はかわりつつありますが、われわれが積極的に声をあげて訴え、広めていかないと支援金も集まらないと思います。昨年は目標額に達することができませんでしたが、今年は目標を達成し支援したいと思っています。
 なかなか機会がないなかで訪朝するということは貴重ではないかと思います。訪朝したなかで何を学ぶのかということも大切ですし、身のまわり、足元から運動をしていかなければ運動は広まらないと思います。
 学んだことを自分のものにするために学習をしながら、朝鮮初中級学校への支援金運動もふくめて、日朝国交正常化の運動もおこなっていかなくてはならないと思います。
 訪朝経験者でも、金正恩委員長が最高指導者として登場した2012年以降、まだ行かれていない人や訪朝未経験の方には、ぜひ一度は訪朝を経験してほしいと思っています。文字通り「百聞は一見にしかず」です。
 現在の日本国内を見ると、教育・医療・福祉の貧困さ、努力が報われない格差社会など、〝あたりまえ、あきらめ〟の社会を少しでもよくしていきたいと思っています。
 朝鮮は、いまは近くて遠い国になっていますが、朝鮮半島や東アジアの情勢の変革をもしっかり見すえつつ、身近にいる朝鮮初中級学校の子どもや朝鮮総聯の人たちをはじめ、在日朝鮮人の人たちとの交流を深めながら、朝鮮から何を学ぶのか、わたしたちの生活や運動にどのように活かしていくべきなのかを考えて活動していきたいと思います。