チュチェ偉業は燎原の火のように世界に拡がり勝利する

―「金日成主席を回顧する集い」が網走で開催される―

エゾスカシユリ

 7月13日、金日成主席逝去25周年に際して、金日成主席を回顧する集いが網走市において開催され、全国各地からチュチェ思想研究者70余名が参加しました。
 集いの冒頭、参加者全員による黙祷がおこなわれました。
 「金日成主席を回顧する集い」の第Ⅰ部では、チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長が報告をおこないました。
 尾上事務局長は、つぎのように述べました。
 「チュチェ偉業は燎原の火のように世界に拡がり勝利する」という本日のテーマは、金日成主席がわたしたちに1975年4月、話してくださった言葉です。
 主席が話された言葉がいまも生命力をもち生きつづけていることについて歴史を追いながら見ていきたいと思います。

自主時代の太陽 金日成主席
 金日成主席は、12歳のときから自分の身をささげて異国の山深い密林のなかで祖国の独立と解放のためにたたかい、朝鮮民主主義人民共和国を創建したばかりでなく、民衆中心のチュチェの社会主義を建設し強化発展させました。
 金日成主席のたたかいの本質を一言で言うならば、自主性のためのたたかいであったといえます。自主性を失い、他人に隷属するようになっては、人間とは言えず、国とも民族ともいえません。
 金日成主席の生涯は、人民を愛し信頼し、人民に依拠し、人民の自主性を完全に実現するためにすべてをささげた人生であったといえます。

1970年代、青年のまえに明るくひらけるチュチェの未来
 尾上事務局長は、1970年代初め、日本と世界の正しい進路を求めていた青年学生は、もっとも苦労している人々のなかにはいっていこうと草津にあるハンセン病療養所の栗生楽泉園を訪ね、そこで二重、三重の差別をうけて困難な生活を強いられていた在日朝鮮人の黄那さんや金夏日さんたちと知り合い、金日成主席を見出したと述べました。
 また、在日朝鮮人で忘れることができない人が金裕さんであると述べました。金裕さんは伊豆青年センターの建設や白峰社の設立などわたしたちの活動を積極的に助けてくれました。わたしたちは金裕さんとの強い絆を結び、かけがえのない同志、頼もしい先輩となりました。
 1975年、金日成主席にはじめて会見した日本青年チュチェ思想研究連絡協議会の責任者に金日成主席は、つぎのように励ましてくださいました。
 「一点の火花が燎原の火となるように、チュチェ思想の火はいまは小さくても、チュチェ思想は正しいのだから、まもなく大きな炎となって燃えあがるでしょう。わたしもこの偉大な事業をいま始めたばかりですが、この誇らしい道のりをともに歩みましょう。こんご多くの困難があっても、たたかいはかならず勝利します」
 青年たちはチュチェ思想を深く学習し、広範な人々のあいだに宣伝普及する活動を積極的におしすすめました。
 会報『チュチェ思想』を1972年から毎月発行し、理論誌『キムイルソン主義研究』が1977年に創刊されて現在170号に至っています。
 出版活動をおこなうために白峰社が設立され、チュチェ思想を学んでまもない諏訪政博さんは白峰社に入社して以来、亡くなるまで一貫して活動をおこないました。わたしたちは諏訪さんを忘れないために網走の地に「第一歩」と題するモニュメントを建てました。
 青年チュチェ思想研究会は、1974年から3人一組になり全国に派遣、移住をくりかえし、1977年3月には全国組織化を達成しました。
 金日成主席の偉業を継承発展させる金正日総書記の思想と活動に学ぼうと1994年2月にはキムジョンイル著作研究会全国連絡協議会が大阪で結成されました。2014年2月には金日成金正日主義研究全国連絡会が結成されました。
 そして金日成金正日主義を定式化し、民衆第一主義をかかげてたたかう新しい指導者である金正恩委員長に学ぶため金正恩著作研究会が2017年12月に大阪で結成されました。
 チュチェ思想を学ぶなかまたちは日本のなかでもっとも苦労している人たちのために活動しなくてはならないと考え、医療施設、保育所、高齢者介護施設をつくり運営してきました。

世界に拡がるチュチェ思想研究普及活動

小清水原生花園

 世界におけるチュチェ思想研究活動は1975年にペルーの首都リマで大陸規模のはじめてのチュチェ思想科学討論会がおこなわれ、1976年にはマダガスカルで大統領参席のもとチュチェ思想科学討論会がおこなわれました。
 1978年4月9日、東京でチュチェ思想国際研究所が創立されました。チュチェ思想国際研究所初代理事長の重責を担ったのは著名な国際法学者で原水爆禁止運動の先頭に立ってたたかった安井郁先生でした。
 安井郁先生は、訪朝した1977年9月、金日成主席の会見を受ける日の朝、「一生かけて 抱きつづけし この夢を わが若きらに 託し目守らむ」という短歌を詠んで、先生が生涯をかけて願っていた世界平和を実現するという夢をチュチェ思想を学ぶ青年たちに託したのです。
 チュチェ思想国際研究所の理事長は安井郁先生亡き後、オーストリアの国際法学者であるハンス・クレカツキー教授、立教大学の井上周八教授、インドのジャーナリストで実業家でもあるビシュワナス氏が務め、現在はメキシコの学者で市会議員も歴任したラモン・ヒメネス・ロペス教授が務めています。
 今年2月にはメキシコの下院会館でチュチェ思想全国セミナーが開催され430余名が参加しました。メキシコのチュチェ思想研究者は大衆のなかにはいって人民のために献身するMORENA(国家再生運動)のなかで積極的に活動し、チュチェ思想を広め活かすために努力しています。
 今年6月29日にはモンゴルの首都ウランバートルにおいてアジア地域チュチェ思想研究所の理事会とセミナーが開催され、日本から神戸市外国語大学の家正治名誉教授が参加しました。

領袖の愛と信頼のなかで

ハナマス

 金日成主席の思想や人民への思いは、人民のなかに、われわれのなかに深く息づいています。
 わたしはこれまでに国際金日成賞、国際金正日賞などさまざまな勲章を授与されました。これは一個人にたいする配慮ではなく日本と世界のチュチェ思想研究者への愛と信頼の表れに他なりません。
 いま金正恩委員長は、世界でもっとも偉大な指導者としての姿を示し、歴史的業績を積み上げています。
 金日成主席がきり拓いたチュチェ偉業は、金正日総書記によってひき継がれ、金正恩委員長によって高い段階に発展し、燎原の火となって世界に拡がり、最終的勝利を迎えるでしょう。



日本と世界の人民の心のなかに生きつづける金日成主席
―宴会で歌と挨拶―


 「金日成主席を回顧する集い」の第2部では、宴会がおこなわれました。
 はじめに朝鮮大学校の韓東成学長が、金日成主席がみなさんの心のなかに生きていることを深くきざむことができました、チュチェ思想研究普及活動をますます発展させるためにいっそう邁進していく決意をともにしながら乾杯しましょうと乾杯の音頭をとりました。
 つぎに在日本朝鮮人総聯合会北海道本部の丁聖漢委員長が来賓の挨拶をおこない、つぎのように述べました。
 金日成主席が逝去され、四半世紀の歳月がすぎましたが、朝鮮人民と在日同胞はもとより世界の進歩的人民から自主と社会主義偉業の偉大なる指導者として尊敬をうけ、チュチェ思想の創始発展と独自の社会主義建設の実践における輝かしい業績により、金日成主席はわたしたちの心のなかに永遠に生きつづけておられます。
 わたしは日本政府が激変する朝鮮半島情勢を正確に判断し、日朝平壌宣言の履行による自主的外交努力を傾け、過去の不幸な歴史を清算し、未来志向的に日朝関係改善に取り組むことを強く望んでいます。
金日成主席を回顧する集い」がみなさまの活動においてさらなる前進の契機となることを確信するとともに、ご健勝を祈念し挨拶といたします。
 「金日成主席を回顧する集い」には、北海道日朝連帯道民会議の井上歳郎会長、金日成金正日主義研究関東連絡会の花輪不二男共同代表から祝賀のメッセージが寄せられました。
 つづいてモンゴルの詩、中国の歌、ブルガリアの歌が各国からの参加者によって披露されました。
 つぎに石井ポンぺ氏がアイヌ民族の伝統芸能であるムックリを演奏しました。
 また沖縄の民謡、そして朝鮮の歌が披露されました。
 最後に、会場から発言があり、名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程のスフバートル・モロム氏がチュチェ思想国際研究所事務局長の報告を聞いて、チュチェ思想がなぜ日本と世界で学ばれるようになったのかを理解することができた、モンゴルでもチュチェ思想が求められていると思うと述べました。
 その後、沖縄、長野、静岡から参加したチュチェ思想研究者の発言がありました。
 「金日成主席を回顧する集い」は参加者に金日成主席がいまも生きつづけており、チュチェ偉業は勝利するという確信を抱かせるものとなりました。


チュチェ偉業に関する講演会


 7月14日、チュチェ偉業に関する講演会が網走市において開かれ、全国各地のチュチェ思想研究者が参加しました。
 講演会では、朝鮮大学校の韓東成学長が「朝鮮半島の自主化とチュチェ思想」と題して講演しました。
 講演は「朝米板門店対面と世界自主化理論」と「チュチェ思想とその朝鮮における具現」の二つのテーマでおこなわれました。
 学長はつぎのように述べました。
 6月30日におこなわれた板門店での朝米首脳対面は電撃的でおどろくべき出来事でした。それは、朝鮮半島の非核化というよりも朝鮮半島の自主化のための大きな扉をひらくものであると考えます。
 金正恩委員長の主導的な攻勢と措置により、板門店での対面がもたらされたのです。
 分断と対決の象徴であった板門店で、朝米の首脳が境界線を行き来し、会談を行ったこと自体、歴史的に大きな意義があるといえます。
 金正恩委員長の思想理論的な業績を二つあげるならば、一つは金日成金正日主義の定義であり、二つは金日成金正日主義の本質を人民大衆第一主義としたことにあります。
 金正恩委員長は、朝鮮労働党の指導思想を金日成金正日主義と宣布し、それはチュチェの思想・理論・方法の全一的体系であると定式化しました。
 金日成主席は「以民為天」を座右の銘とし、金正日総書記は「人民に服務せん」を指導の基本としていました。
 金正恩委員長は人民大衆第一主義を提唱し、それを指導思想の地位にまで高めたといえます。
 金正恩委員長は、人民大衆第一主義を、人民大衆を革命と建設の主人とみなし、人民大衆に依拠し、人民のために滅私奉仕する政治理念であると規定しています。また人民にたいする滅私奉仕を党の存在方式とし、「すべてを人民のために、すべてを人民大衆に依拠して」のスローガンをかかげ、それらをみずから実践しています。
 金正恩委員長の著作と発言、とくに自らの活動にたいする総括や決意表明、また心あたたまる現地指導のエピソードをつうじて人民大衆第一主義の真髄にふれることができます。
 講演後、会場から発言がありました。
 講演会は、チュチェ思想を具現して民衆第一主義を実践する金正恩委員長の卓越した指導とその活動を理解するうえで意義あるものとなりました。

チュチェ思想国際研究所初代理事長の歌碑を訪ねる


 7月14日、全国各地から集まったチュチェ思想研究者は、網走にあるチュチェ思想国際研究所初代理事長の歌碑と諏訪政博さんのモニュメントを訪ねました。
 ノトロ湖畔にある歌碑とモニュメントの前でアイヌ民族の伝統的な儀式であるイチャルパ(供養)がおこなわれました。
 参加者は世界の平和を実現するためにチュチェ思想を研究普及する歴史的な事業を後代に託した安井郁先生の遺志を受け継ぎ、いっそう活動を積極的におし進めていく決意をかためました。
 参加者は、網走滞在中、自然の美しい花が咲き誇る小清水原生花園、自然の命の輝きを伝えるオホーツク流氷館などを参観しました。