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7月13日、
集いの冒頭、参加者全員による黙祷がおこなわれました。
「
尾上事務局長は、つぎのように述べました。
「チュチェ偉業は燎原の火のように世界に拡がり勝利する」という本日のテーマは、
主席が話された言葉がいまも生命力をもち生きつづけていることについて歴史を追いながら見ていきたいと思います。
自主時代の太陽
1970年代、青年のまえに明るくひらけるチュチェの未来
尾上事務局長は、1970年代初め、日本と世界の正しい進路を求めていた青年学生は、もっとも苦労している人々のなかにはいっていこうと草津にあるハンセン病療養所の栗生楽泉園を訪ね、そこで二重、三重の差別をうけて困難な生活を強いられていた在日朝鮮人の黄那さんや金夏日さんたちと知り合い、
また、在日朝鮮人で忘れることができない人が金裕さんであると述べました。金裕さんは伊豆青年センターの建設や白峰社の設立などわたしたちの活動を積極的に助けてくれました。わたしたちは金裕さんとの強い絆を結び、かけがえのない同志、頼もしい先輩となりました。
1975年、
「一点の火花が燎原の火となるように、チュチェ思想の火はいまは小さくても、チュチェ思想は正しいのだから、まもなく大きな炎となって燃えあがるでしょう。わたしもこの偉大な事業をいま始めたばかりですが、この誇らしい道のりをともに歩みましょう。こんご多くの困難があっても、たたかいはかならず勝利します」
青年たちはチュチェ思想を深く学習し、広範な人々のあいだに宣伝普及する活動を積極的におしすすめました。
会報『チュチェ思想』を1972年から毎月発行し、理論誌『キムイルソン主義研究』が1977年に創刊されて現在170号に至っています。
出版活動をおこなうために白峰社が設立され、チュチェ思想を学んでまもない諏訪政博さんは白峰社に入社して以来、亡くなるまで一貫して活動をおこないました。わたしたちは諏訪さんを忘れないために網走の地に「第一歩」と題するモニュメントを建てました。
青年チュチェ思想研究会は、1974年から3人一組になり全国に派遣、移住をくりかえし、1977年3月には全国組織化を達成しました。
そして
チュチェ思想を学ぶなかまたちは日本のなかでもっとも苦労している人たちのために活動しなくてはならないと考え、医療施設、保育所、高齢者介護施設をつくり運営してきました。
世界に拡がるチュチェ思想研究普及活動
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小清水原生花園
世界におけるチュチェ思想研究活動は1975年にペルーの首都リマで大陸規模のはじめてのチュチェ思想科学討論会がおこなわれ、1976年にはマダガスカルで大統領参席のもとチュチェ思想科学討論会がおこなわれました。
1978年4月9日、東京でチュチェ思想国際研究所が創立されました。チュチェ思想国際研究所初代理事長の重責を担ったのは著名な国際法学者で原水爆禁止運動の先頭に立ってたたかった安井郁先生でした。
安井郁先生は、訪朝した1977年9月、
チュチェ思想国際研究所の理事長は安井郁先生亡き後、オーストリアの国際法学者であるハンス・クレカツキー教授、立教大学の井上周八教授、インドのジャーナリストで実業家でもあるビシュワナス氏が務め、現在はメキシコの学者で市会議員も歴任したラモン・ヒメネス・ロペス教授が務めています。
今年2月にはメキシコの下院会館でチュチェ思想全国セミナーが開催され430余名が参加しました。メキシコのチュチェ思想研究者は大衆のなかにはいって人民のために献身するMORENA(国家再生運動)のなかで積極的に活動し、チュチェ思想を広め活かすために努力しています。
今年6月29日にはモンゴルの首都ウランバートルにおいてアジア地域チュチェ思想研究所の理事会とセミナーが開催され、日本から神戸市外国語大学の家正治名誉教授が参加しました。
領袖の愛と信頼のなかで
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ハナマス
わたしはこれまでに国際
いま
日本と世界の人民の心のなかに生きつづける金日成 主席
―宴会で歌と挨拶―
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「
はじめに朝鮮大学校の韓東成学長が、
つぎに在日本朝鮮人総聯合会北海道本部の丁聖漢委員長が来賓の挨拶をおこない、つぎのように述べました。
わたしは日本政府が激変する朝鮮半島情勢を正確に判断し、日朝平壌宣言の履行による自主的外交努力を傾け、過去の不幸な歴史を清算し、未来志向的に日朝関係改善に取り組むことを強く望んでいます。
「
「
つづいてモンゴルの詩、中国の歌、ブルガリアの歌が各国からの参加者によって披露されました。
つぎに石井ポンぺ氏がアイヌ民族の伝統芸能であるムックリを演奏しました。
また沖縄の民謡、そして朝鮮の歌が披露されました。
最後に、会場から発言があり、名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程のスフバートル・モロム氏がチュチェ思想国際研究所事務局長の報告を聞いて、チュチェ思想がなぜ日本と世界で学ばれるようになったのかを理解することができた、モンゴルでもチュチェ思想が求められていると思うと述べました。
その後、沖縄、長野、静岡から参加したチュチェ思想研究者の発言がありました。
「
チュチェ偉業に関する講演会
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7月14日、チュチェ偉業に関する講演会が網走市において開かれ、全国各地のチュチェ思想研究者が参加しました。
講演会では、朝鮮大学校の韓東成学長が「朝鮮半島の自主化とチュチェ思想」と題して講演しました。
講演は「朝米板門店対面と世界自主化理論」と「チュチェ思想とその朝鮮における具現」の二つのテーマでおこなわれました。
学長はつぎのように述べました。
6月30日におこなわれた板門店での朝米首脳対面は電撃的でおどろくべき出来事でした。それは、朝鮮半島の非核化というよりも朝鮮半島の自主化のための大きな扉をひらくものであると考えます。
分断と対決の象徴であった板門店で、朝米の首脳が境界線を行き来し、会談を行ったこと自体、歴史的に大きな意義があるといえます。
講演後、会場から発言がありました。
講演会は、チュチェ思想を具現して民衆第一主義を実践する
チュチェ思想国際研究所初代理事長の歌碑を訪ねる
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7月14日、全国各地から集まったチュチェ思想研究者は、網走にあるチュチェ思想国際研究所初代理事長の歌碑と諏訪政博さんのモニュメントを訪ねました。
ノトロ湖畔にある歌碑とモニュメントの前でアイヌ民族の伝統的な儀式であるイチャルパ(供養)がおこなわれました。
参加者は世界の平和を実現するためにチュチェ思想を研究普及する歴史的な事業を後代に託した安井郁先生の遺志を受け継ぎ、いっそう活動を積極的におし進めていく決意をかためました。
参加者は、網走滞在中、自然の美しい花が咲き誇る小清水原生花園、自然の命の輝きを伝えるオホーツク流氷館などを参観しました。