EUと朝鮮にみる2つの政治モデル

フランス、ルネデカルト大学名誉教授

エドモン・ジューブ

尊敬する代表のみなさん。

親愛なる友人のみなさん。

自主性にたいする人類の志向が日ごとに高まっている激動の時期に、ブルガリアのソフィアで「自主と自主権、国際協力」というテーマで、ヨーロッパ地域チュチェ思想セミナーが開かれたことは重要な意義をもちます。

ヨーロッパ地域におけるチュチェ思想研究者の大きな期待と関心のなかで開幕した本セミナーは、ヨーロッパ諸国の自主と自主権、国際協力の実現を新たな段階へと前進させ、自由で繁栄するヨーロッパを建設するうえで重要な契機となるでしょう。

わたしは、ヨーロッパ・チュチェ思想研究学会を代表して、本セミナーが成功裏におこなわれるよう尽力されたブルガリアの同志と友人に崇高な敬意と深い感謝の意を表します。

そして、本セミナーに参加された代表のみなさんと、日頃からヨーロッパの自主と自主権、国際協力のために多くの努力をかたむけておられる各国の友人たちに熱烈な祝賀の挨拶をおくります。

わたしは、本セミナーがヨーロッパの自主と自主権、国際協力のための活動で意義深い出来事として歴史にきざまれるだろうと確信しながら、これから「EUと朝鮮にみる2つの政治モデル」というテーマで報告したいと思います。

ヨーロッパ諸国と朝鮮の指導者はともに、ヨーロッパを自主と平和、相互協力の地域にし、誇るべき長い歴史と伝統をもつヨーロッパがグローバル化の波から脱し、固有の要求と利益にそって前進することを願っていることでしょう。ヨーロッパ諸国と朝鮮は自国がめざす社会モデルを考察するうえで自主性と平和をもっとも重視しています。

チュチェ思想に関する本セミナーは、人民の自主性実現をめざす人類の念願が日ごとに高まっている時期に開催されています。朝鮮とヨーロッパの2つの政治モデルを比較しながら、チュチェ思想、金日成金正日主義の研究をいっそう強めなければならないことについて提起します。

1、朝鮮のモデル

チュチェ思想、金日成金正日主義はこんにち、世界の自主化をめざす闘争の指導指針となっています。

金正日総書記は「チュチェ思想は、自主性を志向する世界人民の共通の願望を反映しているため、自主の新しい世界を創造するわれわれの時代の革命運動の発展に大きな影響をおよぼしています」と述べています。

自主性は人間の本性であり、自主性を擁護することは時代の基本趨勢です。

自主性を擁護する人間の本性的な要求とわたしたちの時代の基本趨勢を反映して生まれた思想がほかならぬチュチェ思想です。

チュチェ思想は、自主性と創造性、意識性をもつ社会的存在である人間の本質的特性にたいする新たな科学的な解明にもとづいて、人間があらゆるものの主人でありすべてを決定するという哲学原理を解明し、世界の主人、自己の運命の主人として人々がもつべき見解と観点、立場を全面的に明らかにしています。

チュチェ思想は人民大衆の自主性を実現するための革命思想です。

チュチェ思想は人民大衆が社会歴史の主体であり、人類の歴史は人民大衆の自主性の実現をめざす闘争の歴史であることを新たに解明し、自主性の実現をめざす闘争の目標と課題、その実現のための原則と方途など、人民大衆の自主性を実現するうえで提起されるすべての問題に完璧な科学的解答をあたえています。

チュチェ思想は、自主的な新世界建設の道をしめす不滅の旗じるしです。

人民大衆の自主偉業は民族的偉業であると同時に国際的な偉業です。

国と民族の自主性が保障されるには、かならず世界の自主化が実現されなければなりません。

チュチェ思想は世界の自主化を、人民大衆の自主性の実現を全世界的な範囲でめざす闘争の中心課題として提起し、その実現における諸問題に全面的な解明をあたえています。

世界を自主化するための闘争は帝国主義、植民地主義を一掃し、すべての国と民族の自主権を完全に実現し、自主性にもとづく国際関係を確立し、国際社会を民主化するための闘争です。

世界が自主化されれば、新たな世界戦争を防止し、世界の強固な平和を維持することができ、すべての国と民族が独立し、繁栄する新社会を建設して人民大衆の自主性を完全に実現できる広い道がひらかれるようになるでしょう。

チュチェ思想によって、自主的な新世界建設に関する戦略戦術がしめされることにより、人民大衆の自主性の実現における重大な思想理論的課題がりっぱに解決され、人民大衆の自主偉業の最終的勝利の明るい展望をもたらすことができました。

じつに、チュチェ思想は現代と人類の永遠の未来を代表する生と闘争の指針であり、人民大衆の自主性を完全に実現するための真の道をしめした最高峰の革命思想です。

チュチェ思想の正当性と生命力はすでに朝鮮革命の実践をとおしていかんなく証明されました。

朝鮮はチュチェ思想の栄えある祖国であると同時に、チュチェ思想が現実として開花した尊厳ある強力な社会主義国家です。

朝鮮人民はチュチェ思想をたたかいの指導思想とすることによって、植民地奴隷の鉄鎖をたちきり、強大な2つの帝国主義をうちやぶり、国の自主権を守りぬき、2つの段階の社会革命を成功裏に遂行し、社会主義建設を力強く前進させて、人民大衆中心の新社会、すなわち自主、自立、自衛の社会主義強国をきずくことができました。

朝鮮人民が短期間のうちに自主、自立、自衛の社会主義強国をきずくことができたのは、チュチェ思想が前途を照らしたからです。

こんにち、政治における自主、経済における自立、国防における自衛を徹底して実現した国は朝鮮しかありません。

国の自主権を堅持し持続的発展をはかるためには国家自体の強固な土台がなければなりません。みずからの足で歩む経済力と自力で自身を守る防衛力がなければ、自主的な政治を実現することはできず、富国強兵を実現することもできません。

自力で生きていくことは張り合いがあり正しい道です。しかし多くの国々が他国に依存しているのは、自力で生きていくためには幾多の困難を克服しなければならないからです。覇権を追求する列強の熾烈な争いのなかで、国家の自主的発展の道を1貫してすすむことは容易ではありません。かつて、独自性を志向していた国々が大国追従におちいる基本要因の一つは、自力ですすもうとするときにあらわれる困難をのりこえることができないと考えるからです。

歴史的にみるならば、帝国主義者、支配主義者の攻撃の矛先は、自主の砦である朝鮮に集中してむけられてきました。しかし、朝鮮人民は帝国主義者の挑戦と圧力のなかでも、自力更生の原則にもとづいて正義を守り、社会主義の前途をきり拓く歴史的任務と課題を遂行してきました。

自力更生の真理性と威力は朝鮮革命の全過程で如実に証明されました。たびかさなる制裁封鎖にたいして自強力を強化する独自の発展の道にそって力強くすすんできた朝鮮は、他の国々が数世紀という長い時間をかけて歩んできた道のりを、強大な力をたくわえながら短期間に発展をなしとげました。

世界において経済建設と国防建設の並進路線を国の政策としてうちだし、成功裏に実現した例はありません。そればかりか、小国が恒常的な戦争の脅威と封鎖をうけ、また資本の誘惑を排撃しながら、自力で国家を維持発展させることなど想像すらできなかったでしょう。いま、発展途上にある多くの国々が大国の商品市場、兵器市場にさせられているなかにあって、自立経済の土台を確固ときずき、通常兵器ばかりか戦略兵器にいたるまで自国で生産している国は朝鮮だけです。

まだ経済技術的に解決すべき問題が少なからずあるとはいえ、朝鮮の国力は今後かぎりなく大きくなることでしょう。

いかなる力も朝鮮がすすむ道を妨害することもできず、経済を破綻させることもできず、全人民的な防御体制をうちこわすこともできません。強力な自立的民族経済と自衛的国防力をそなえていることにより、朝鮮は発展への明るい展望をもち、いま、大きな国際的影響力をあたえています。

既存の政治概念や経済学的な数字としてははかることのできないチュチェ朝鮮の底力とかぎりない発展の潜在力は、ほかならぬ自力更生に源があります。

人々の耳目を集め驚嘆をよびおこす朝鮮の勝利と気概はすべて、チュチェ思想がもたらした貴い結実です。

チュチェ思想は人類の共通した念願を反映していることにより、進歩的人民の一致した支持と共感をえています。

自主と独立、進歩に大きな関心をもつ世界の広範な人士と人民は、チュチェ思想は「現代の前途をしめす不滅のたいまつ」「自主偉業を勝利へと導く偉大な指導思想」であるといいながら、チュチェ思想を心からうけ入れ、その旗じるしのもとに自主の新世界を創造しています。

チュチェ思想は公認された時代的思潮となっており、歴史の前進とともにその牽引力と変革的意義はさらに大きくなっています。

2、ヨーロッパのモデル

1950年、フランスの外相ロベール・シューマンが、フランスと西ドイツの石炭・鉄鋼産業を共同管理することをまとめた声明であるシューマン宣言を発表しました。シューマン宣言の冒頭でシューマンは、「世界平和はこれをおびやかす危険に対応しうる創造的な努力なしに守ることはできない」と指摘しています。

ヨーロッパ諸国は共通する重要な問題にたいして団結しなければならず、見解や立場も一つにならなくてはなりません。

ド・ゴールをはじめとする一部の人々は、シューマン宣言の指摘した内容にたいして、現実はまだそこにいたっておらず程遠い状況にあると述べています。

実際にヨーロッパでは自治が不足しています。

2019年5月9日、ヨーロッパはEU(欧州連合)の創立宣言発表69周年を迎えました。シューマン宣言が発表された5月9日はEUによりヨーロッパの日と呼ばれており、EUの起点とみなしています。

シューマン宣言につぎのように記されています。

「フランス政府は、仏独両国の石炭および鉄鋼のすべての生産を、他の欧州諸国にも参加の道を開放している機関の枠内で、共同の最高機関の下にプールすることを提案する」

「石炭および鉄鋼のプール化は、ただちに欧州連邦の第一歩として経済発展の共通基盤の確立を保証する」

このときからすでにあらわれている兆候の一つは、ヨーロッパの共同体がアメリカの影響下におかれるということです。

シューマン宣言のもととなる構想を提起し、こんにち欧州統合の父ともいわれるジャン・モネは、フランスの計画庁長官(1945~1952)として戦後のフランスの復興にあたっていました。

しかしジャン・モネは、1920年代は、アメリカでバンクオブアメリカの副社長に就任し、サンフランシスコで財をなしますが、大恐慌で財産を失うというような経歴をもっています。

第二次世界大戦時には、フランス国籍であるにもかかわらず、イギリスの行政官としてアメリカにわたり兵器の購入の交渉にあたりました。

ジャン・モネの回想録によれば、前半生が経済的な面で力を発揮したとすれば、しだいに政治的な地位をえて活動するようになったといえます。またモネはみずから歩んだ経験や環境から、アメリカの利益が損なわれることを望まなかったといえます。

しかし、1958年第5共和政を成立させたド・ゴール(第一8代大統領)や一部の人々は、フランスがアメリカの支配下にあるNATO(北大西洋条約機構)に加盟してはいてもアメリカの影響をうけることを拒否しました。

ド・ゴールの影響のもと、ヨーロッパはいっそう大きな自治権をもつようになりました。

パリ条約(1951年、欧州石炭鉄鋼共同体を設立する条約)とローマ条約(1957年、欧州共同体、欧州原子力共同体設立条約)は、ド・ゴールにとってとりわけ気にいらないものでした。

シューマン宣言が発表されて10日経って、フランス人民連合委員長はつぎのように宣言しました。

「ド・ゴールなら新たな経済をつくるべきというであろう。共同体の形成を口実にして、行く先もわからずに石炭と鉄鋼の共同市場の創設を提起している。反対意見がふえている。欧州石炭鉄鋼共同体(CECA)は土台も、民主主義的な責任性もない。いかなる場合にもCECAはヨーロッパに代わることができない。その共同体は形式にすぎず、あわれな崩壊へと導かれるように見える」

1958年にド・ゴールがふたたび政権に就くと(政府主席、1959年大統領就任)、フランスが6?国からなる共同市場を発展させるために努力しました。彼はまず自国の市場保護がはびこらないようにしました。またフランスが巨大な自由交換地域に融解されないようにしました。

ド・ゴールは自治が広範囲に拡大する一つのヨーロッパを実現するために努力しました。彼は発達した古い歴史をもつ大陸(ヨーロッパ)がトロイの木馬の役割を果たすイギリスによって直接的に、アメリカの従属下におかれることを拒否しました。

1963年1月、ド・ゴールはその施策の結果についてつぎのように言及しました。

「イギリスは現状況では共同市場に加盟できない。反面、共同市場はすぐヨーロッパ共同体を吸収する一つの大きな大西洋共同体にかわることができる。それゆえ、イギリスとアメリカがわれわれの共同体にはいりこめないようにすべきである」

国防問題でもド・ゴールは同じような発想で予防策を構想しました。

「もちろん、旧大陸(ヨーロッパ)と新大陸(北米大陸)は連合して団結すべきである。こうした連合は新大陸と旧大陸が協調することになるが、ヨーロッパ諸国を疎外するものとなってはならない。ヨーロッパは責任性をもたなければならない。そしてこの共同体はソ連の野心と脅威がつづくかぎり、東からの支配の脅威が存在するかぎり、こんにち必要なのである…しかし連合は永遠なものではない」

フランスはその後、北大西洋条約の政治機構には残りながらも1966年に軍事機構(NATO)からは脱退しました。ド・ゴールは「超国家的な名目であった統合または大西洋主義の看板であったわれわれをアメリカの指揮下におこうとするすべての体系が除去されなければならない」と考えました。

今日のヨーロッパの自主は明日の大きなヨーロッパの実現を示唆しています。自主はそれを可能にするでしょう。東への開放政策においてはいまから自主をうちたてるべきです。

1969年にド・ゴール将軍が政界をはなれた後、フランスの指導者は大西洋の安全保障に関心をもつようになりました。彼らはイギリスが共同市場に加盟することをうけ入れ、ヨーロッパ共同体が拡大して6?国から27?国へとふえるようにしました。

アメリカはふたたびヨーロッパの大きな共同体を統制することができるようになりました。

アメリカはフランスがふたたびNATOに復帰するようにしました。言いかえれば、ヨーロッパを一つの自主的共同体としてつくるためにかたむけたド・ゴールの努力は一部徒労に終わってしまいました。

3、朝鮮の国際的地位は高まり対外関係は発展する

ヨーロッパ諸国と朝鮮民主主義人民共和国は根本的には対立していないことは明白です。EUは朝鮮と外交関係をむすんでいます。朝鮮が国連に加盟した後、国際社会の一員として参与できると評価されているからです。

フランスの場合、朝鮮との関係において少し特殊な面があります。フランスは貿易取り引きで朝鮮との関係を最初にむすんだ国の一つです。こんにちにいたるまで、フランスにはユネスコ(国連教育科学文化機関)の本部があり、ユネスコ駐在大使を兼任する朝鮮の総代表部が駐在していますが、朝鮮と大使級の関係はむすんでいません。

しかし、久しいまえからド・ゴールの友人の1人で、以前、情報大臣を務めたルイ・テノワールの名前をチュチェ思想塔の大理石のプレートに見いだすことができます。

彼は、1981年2月に、金日成主席の招請で、当時、大統領候補であったフランソワ・ミッテランを連れて朝鮮を訪問しました。

彼らは金日成主席の接見をうけました。ミッテランは後に主席について「多くの常識と現実主義」をもっている方であると述べていました。その後、1981年5月10日、ミッテランが大統領に当選したとき、最初のお祝いのメッセージの一つは朝鮮からおくられてきました。

それから28年後の2009年10月に、ニコラ・サルコジ大統領は元文化相のジャック・ラングを特使として朝鮮に派遣しました。ジャック・ラングは2009年12月に下院外交委員会に朝鮮訪問の報告書を提出しました。

その機会にフランスは平壌に「人道的、文化的、言語的協力常設代表部」を設けることを提案しました。

このような経緯をみれば、いずれはフランスと朝鮮のあいだに完全な外交関係が樹立されるでしょう。しかし、実際に正式な外交関係がむすばれるまでには、解決すべきさまざまな問題が存在しています。

朝鮮は独創的な政策を実施しています。朝鮮が実施している政策はみずからがうちだしたものです。それゆえ、国連憲章にてらして、わたしたちは朝鮮の自決権を守る政策を尊重せざるをえません。

朝鮮は世界のなかで自主的な姿を示すために、自決権にたいする要求をもっとも貴重なもの、生命として位置づけ、それを尊重させる方途を模索しています。わたしたちにはこのような朝鮮の姿勢を非難する権利は何もありません。

アメリカやそれに追随する国は、朝鮮が国際社会に参画しないようにしています。アメリカの元大統領のビル・クリントンは朝鮮を訪問し、バラク・オバマは特使を派遣し、トランプは国務長官を派遣しました。

2008年2月にニューヨーク・フィルハーモニックが平壌で演奏公演をおこないました。それは春を告げるツバメのようでした。楽団の指揮者ロリン・マゼールは、平壌公演について「他国の人民にたいするある人民の親善と善意の表示」であると言いました。

わたしは1983年から2018年までに17回朝鮮を訪問しており、朝鮮人民がどんなに平和を望んでいるかを直接見てよく知っています。

いままで考察した2つの政治モデルを比較したとき、今後われわれが解決すべき重要課題は、ヨーロッパの自主と自主権、国際協力を実現することであるといえます。

ヨーロッパ人民が自主的な生活を享受しようとするならば、自己の自主性と自主権を擁護しなければならないし、国際的な協力を実現しなければなりません。

こんにち、EUのなかのいくつかの国々でアメリカの専横と独断を排し、自主的なヨーロッパを建設しようとする動きがあらわれています。

結び

ヨーロッパの自主と自主権、国際協力を実現するためには、チュチェ思想研究普及活動をさらに積極化、大衆化しなければなりません。

朝鮮革命の実践をとおして証明されたチュチェ思想の真理性を深く研究し、チュチェ思想をヨーロッパの実情に即して適用していくとき、ヨーロッパの自主と自主権、国際協力が実現できます。

わたしたちは時代の先駆者、先進思想を研究普及する者としての栄誉ある使命と時代的要求を深く自覚し、チュチェ思想研究普及活動をさらに力強くくりひろげるべきです。

チュチェ思想研究普及活動を広範な大衆のなかでよりいっそうくりひろげることにより、大衆自身がチュチェ思想の真理を確固たる信念とし、積極的に研究し普及する人になるようにすべきです。

同時にチュチェ思想の原理が、各国と地域、全世界における自主偉業の実践と密接に結合することにより、実践の強力な武器としてのチュチェ思想の生命力を十分に発揮させるべきです。

チュチェ思想研究普及活動を代を継ぎながら、さまざまな形式と方法で斬新かつ積極的におこなうことが重要です。

チュチェ思想研究普及活動を恒常的におしすすめ、たえず発展させるためには、より進取に富み情熱的な若い人材を組織し、世代を継いでいくことに当然の関心をはらうべきです。

青年たちのあいだでチュチェ思想研究普及活動を強化し、とくにチュチェ思想の原理を理解し、たくみに理論展開できる中核をりっぱに育成し、彼らの役割を高めることが切実な課題として提起されます。

必勝の信念と闘志、未来への楽観をもってあらゆる妨害と困難を粉砕しながら、チュチェ思想の旗じるしのもとにヨーロッパの自主と自主権、国際協力を実現するために、ともに力強くたたかっていきましょう。