「今日のための今日に生きるのでなく明日のための今日に生きよう」に学ぶ


金日成・金正日主義研究福島連絡会代表

住谷圭造

金正恩委員長が指導者として登場して以来、朝鮮民主主義人民共和国は国連制裁決議による経済制裁包囲網のなか、他に例を見ないすばらしい社会主義建設にむけた発展をとげています。

とりわけ、2018年1月1日に金正恩委員長が「新年の辞」を発表して以降、朝鮮半島をめぐる情勢は、朝米関係、南北統一問題をはじめ歴史的な変化が生まれています。

なぜ金正恩委員長が朝鮮をこのように大きく発展させているのかということを深めていくうえで、金正日総書記に学ぶことが重要であると考えました。金正恩委員長が指導する体制を支えている基盤は、金正日総書記の時代に整備された基盤にあることをふまえ、「金正日総書記の生き様」から学ぶことが重要だと考えます。

今回は、金正日総書記がおこなった朝鮮労働党中央委員会責任幹部への談話「今日のための今日に生きるのではなく、明日のための今日に生きよう」(1996年1月14日)を読みながら、チュチェ思想の底流に流れる「幹部の思想性」について学んでいきたいと思います。

金正日総書記の覚悟(思想の中核)

最初にこの著作を読んだときには気がつきませんでしたが、何度か読みこんでいくなかで、つぎのような金正日総書記の言葉が深く心にはいってきました。

「わたしは、かぎりなく繁栄するわが社会主義祖国と、その懐のなかでさらに誇らしく幸福な生を享受するわが人民の姿を思いえがき、どんな難関もいとわず働いています」

朝鮮のトップクラスの幹部である責任幹部をまえにして、最高責任者である金正日総書記が、わたしはこのような思いで活動してきたという自分の「生き様」を率直に吐露しています。指導者が責任幹部をまえにして、自分の信念を語ることはなかなかできないことです。

総書記がこのように言いきれる思想の根拠はどこから生まれてきたのでしょうか。何が根源なのでしょうか。

金正日総書記の人生観といわれる「今日のための今日に生きるのではなく、明日のための今日に生きよう」という言葉が、総書記の生涯をささえた基本部分、礎をつくってきたのではないかと思います。

これについて金正日総書記は、この談話の冒頭でつぎのように述べています。

「革命家は今日のための今日に生きるのではなく、明日のための今日を生きなくてはなりません。革命家にとっては、今日よりも明日のために生き、闘争することがより重要です」

総書記の人生観をささえているのは、自分は楽ができなくとも、祖国の将来と子孫万代のために1身をささげる覚悟をもって生きるとした金日成主席や金亨稷先生をはじめとする「抗日革命闘士」の人生観、信念であるといえます。日本帝国主義から独立をかちとるために、身を賭して先頭に立ってたたかってきた抗日革命闘士の行動が、総書記の人生観の根っこになっています。

金正日総書記は抗日革命闘士の姿を見ながら育ってきたことにより、それが人生観や覚悟としてあらわれているのです。

革命の中核たる「志遠」の思想

金正日総書記はこの談話のなかで、つぎのように述べています。

「革命は1世代で終わるものではなく、何世代にもわたって遂行される長期的な事業です。早くに、金亨稷先生は『志遠』の思想をうちだし、革命は代を継いでつづけなくてはならないという深い意味がこめられた歌『南山の青松』をつくられました。…『志遠』の思想は金日成同志の代を経てわたしの代にいたりました」

「志遠」の思想には、革命は1代で終わるものではなく、遠い先を見て何代にもわたって継承され、きずきあげられていくものだという遠大な構想がこめられています。この「志遠」の思想が朝鮮革命の中核になっており、その思想は金正日総書記の思想にもしっかり根づいていることが、談話のなかからも読みとれます。

さらに金正日総書記は、つぎのような印象的な言葉を述べています。

「われわれは楽をして革命をしようとしてはなりません。今日の安泰を願う人は革命をすることはできず、時代の落後者に転落してしまいます。楽をしようと思うならば、少なくとも、わが人民がこの世にうらやむものなくりっぱに暮らせるようにし、祖国を統一した後にしなくてはなりません」

金正日総書記の指導した時期は全般的にきびしい状況に直面していました。とりわけこの談話がおこなわれた時期は「苦難の行軍」という未曽有の困難の時期であり、そのような隘路のなかで総書記は指導せざるをえなかった状況も反映している言葉だといえます。

この言葉は、人民の幸せを実現する革命を成就するまで活動家は苦労の連続のなかでたたかわなければならないという革命の本質を示しているといえます。

金日成主席のめざした構想

金正日総書記は談話のなかで、つぎのように述べています。

「主席は、すべての人民が白米のご飯と肉汁を食べ、絹の服を着て、瓦屋根の家でりっぱに暮らせるようにするために、民族最大の念願である祖国統一をなしとげるために、睡眠も休息も惜しんであまりにも多くの苦労をされ亡くなりました」

金日成主席の構想を実現するために社会主義建設を促進していくことが朝鮮革命の使命としてあります。

また祖国統一の歴史的偉業を達成するためには、個人的な安逸を追求せず刻苦奮闘しなければならない、個人的な安逸を追求することは、時代的良心のない行為であると強調しています。

さらに金正日総書記は、「革命家は麦飯にみそをつけて食べても革命さえできればよいと考えなくてはいけない」と金日成主席が教えていると指摘しています。

朝鮮革命における革命家の思想の根幹が人民への献身であることは、金日成主席から金正日総書記、そして金正恩委員長へと連綿と継承されていることがこんにち明白になっています。

実際に朝鮮では教育や医療にはお金がかかりませんし、税金もありません。また住む家の心配もありません。朝鮮は国全体では物質的にはそれほど豊かでないにせよ、人民が人間らしい生活をするための条件が保障され、貧富の格差がない社会として実現しているということは注目すべきこととしてあります。資本家の利益のためにあらゆることが優先され、人々が人間らしく生きることができない日本のような資本主義のなかではありえないことです。

責任幹部の覚悟と使命

金正日総書記は責任幹部にたいして、彼らのもつべき覚悟と使命について言及しています。

金正日総書記は談話のなかで、いま敵は社会主義の砦である朝鮮を飲みこんでしまおうと血まなこになってあばれている、帝国主義の包囲のなかで、単独で社会主義を守っていこうとすれば試練も多く苦痛もはかりしれないと述べながら、真の革命家、共産主義者は死んでも革命のために価値があるように死ななくてはならない、最後までたたかって死ぬのは、チュチェ型の共産主義革命家のもっとも誇らしい生だと強調しています。

「死を覚悟した人間にかなう者はこの世にいない」、これは革命家が身につけなければならない信念であり度胸である、「誰が最後に笑うか見てみよう」と金正日総書記は提起しています。

談話のなかで金正日総書記は、責任幹部の使命についても明確にしています。

責任幹部の使命として、遠い将来を見通した活動をおこない、目先のことにはとらわれず、確固たる信念をもつことの重要性を提起しているのです。

たとえば、工場を一つ建設し、国土建設を一つすすめていくうえでも、10年、50年、100年という遠い未来を見通して、大がかりな計画を立て大胆におこなっていかなければならないと述べています。

経験は、党組織生活をおろそかにし、党組織の外で生活することを好む人々のなかから「革命の変節者、背信者」が生まれてくると総書記は指摘しています。

革命とはロマンである

金正日総書記は談話の最後に、つぎのように述べています。

「試練の丘をのりこえて、美しい未来を創造していくためには、楽天的に生き、働かなくてはなりません。信念が確固とした人は未来を愛し、未来を愛する人は悲観を知りません」

つづけて「革命的ロマンがなくては難関と試練を突破していくことができず、未来のために1身をささげて闘争することができません」とし、むずかしく複雑なときであればあるほど、人々が歌もうたい、踊りもおどりながら、難関を克服しなければならないと強調しています。

どのようなきびしい状況であっても、心にゆとりをもち、歌や踊り、芸術やスポーツなどの大衆文化芸術活動が基盤になってたたかいをすすめなければならないとしているのです。

金正日総書記の時代に文化芸術が花開き、そしていま金正恩委員長の時代になってから文化芸術活動がいっそう深化発展しているように思います。その活動をささえているのが教育です。資本主義国のように、一部の財力のある子どもだけが文化芸術、スポーツなどを享受するのではなく、朝鮮ではそれぞれの子どもたちの要求や能力におうじて、誰でも文化芸術やスポーツをおこなうことができます。自分がしたいことについては何度でも挑戦できる機会と教育環境があたえられ、それが朝鮮の大衆文化芸術活動の基盤となっているのです。

朝鮮においては大衆文化芸術活動が高い水準で活発になされることにより、はやいスピードで世の中をかえていく革命を力強くおしすすめていくことができているのです。

総書記は革命はロマンであるという思想を責任幹部がしっかりもたなければならないと強調しています。

この談話は短いものですが、読めば読むほど密度が濃く深い内容であることを感じます。

談話を学んで自身の生き方に生かす

金正日総書記の談話「今日のための今日に生きるのではなく、明日のための今日に生きよう」という人生観、信念をわたしたちは深く学び、自分たちの生き方、活動に生かしていくことが大事であると思います。

この談話を学んで自分の生き方を考えさせられます。人間は1人で生きているのではなく、いろいろな人との関わりのなかで生きており、社会や人々に何らかの貢献をしたいと思っています。金日成主席や金正日総書記、金正恩委員長の著作に学びながら、いろいろな人の意見を聞いたり、さまざまな経験をしたりするなかでさらに深め、自身の思想とすることが大切だと思います。

2012年4月6日、金正恩委員長は朝鮮労働党中央委員会の責任幹部への談話「金正日同志をわが党の永遠なる総書記として高くいただきチュチェの革命偉業をりっぱになしとげよう」を発表しました。そのなかで金正恩委員長は金日成主席と金正日総書記の思想を金日成金正日主義として定式化しました。

それをうけて、2012年5月3日、世界ではじめて日本において、金日成金正日主義研究会が結成されました。その後、6月には金日成金正日主義研究沖縄連絡会が結成され、7月22日には、全国で2番目に金日成金正日主義研究福島連絡会が結成されました。

なぜ沖縄、福島が全国に先駆けて研究会を結成したのでしょうか。わたしは福島連絡会結成集会において「沖縄の基地問題や地元福島の原発問題など日本の現状をみるとその根底にアメリカとの従属関係があることがわかる。日本の自主をうちたてる思想や路線について学びながら、すすむべき方法や路線は何かを求めていきたい」と述べました。沖縄や福島では金日成金正日主義を研究する連絡会を結成する必然性があったのです。

また組織をつくるうえでは人数の多い少ないということは関係ありません。福島には組織をつくることを求め担う人がいました。人がいてこそ組織ができます。組織が存在しているということは、その組織を基盤に運動の輪が広がる可能性があります。そのような意味では、結成した以上に、どのように活動を継続発展させるかが重要です。

わたし自身、福島連絡会の代表としての役割を担っています。当初は金日成金正日主義についてそれほど深く理解していたわけでもありませんでしたが、金日成金正日主義の学習や訪朝を通じて少しずつ理解を深めることができ、結果的にはそれが自分の生き方にもなっていると感じています。

金日成金正日主義についていっそうしっかり学びながら、みんなで力をあわせて、できることを一つひとつつみあげながら着実にすすめるようとりくんでいきたいと思います。