安倍首相の退陣を正常な日朝関係をきずく契機に


安倍首相が8月28日、退陣を表明したことと関連して会報『チュチェ思想』9月号に掲載された「安倍首相の退陣を正常な日朝関係をきずく契機に」と題する編集部の文を紹介します。

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安倍首相は2002年、小泉純一郎首相(当時)が訪朝し、日朝首脳会談をおこなったときに同行した。

日朝首脳会談で金正日総書記が拉致の事実を認め謝罪したことを安倍首相は逆利用していった。

安倍首相は、拉致をクローズアップして朝鮮に拉致国家のレッテルをはり朝鮮とたたかうことを看板にして首相の座に就いた。これ自体が異常な政治舞台への登場の仕方であった。

彼が首相になって以降、朝鮮への誹謗中傷がはげしくなり、日朝関係は史上最悪になっていった。

彼は一時、ストレスで潰瘍性大腸炎になり首相の座を投げたが、また戻ってきて、いっそう、拉致問題を強調するようになった。

2012年12月から2020年8月までの第二次安倍政権においても、拉致問題を名目にして朝鮮を攻撃する政治はいっそうエスカレートしていった。

拉致は容認されることではない。しかし、拉致が引き起こされた背景には歴史的要因があることを見逃してはならない。

20世紀初頭から、日本帝国主義は朝鮮を侵略し、植民地支配下におき、800万人の朝鮮人民を強制連行し、虐殺蛮行をおこなった。朝鮮人民のなかにある日本にたいする怒り、憎しみは決してぬぐい去ることができないものとして蓄積された。

戦後になっても在日朝鮮人は差別され、何らの政治的権利をあたえられず、朝鮮にたいする敵視政策がつづいた。

さらに1950年になって米帝国主義が朝鮮侵略戦争を開始すると、日本は海上保安庁の掃海艇を派遣して機雷除去に当たらせたり、民間人を朝鮮半島に送り、参戦させたりした。日本が朝鮮戦争に参加し、朝鮮人民を殺戮したことは歴史的事実として明らかにされている。

その後も日朝関係は異常な状況がつづいた。日本は米国による朝鮮半島の南北分断支配に深く関与した。朝鮮人民は祖国統一のために一貫して戦争状態のなかでたたかってきた。その過程で1970年代に拉致がおこなわれたことが明らかにされ、2002年9月17日、小泉首相が訪朝した。金正日総書記は拉致の事実を認め、二度と同じことをしないと約束した。ここが拉致問題を政治的に解決する出発点になるはずであった。

しかし日朝関係は改善にむかわなかった。安倍首相(当時、官房副長官)は国内世論を操作し、2002年に一時帰国した5人の日本人拉致被害者を朝鮮との約束を守らないで返さなかった。

その後、朝鮮は社会主義建設を積極的におしすすめていったが、安倍首相は拉致問題を利用し、拉致被害者が数百人、数千人いるという不当な主張も野放しにした。

日本が朝鮮にたいする誹謗中傷をおこない、敵視政策を強めれば強めるほど安倍首相の政治的立場が強化されてきた。彼が首相になったのも、最長の政権を維持できたのも、朝鮮バッシングがあったからにほかならない。朝鮮に対抗し、朝鮮を誹謗中傷しながら、彼の政権基盤を維持してきたのである。

かたや安倍首相は、トランプ大統領が一国主義を主張しても徹底して対米従属姿勢をつづけてきた。トランプ大統領が金正恩委員長と会談をおこない握手しても、安倍首相は朝鮮にたいしてだけは最後の最後まで敵視し攻撃を強めることをやめなかった。こうして日本における朝鮮にたいする偏見、社会主義にたいする誤解、もっとも仲良くすべき、もっとも近い朝鮮との関係が最悪になっていった。

安倍首相の退陣は、喜ばしい出来事である。彼は病気を理由にして退陣すると言っているが、真実は彼の政策と政治姿勢をこれ以上維持することができず、行きづまったからである。その結果、彼はみずから政権をかなぐりすてた。病気だけが理由なら入院して治療すればすむことである。

安倍政権の崩壊にあたり、政権発足以降、崩壊にいたるまでの安倍首相の犯罪を明らかにし、つぎの政治的指導者たちが汚れた政治姿勢を一新して、正しい日朝関係をきずいていくためにたたかうものである。