被爆地広島を利用したG7サミット
米国の原爆投下は許すが他国の核兵器は認めない岸田首相
5月19~21日、主要7ゕ国首脳会議(G7サミット)が広島で開催されました。
今回のG7サミットは、米国がウクライナを利用してロシアを攻撃し、さらに攻撃対象を中国にしぼり、主な活動地域を太平洋に移しつつあるなかで開催されました。
岸田首相は、被爆地出身の首相として被爆地からのメッセージを世界に発信するとさかんに宣伝していました。
しかし、岸田首相は、急速に軍国主義への道を踏み出し、日本を戦争できる国へと変えようとしています。
岸田首相は、世界第3位の軍事大国になることをめざしています。これまで、数十年間の歴史を転換させて、戦争政策を推進しているのです。
平和主義を捨て去り真の軍事大国になる
米国『タイム』誌5月22・29日号の表紙には、岸田首相の写真が掲載され、「日本の選択―岸田首相は数十年にわたる平和主義を放棄し、真の軍事大国になることを望んでいる」と解説されました。
『タイム』誌の解説は、岸田首相の本音、いま日本で進んでいる軍国主義化を端的に表現したものといえるでしょう。
今回、広島サミットでは、各国の首脳が広島原爆資料館を参観し、慰霊碑に献花するなど、核廃絶に向かうかのような演出がされていました。
しかし、今回の広島サミットは核兵器を廃絶するための討議はなされていません。核兵器を保有する国を固定化し、その他の国には拡散させないことを一致していくことが第一のテーマとなっていました。
G7参加国は、日本が核兵器をもつようになるのではないかという疑念をいだきながら、サミットにのぞみました。
米国に徹底して従属し他国への侵略をもくろむ
広島は、米国が世界で初めて原爆を投下した地です。
日本はアジア全域を武力で支配しました。日本の侵略戦争により3000万人もの人々が犠牲になりました。
その侵略戦争の結果として、原爆が投下されたのです。広島では十数万人が一瞬にして犠牲になり、その後、原爆症で亡くなった人は何十万人にものぼります。
核兵器による犠牲だけではなく、日本全土が米国の空爆によって焼け野原となり、何十万人という人が亡くなりました。1945年3月10日の東京大空襲では一日にして10万人余が殺されました。
日本は形式的には独立していても、実質的には米国の支配下にあります。
米国に従属しながら、一方では朝鮮を敵視し、他国への侵略をもくろむ岸田政権の本質を見抜いていかなければなりません。
今回のG7サミットに関する世論調査では、サミットの成果に期待するという人が多くを占めました。
その理由として、各国の首脳が広島を訪ねて被爆の実態を知ることができる、被爆者の声が世界に伝わることをあげる人が多くいました。
G7に期待する雰囲気をつくりながら、内実をもった討議は何もなされませんでした。
実際には、G7を構成する国々が戦争の主要な要因であるにもかかわらず、平和を実現する立役者のようにふるまったのです。
さらなる武器を要求し戦争の長期化をはかるゼレンスキー
G7サミットにはまた、ウクライナのゼレンスキー大統領が参加しました。
ゼレンスキー大統領は、米欧からの武器と資金の提供によって、戦争を長期化させることをもくろんでいます。
ゼレンスキー大統領は、G7首脳の拍手のなかで、ロシアとは話し合いはしない、完全な勝利までたたかいつづけると表明しました。
今回のサミットでは、ヨーロッパ各国からウクライナにF16戦闘機を供与することが話し合われました。
このこと一つとっても、G7サミットが平和のために開催されたのではないことがわかります。
日本は、NATO(北大西洋条約機構)の連絡事務所を日本におくことを検討しており、インド等を巻き込んで、新たな軍事同盟をアジア・太平洋地域で形成しようとしています。
5月20日夜にはクワッド(日本、米国、オーストラリア、インド)の首脳会議も開かれ、中国の動きに対抗する措置をとることを確認しました。
G7の国々が世界を動かす時代は終わっている
G7サミットには、ウクライナの他にもブラジル、インド、インドネシアなどが招待国として参加しました。
G7の国々は、グローバルサウスを取り込み、分断することを画策していましたが、その目的は達成されませんでした。
ブラジルのルラ大統領は、戦争そのものに反対するという立場を明確にしています。
インドのモディ首相も中立の立場をとることを表明し、G7サミット終了後は、太平洋諸島フォーラムの首脳会議に出席し、参加国との連携を強める協議をおこないました。
戦争政策に反対し民衆の要求を実現する新しい運動を構築する
日本が米国に追随しながらも自ら軍事大国になろうと画策していることを多くの人々は知っています。そして、今回のG7サミットで岸田首相が平和をめざしていないことが明白になりました。
岸田政権の戦争政策に反対し、日本の民衆の要求にこたえる新しい運動をつくっていくことが求められています。
50年後、100年後の未来を展望し、民衆中心の思想に根ざした運動が真に勝利するといえるでしょう。
新しい運動をつくっていくために、チュチェ思想が不可欠になります。なぜならチュチェ思想は人間の本質的特性を科学的に解明し、社会的人間の要求にそって周囲世界を変革するための思想であるからです。
客観情勢だけを強調して運動するだけでは、運動が先細りしてしまうのではないでしょうか。
社会的人間の本性にもとづいて運動の主体を形成し、新たな運動を構築していくことが必要です。
矛盾や問題にたいしてたたかうだけではなく、時間はかかっても、人々のために生きるなかまを身近なところから一人でも多くつくっていくことが重要になります。