自主・平和のためにチュチェ思想に学ぶ
―新しい年を前に金日成・金正日主義研究地区連絡会が集いを開催―
新しい年を前にして、各地の金日成・金正日主義研究連絡会は集いや研究会を開催しました。
12月2~3日、金日成・金正日主義研究東海連絡会は「日本の自主・平和を恵那の里から」と題する集いをおこないました。
12月16日には、群馬と大阪の連絡会が総会と研究会をおこない、チュチェ思想に関する講演がおこなわれました。
岐阜・岩寿荘でもたれた集いでは、最初に東海連絡会世話人である山﨑則和氏の司会で学習会がおこなわれました。
はじめに在日本朝鮮人総聯合会静岡県本部の李治雄委員長が来賓挨拶をおこない、つぎのように述べました。
いま世界を見渡すと自主と平和に逆行するようなことが多々見られます。中東ガザではイスラエルによる無差別攻撃により子ども、女性、老人が犠牲になっています。
朝鮮半島では、米日韓の三角軍事同盟による核戦争の脅威が高まっています。
戦争の元凶は米国です。日本も積極的に侵略戦争の準備に参加しています。
そのようななかで朝鮮は、軍事偵察衛星の打ち上げに成功しました。朝鮮は自主権を守ることを何よりも重視しています。どんなことがあっても自主権を守るというのが朝鮮の立場であり、プライドです。
チュチェ思想研究活動は自主化を推進する
集いでは、つぎに在日本朝鮮人総聯合会愛知県本部元委員長の金鎮度氏が、チュチェ思想研究活動の今日的意義について、群馬において初期研究活動に関わった自己の経験にもとづいて、つぎのように話をしました。
私は、1970年代初め、在日本朝鮮青年同盟の活動の一環として群馬に行っていました。その時、群馬朝鮮問題研究会の人たちと出会いました。
チュチェ思想を学んだ青年学生たちが金日成主席の革命活動に学び、組織づくり、人づくりをおこない、全国各地に一気に研究会を拡大していくのを見て、私はたいへん驚きました。
彼らは、チュチェ思想を信念化し、その研究普及活動に自己の人生を投じていったのです。その姿は今日まで一貫して揺らぐことがありません。
1977年9月、日本チュチェ思想研究学術代表団に会見した金日成主席は、こんにち世界の人々が自主的に生きることを求めている、発展した資本主義国も自主化を求めている、日本人民も米国に従属することを願ってはいませんと述べました。
その後も主席は、日本が自主の道にすすむならば、アジアと世界の平和を実現することに寄与すると述べています。
こんにち、米国一国が世界を支配する時代は終わりました。かつて支配され、抑圧されていたアジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々が独立をかちとり、世界を動かすようになりました。
世界はまさに自主化の時代を迎えており、それを推進する起爆力がチュチェ思想研究会であると私は思っています。
このような時代をきり拓くことができたのは、第一にチュチェ思想に対する確信、信念があったからであり、第二に不変の闘志であり、第三にたゆまぬ努力があったからだと思います。
あとにつづく若い世代の人たちは、半世紀にわたるたたかいの成果を自分のものにし、信念化していかなくてはなりません。
反動の執拗な悪宣伝が繰り広げられているなかで、学習を継続強化し、多くの人々に普及していくことが、発展の鍵ではないかと思います。
朝鮮、パレスチナと連帯してたたかう
集いでは、チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長と金日成・金正日主義研究東海連絡会世話人代表の鈴木敏和氏が講演しました。
集いではまた、朝鮮の最新情勢を伝えるビデオが上映されました。文芸交流では、日朝音楽芸術交流会会長の池辺幸惠氏、在日本朝鮮文学芸術家同盟の金貞淑氏、日朝音楽芸術交流会副会長の遠山洋子氏が歌と演奏を披露しました。
集いの参加者たちは、交流を深め、今後、各地区において、いっそう力強くチュチェ思想研究活動をおしすすめていくことを確認し合いました。
<講演要旨>
反米自主と社会主義
チュチェ思想国際研究所事務局長 尾上 健一
パレスチナ人民への攻撃は帝国主義と傀儡による戦争
現在、イスラエルによるパレスチナ人民への無差別攻撃、大量虐殺が続けられています。
イスラエルは1948年の建国以来、ずっと戦争をおこない、パレスチナ人を追い出しながら領土を広げてきました。
2023年10月7日以来、イスラエルの無差別爆撃を受けてすでに4万人以上のパレスチナ人が死傷しています。
イスラエルは、ハマスを壊滅させるまで戦争を続けると言っています。
イスラエルの閣僚は、ガザ地区への核爆弾の使用もありうると公言しました。また、ガザ地区からの避難民を世界各国が受け入れるべきだと公言する閣僚もいます。
パレスチナの状況は、帝国主義の本質をよく示しています。
イスラエルがおこなってきた戦争は、1948年から米帝国主義が傀儡政権をつくっておこなってきた帝国主義の戦争です。
米国は、イスラエルが戦争をするための費用の大部分を援助してきました。米国のイスラエルにたいする軍事援助の金額は世界一になっています。
侵略と略奪を本性とする帝国主義の戦争策動
人間の社会が形成されるとすぐに階級社会が成立します。階級社会は一握りの支配者が圧倒的多数の民衆を支配し、人々のすべての富を独占していきます。
階級社会が発展するなかで資本主義社会が形成されます。
資本主義社会では、資本家階級が労働者を酷使し、労働者が生みだした富をうばって成長、拡大していきます。
資本主義の発展が国内で限界に達すると、帝国主義段階に移行します。帝国主義段階では、今度は海外の資源や労働者を搾取し収奪することによって利潤を追求していきます。
帝国主義が存在するかぎり、侵略戦争と略奪は続きます。そこには人道主義も人命尊重もありません。
第二次世界大戦後は、アメリカを中心とする帝国主義の同盟関係が形成されました。
1990年代以降、ソ連東欧の社会主義は崩壊し、アメリカ帝国主義が弱肉強食の論理で世界を一極支配するようになりました。
米帝国主義は世界のいたるところで露骨な侵略戦争と略奪をおこなってきました。
米国は日本にたいしても、形式的には独立したように見せかけながら、傀儡政権をつくって
支配してきました。
グローバルサウスが世界を動かす
ウクライナにおける戦争では米国の影響力が弱まり、NATO諸国のきずなが弱まるようになってきました。
NATO諸国の中で極右勢力が台頭し、ハンガリーは脱退を表明しています。
米国は、ウクライナでの戦争を続けようとしていますが、戦争に勝利できる見込みはなくなっています。
今、世界のなかではグローバルサウスの国々が台頭して、米国の言う通りにはならず、自主の道を歩むようになりました。
グローバルサウスの国々は、かつて帝国主義の支配を受けており、帝国主義に従うことはしたくないと考えています。
米国から離れ、ヨーロッパの帝国主義からも離れて自主の道を進むという国が、国連に加盟している190余ゕ国のなかで三分の二を占めるようになりました。
反米自主の道を歩む朝鮮
今、反米自主の旗じるしをもっとも高く掲げているのは朝鮮です。米国とは絶対に妥協せず、対等な立場で進んでいます。
自主の道を歩むようになった国々のなかには、反米自主を掲げるところまでいかない国もあります。経済的に米欧諸国を利用しようと考えると、経済的に優位に立つ米欧に利用されてしまうこともあります。
金日成主席は、独立を勝ちとった国が新社会建設をりっぱにおこなうことができるよう、チュチェ思想を普及し、人々を啓蒙し自覚させることが重要だと提起されました。
また、発達した資本主義諸国の労働運動は、労働者の生活を根本的に改善するための闘争とならなければならず、自主の旗をかかげてこそ成果を上げることができると提起されました。
人々のなかに入り、苦楽をともにしながら献身する
現在、朝鮮総聯の活動家は2022年5月28日の金正恩総書記の送った書簡「各階層の同胞大衆の無限の力によって総聯隆盛の新時代をきり拓いていこう」の内容を実行するために闘争していると言います。
書簡では、総聯組織の第一の課題はすべての活動を同胞第一主義に志向させ一貫していくことであると述べられています。
同胞第一主義は、人民大衆第一主義を具現したものであり、同胞のために献身する活動をおこなうことが求められています。
金正恩総書記は、同胞の要求を実現するために靴底がすり減るほど走っていくことを提起しています。
チュチェ思想研究普及活動において、何名かの学者や青年学生、労働者にチュチェ思想を伝えるだけでなく、チュチェ思想を学んだ人が民衆のために献身することが重要になります。
政治的課題に取り組むことも大切ですが、人々の生活上の要求も重視しなければなりません。
名古屋には、戦後間もなくから75年も続いている鉄板焼の飲食店「梅田屋」があります。
先代から梅田屋を引き継いだ店長は、同胞のために献身してきた女性同盟の幹部です。
おいしい料理と細やかな気遣いにあふれる店は多くの同胞、日本人客が集う店として、新聞にも取り上げられています。
人々のなかに入り苦楽をともにしながら、働きかける、そのような人がいてこそ、新しい運動のうねりをつくることができるのではないでしょうか。
<講演要旨>
日本の戦争策動に反対しパレスチナ人民に連帯する
金日成・金正日主義研究東海連絡会世話人代表
鈴木敏和
80年前、日本は鬼畜米英といっていましたが、今日では、中国、朝鮮を敵と位置づけ、沖縄の南西諸島にロケット部隊やミサイル部隊を配置している状況にあります。
朝鮮や中国と争って、利益が生まれ儲けるのは、アメリカの軍需産業だけです。
日本は植民地支配の歴史を消し去ろうとしている
日本が植民地支配して朝鮮民族が地獄のような過酷な状況におかれているのを目の当たりにして、1930年6月、金日成主席は卡倫会議をおこない、そこで朝鮮革命は反帝反封建民主主義革命にしなくてはいけないと提起しました。革命軍をもって日本帝国主義を打倒し、封建制度を一掃して民主主義社会をつくろうとみんなに訴えたのです。
朝鮮が日本の植民地支配から解放されて78年ですが、朝鮮に対していまなおバッシングしている日本の政府は、植民地支配をした責任を自らに問わないで、それ自体を消そうとする国になってしまいました。
帝国主義、植民地主義は、国内的には政治的な反動、民主主義の制限、破壊、否定の強化としてあらわれます。言論、出版、表現の自由の制限、新聞、雑誌、書籍発行の検閲、反体制的行動の禁止、労働運動、団体行動の禁止といった形であらわれます。
日本が朝鮮を植民地支配したとき、日本国内の人民も自由ではありませんでした。他国民を支配する権力は自国民も支配します。
パレスチナ人民はたたかいつづける
パレスチナ自治区はガザ・ゲットーだといえます。
ガザ地区は地中海に面し、面積は3百数十㎢で、220万人が住んでいます。爆弾一つ落とせば何十人が死んでもおかしくない状況におしこめられています。
パレスチナには元々パレスチナ人が住んでいました。パレスチナの人たちはイスラエルに支配された状態から自主権を求め、独立を求めてたたかっています。
パレスチナの人たちは命をかけて犠牲をいとわず、自主性をもとめて、自主権確立のために、民族のためにたたかっています。それを応援せずして、なぜ私たちが自主性を叫ぶのかということが問われてきます。
いまこそ声を上げる
沖縄の人たちもたたかっています。日本政府はアメリカに完全に牛耳られて、沖縄の人たちを犠牲にしています。いま沖縄ではアメリカの軍隊に代わって、日本の自衛隊が与那国島や石垣島にミサイル基地をつくっています。
小さな島が敵国から攻撃を受ければ島民には逃げる場がありません。一方、軍人は地下深く防空壕をもっているわけです。死ぬのはみんな平和を望む島民です。
1931年頃、ナチスドイツがドイツを席巻するようになったときキリスト教ルター派の牧師であるマルチン・ニーメラーは、「共産主義者が攻撃を受けたとき私は声をあげなかった、私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が監獄にいれられたとき私は声をあげなかった、私は社会民主主義者ではなかったから。
労働組合が弾圧されたとき私は黙って声をあげなかった、私は労働組合員ではなかったから。
私が攻撃を受けたとき私のために声をあげる人は誰もいなかった」という警句を出しました。
初めにつぶさなければだめです。できあがった後ではうちかつことができないのは歴史が証明しています。
チュチェ思想を学ぶ誇りをうたう
文芸交流では、チュチェ思想を学ぶ自負と誇りが歌や演奏に込められ披露されました。
とりわけ今回、チュチェ思想国際研究所初代理事長の安井郁先生が一生の夢を青年に託して詠んだ短歌「一生かけて 抱きつづけしこの夢を わが若きらに 託し目守らむ」に曲がつけられ、披露されたことは大きな意義がありました。
文芸交流は、日朝音楽芸術交流会副会長で歌手の遠山洋子氏が、各地からの参加者を歓迎して「中津川音頭」をうたい、幕を開けました。
つづいて、困難ななかでも信念をもってチュチェ思想研究活動をすすめるなかまへの連帯と励ましの思いをこめて、持ち歌の「石割桜」をうたいました。
また小笠原美都子先生が訪朝してうたった歌「平壌慕情」、そして金正恩総書記の人民へのあつい思いが込められた歌をうたいました。
音楽を通して朝鮮学校を守る
文芸交流では、在日本朝鮮文学芸術家同盟東海支部顧問でピアニストの金貞淑氏が、「アリラン」を演奏し、在日朝鮮同胞のなかで生きてきた自身の歩みについて、つぎのように語りました。
私は在日朝鮮人で日本生まれです。父は1946年、日本に勉強しにきました。母は日本で生まれた在日朝鮮人二世です。私が生まれた所は兵庫県ですが、隣近所はみな朝鮮人でした。
父はチャンゴが上手で、おばあさんはチョゴリを着て歩いていました。食べるものも着るものも朝鮮の習慣の中で育ちました。
朝鮮学校に通って、音楽が好きだったので、オルガン教室に通いました。ずっと続けられたのは、同胞たちがつくった学校があったからです。
音楽を通して学校を守り、日本の方たちと連帯して活動し、こうして素晴らしい出会いができることに感謝しております。
平和のためにたたかおう
日朝音楽芸術交流会会長の池辺幸惠氏は、朝鮮民謡の「トラジ」をピアノ演奏した後、ヒロシマ・ナガサキを忘れず、平和のためにたたかおうというあついメッセージを“remember” という曲にこめて弾き語りしました。
最後に、出演者に感謝の思いを込めて、贈り物が子どもたちによって贈られました。
文芸交流には、チュチェ思想を学び広める活動をともにおしすすめる同志的な思いが通い合っていました。