金日成主席生誕113周年を祝賀して
チュチェ思想研究セミナーが大阪で開催される

金日成主席生誕113周年を祝賀して4月12日、大阪市においてチュチェ思想研究セミナーが開催されました。

金日成金正日主義研究関西連絡会の主催、チュチュ思想国際研究所の後援で開かれた本セミナーには、チュチェ思想国際研究所事務局長の尾上健一氏、金日成金正日主義研究関西連絡会共同代表で日朝音楽芸術交流会会長の池辺幸惠氏をはじめとして関西と全国各地から日朝友好人士とチュチェ思想研究者が多数参加しました。

金日成金正日主義研究関西連絡会事務局長の三上太一氏が開会の挨拶をおこないました。

つぎに在日本朝鮮人総聯合会大阪府本部委員長の夫永旭氏が来賓挨拶をおこない、つぎのように述べました。

日本政府はすでに解決済みの拉致問題を今になっても持ち出し、朝鮮を誹謗中傷する宣伝をおこなっています。

日本は米国に忠実な国になっています。

日本政府は日朝平壌宣言に立ち返り、日朝国交正常化に取り組まなくてはなりません。また朝鮮学校にたいする差別政策を改めなくてはなりません。

セミナーではつぎに、島根県立大学教授の福原裕二氏が「朝鮮半島の現状と日朝関係」と題して講演し、つぎのように述べました。

金正恩指導体制の特徴の一つは人民大衆第一主義であり、人民生活の向上に力を入れています。住宅建設に力を入れ、「地方発展20×10政策」をうちだして農村の発展にも力を入れています。

韓国では尹錫悦大統領が非常戒厳令を出したことにたいして多くの人々が立ち上がって大統領弾劾訴追が成立しました。

朝鮮が社会主義強国建設を確固としておし進めているなかで、日本政府には中長期的な共存を前提にして関係改善を図ることが求められています。

金正恩総書記の前で朝鮮学校の学生たちがうたう

セミナーではつぎに京都朝鮮中高級学校長の文峯秀氏が「金正恩総書記の接見をうけて」と題して訪朝報告をおこない、つぎのように述べました。

今年1月2日に金正恩総書記の接見をうけました。

今回、朝鮮学校の学生たちは5年ぶりに訪朝することになりました。全国各地から112名の学生が参加しました。昨年11月18日から55日間の訪朝でしたが、本当に夢のようでした。

一言で表すと、やはり祖国は温かったという一言につきます。

私たちの芸術公演を担当してくれた指導員の先生、宿泊したホテルの方々が、子どもたちをわが子のように見守ってくれました。

5年ぶりの芸術団の団長を任された私は、今回、金正恩総書記に迎春公演で会えると期待していました。

今回の公演では、5年間祖国訪問を待ちわびていた学生たちの切なる思い、いちばん苦しい時に在日同胞たちががんばって学校を守ってきた思い、そして祖国と心をいつもあわせながら、朝鮮学校に元気いっぱいに通う姿を、未来志向的に躍動的に表現しようとしました。

5年ぶりに訪れた祖国の期待にこたえたい、そして祖国への恩返しになるという素朴な気持が芽生えたので、子どもたちは最後まで頑張ることができました。

1月1日17時から迎春公演はおこなわれましたが、残念ながら金正恩総書記は参加されませんでした。

しかし在日朝鮮学生の公演が始まった瞬間、その残念な気持ちが涙に変わりました。中学1年生の女の子が語る冒頭詩を聞いた瞬間、引率教員は全員涙がぼろぼろ流れました。

1月2日、朝鮮労働党の中央庁舎で、朝鮮の功労者たち、女子サッカーワールドカップで優勝したメンバーと私たち芸術団が金正恩総書記と記念写真をとることになりました。

金正恩総書記と一緒に撮った写真の1枚は奇跡の写真と言われています。子どもたちは、素直に驚いたり、叫んだり、泣いたり、さまざまな表情をしていますが、この写真が1月3日付の労働新聞にそのまま掲載されました。

写真撮影のとき、私は金正恩総書記に迎春公演のときの歌を届けたいという話を直接しようと考えていました。

撮影が終わった瞬間、走って行き、「総書記、学生たちの歌を聞いてくれませんか」とお伝えすると、総書記は何の歌ですかと聞かれました。私は、昨日迎春公演でうたった主題歌ですと。すると総書記は「聞いてみよう」とおっしゃって、歌を聞いてくださいました。

総書記は、一人ひとり子どもたちの顔を順番に見てくれ、子どもたちも、それが非常に印象深かったと心に刻んでいました。

総書記は、日本で暮らす同胞学生たちを活発で明るくまっすぐに育て、総聯の愛国事業のバトンをうけつぐ担い手をたくさん育てないといけないということを話されました。日本に戻ったら総聯活動家たちと同胞たちに、私が送る新年の挨拶を伝えてくださいということを最後に残され、現場から退場されました。

金正恩総書記は、民族教育が在日朝鮮人運動の生命線であり、在日同胞社会の未来は民族教育にかかっているということを示されました。

これからも、民族教育を通してしっかりと自分のアイデンティティをもった学生たちを育てていきたいと思います。

現時代は金日成主義時代

セミナーでは、閉会の挨拶を朝鮮総聯愛知県本部元委員長の金鎮度氏がおこない、つぎのように述べました。

いまから10年前の2015年に朝鮮外務省に在籍していた日朝国交交渉大使の宋日昊氏が、金日成主席と会見した日本の各界各層の人々のことを「金日成主席と日本」と言う本を出して書いています。

このなかに「チュチェ思想国際研究所が設立された日」というタイトルの文章があり、そこでつぎのように書かれています。

「1977年9月14日から17日の間、平壌においてチュチェ思想に関する国際討論会が開かれた時のことである。

この討論会で尾上健一氏は、偉大な金日成主義は今日の発展した資本主義国や帝国主義国の革命闘争においてもっとも力強い指導思想になっているというテーマで討論することになった」

尾上氏はこの討論で、現時代はどのような時代か、とつぎのように強調された。

「現時代は金日成主義が教える道に従って前進する時代である。革命闘争は正しい革命思想と指導的指針がなければ勝利することはできず、時代が求めるすべての問題、時代の前途は正しい思想によって明らかにされる。…

100余年前をマルクス・レーニン主義時代と呼んだならば、現時代は金日成主義時代であると言える。…

尾上健一氏が討論を終えながら、チュチェ思想を研究するための国際機関の創設が切実に求められると強く訴えたところ、場内は熱烈な歓呼と拍手が一斉に鳴り響いた。

このような経緯をへてチュチェ思想に関する国際研究組織がつくられることになった」

尾上氏は平壌滞在中に、2度、金日成主席にお会いになるわけです。

そして翌年、1978年4月9日、東京でチュチェ思想国際研究所創立大会がおこなわれるわけです。

1976年4月15日には、主席生誕64周年を祝賀して伊豆青年センターが建設されます。1977年4月15日、主席生誕65周年を祝賀して理論誌「金日成主義研究」が創刊されます。そして主席の青年問題に関する労作を収録した「青年論」も発行されます。

ちょうど半世紀前の金日成主席の教えに導かれて、今日に至ったと思えば、非常に感無量です。

わたしたちはいま、アメリカを中心とした西側の500年に及ぶ一極独占支配が終わり、自主化の流れにそって世界が多極化、協調化の時代に入っていることを目の当たりに見ています。

そんな中で朝鮮はこれまでチュチェ思想を完全に具現化し、自主、自立、自衛の道を進んでいます。

チュチェ思想の現在の具現化された成果をみなさんとともに分かち合いたいと思います。

文化公演がおこなわれる

セミナーでは、金日成主席の生誕を祝賀して文化公演がおこなわれ、はじめに大阪の伝統芸能が披露されました。まず、だんじり囃子を伸栄龍神會が披露しました。龍を模した踊り、そして太鼓と抄の力強い演奏が場内に轟き、参加者は大きな拍手を送りました。

つぎに河内音頭を笑龍会が披露しました。

最後に日朝音楽芸術交流会副会長で歌手の遠山洋子さんが和服姿で登壇し、まず金日成主席のことをうたった歌をメドレーでうたい、つぎに自分の持ち歌「赤壁城の夢址」をうたいました。

チュチェ思想研究セミナーは、チュチェ思想研究普及活動をいっそう力強くおしすすめていくうえで大きな意義をもつものとなりました。