自主時代をきり拓く朝鮮労働党
まず朝鮮労働党創建七五周年にあたり、祝賀と敬意を表しつつ、朝鮮労働党について考えてみたいと思います。 党の歴史、あるいは党の歴史的根源についてみていくことはたいへん重要なことです。
朝鮮革命の苦難の歴史をになってきた偉大な党の足跡をふりかえることは、現在の困難を克服し輝かしい未来を展望するうえでも、重要な意義をもつものと思います。また朝鮮革命の勝利の歴史の導き手である党について明らかにすることは、世界の人々の闘争を力強く励ますものになるのは言うまでもありません。
日本帝国主義との闘争のなかで、金日成主席はチュチェ思想を創始しました。金日成主席は、朝鮮の独立と解放は朝鮮人民自身の力でなしとげなければならないと強調しました。主席は、遊撃隊を創建し日本帝国主義と武装闘争をおこなう一方で、大衆を抗日の旗のもとに奮い立たせる活動、党組織を建設し拡大する活動などを同時におしすすめていきます。
朝鮮労働党は1945年10月10日に創建されました。
朝鮮が日本の支配から解放されたのが1945年8月15日ですから、抗日闘争の過程で、建設をすすめてきた党組織を母体にして、党が速やかに創建されたといえます。
朝鮮は資本主義システムを基盤にした帝国主義、植民地主義にたいする階級的立場にたって、人間性豊かな社会を視野にいれながら、社会主義の建設をめざしたものと考えられます。党はその目標を達成するための政治組織として必然的に創建されたのでしょう。
党は創建当初から唯物史観の教条主義的な適用による社会発展を志向したのではなく、人間を主体にした社会発展を志向し、画一的ではなく、また直線的でもなく、矛盾を克服しながら弁証法的に創造的な社会主義発展の道を歩んでいったのだと思います。ソ連はマルクス主義の歴史的制約性を正しくとらえることなく、マルクス主義を機械的に適用しました。その結果、経済建設を重視したものの、党幹部が官僚主義におちいり、党と大衆が離反するようになり、党の指導が貫かれなくなり、党が本来の役割を果たすことができなくなりました。
人民を革命の主人としてみておしたて人民に依拠するというような抗日闘争の革命伝統を継承した朝鮮労働党は、人民に深く根をおろした党であり、人民と渾然一体になっていることが大きな特徴になっているといえます。金正恩委員長は、人民大衆にたいする滅私奉仕は朝鮮労働党の存在方式であると述べています。朝鮮では、幹部はつねに人民のなかにはいり人民と苦楽をともにすることによって、官僚主義を打破し克服する努力がなされています。朝鮮では党の指導があり、勤労人民の協働により社会主義建設がすすめられました。
朝鮮労働党は創建当初から朝鮮革命の苦難の歴史と伝統を継承し発展させています。たたかいをふり返り、よくない点は総括し、よい点はさらに発展させていくというように評価し発展させています。出発の時点から歴史をふまえて継承していくということで一貫しているところに朝鮮労働党のすぐれた長所があるといえます。継承というのもたんに言葉だけではなく、党は人民に奉仕するという立場にたって、革命実践のなかで、試行錯誤しながらさまざまな問題を解決しながら、弁証法的に発展させてきたということです。まったく同じものを継承したという一直線の思想ではなく、いろいろな矛盾につきあたりながら、その矛盾に学び、あくまでも人民に奉仕するという観点からすすめてきたのです。
朝鮮労働党はチュチェ思想で武装した集団主義の組織であり、人民に奉仕し、人民とともに歩み、何よりも人民との信頼関係、絆を大切にし、革命的原則性を堅持する組織運営の方針を確立したといえます。
チュチェ思想は朝鮮労働党の指導思想であり、朝鮮革命の思想的基礎をなしています。チュチェ思想で武装しすぐれた集団主義を具現した朝鮮労働党はどの国にもない特色をもった社会主義をつくりだしているといえます。チュチェ思想は、困難な時代をきり拓き、党の使命や役割を果たすうえで重要になっています。
まず朝鮮では党がチュチェ思想を指導思想としているがゆえに、党の指導が一貫しています。苦難の抗日闘争でかちとった哲学、チュチェ思想という指導指針を時代の発展とともに弁証法的に発展させているといえます。
マルクスが提唱した唯物史観は、生産力が発展すれば生産関係が資本主義的な生産関係から社会主義的な生産関係に変わる、社会的存在が社会的意識を規定するというように、生産力の発展あるいは経済が決定的な意義をもつという考え方です。
唯物史観はマルクスが生きた当時において、革命の要求にこたえた、もっとも正しい社会発展の法則であったといえます。しかしマルクス主義には歴史的制約性があります。チュチェ思想はマルクス主義を時代の発展と民衆の要求に即して発展させることによって、マルクス主義の歴史的制約性を克服したといえます。ここにチュチェ思想のすぐれた点があり正しく理解する必要があります。
それと同時にチュチェ思想はマルクス主義と共通の階級的立場を堅持していることを正しく理解する必要があります。
チュチェ思想を深化発展させながら、チュチェ思想を指導指針として社会主義建設を指導してきたところに朝鮮労働党の大きな功績があるといえます。
主席と総書記の思想と活動をうけ継ぎ発展させる
朝鮮労働党は、金日成主席によって創建され、金正日総書記によって継承発展させられ、こんにちでは金正恩委員長がさらに高い段階へと発展させているといえます。
革命の領袖は党を通じて指導を貫き実現していきます。その意味では革命の領袖は党の領袖であり、人民の領袖であり、また党と領袖は一体のものとみることができるでしょう。
また革命は一代で終わるものではありません。革命の後継者が、先代の領袖の思想と指導、業績を忠実に継承することによって、革命の終局的勝利が保障されるようになります。
世界の革命の歴史は、りっぱな指導者が出現しても一代かぎりで革命の継承がよくなされなかったことを記しています。朝鮮は歴史上はじめて革命の継承問題を正しく解決したといえます。
金正恩委員長は、金日成主席と金正日総書記の思想と活動を歴史的に忠実に継承しており、困難な世界情勢のなかで確固とした戦略をつらぬいています。委員長の政治的手腕は見事なものだと思います。
戦略的には、主席、総書記、委員長、それぞれちがいがあり、革命の要求に応じて臨機応変に方針をうちだしています。金正恩委員長は、朝米首脳会談を独自な大胆な戦略をねって実現させました。複雑な世界情勢のなかで確固とした戦略をおさめています。核の問題についても、抑止力としての核を開発し印象づけ、どのような大国にも侵略されない強国をきずきました。若いけれども、その手腕は見事なものであると思います。
いまや米国をはじめ世界各国が朝鮮革命を継承し指導している金正恩委員長に注目しているために、誤った憶測にもとづく情報が流されたりしていますが、委員長がうちだす政策から目が離せないのではないかと思います。
金正恩委員長がすぐれた指導をおこなっているのは、金日成主席と金正日総書記と代を継いで継承してきたからです。チュチェ思想にもとづく党の革命的な戦略を継いできたたまものだといえます。金正恩委員長は、主席と総書記の思想と指導を学んで忠実に継承し、現実に生かしているといえます。
沖縄の自主・平和のための闘争
沖縄の自主・平和のためのたたかいの歴史をふりかえると、まず1879年に廃藩置県により琉球王国が実質的に崩壊し沖縄が日本に組み入れられることによって、天皇制絶対主義下の抑圧がはじまるようになります。その後アジア・太平洋戦争では、沖縄戦に象徴されるように、植民地主義と帝国主義による苛酷な戦争を沖縄の人々は体験します。日本の敗戦によって、日本帝国主義の支配から束の間「解放」されたものの、それは新たな抑圧のはじまりであり、その抑圧からの解放のたたかいのはじまりになりました。
沖縄は、第二次世界大戦後、米国に従属する日本の反動政権のもとで、日本と政治的にきり離され、27年におよぶ米軍の支配下に置かれるようになりました。
1972年に沖縄は本土復帰を果たしましたが、米軍基地は何ら変わらずむしろ強化されてきており、沖縄は米軍戦略上、太平洋のキーストーンと位置づけられています。
沖縄の辺野古に計画されている新基地などは、米帝国主義の軍事戦略において前線基地的な位置にあり、その意味では沖縄におけるたたかいは米帝国主義に抵抗する基地闘争であり、世界史的な意味をもっているといえます。
沖縄の場合は、いまも日本の反動勢力、反動政権のもとで政治的に利用され、いびつで非常に理不尽なありようにたいして真っ向からたちむかっています。
したがって、沖縄の自主・平和を勝ちとっていくためには、人間性に富んだチュチェ思想にもとづいて朝鮮式社会主義建設をすすめてきた方法、柔軟でねばり強くかつ原則を曲げない方向性でたたかうことが有効的であり、重要であると思います。チュチェ思想の主体を強化するたたかい、一貫して原則をつらぬくたかいを学んでいく必要があるということです。
それは沖縄の自主・平和のためだけではなく、日本が米国隷従から脱し、主権国家としての本来の歴史的方向への歩みを保障するものでもあります。
沖縄におけるチュチェ思想研究普及活動
沖縄は、これまで、毎年、1月、金正恩委員長の誕生日に際してチュチェ思想全国セミナーを開催してきました。日本の自主・平和の運動を展開するうえで、とりわけその思想的基礎であるチュチェ思想は大きな意義をもっています。チュチェ思想研究普及活動はきわめて重要です。
しかし、朝鮮にたいする誤った認識が依然として根強く、とくに朝鮮の核戦略にたいする誤った理解が朝鮮にたいする正しい理解を妨げているといえます。
平和運動の戦闘的な活動家のなかにも、朝鮮の核と聞いて、即座に朝鮮を危険視するような発言をする人がいることに驚かされます。政府やマスメディアの影響の結果というのは言うまでもありませんが、朝鮮がなぜ核をもつにいたったのかをまるで考えようともしない傾向が見受けられるのです。
朝鮮は南北分断以降、75年にもわたって米国と敵対的な関係にあり、米国は朝鮮を「悪の枢軸」「テロ支援国家」などと誹謗中傷しただけでなく、核先制攻撃の対象としたため、朝鮮はやむなく抑止力として自衛的な核をもたざるをえなかったのです。米帝国主義をはじめ、米国に従属している日本などの国々が朝鮮を四面楚歌にし崩壊をたくらんでいることに朝鮮は対抗しなければなりません。
朝鮮の核戦略は自国を防衛するためのものであることをていねいに、理解できるように説明していくことが求められています。朝鮮の核にたいする正しい理解が世界の平和問題の核心をなすものであることを認識させる工夫をする必要があります。それはチュチェ思想研究普及活動においても重要な課題となっているでしょう。
チュチェ思想は沖縄のたたかいの武器、あるいは日本のたたかいの武器となる思想です。チュチェ思想はそれだけの力を秘めた思想であるという信念と誇りをわたしたち自身がもって、もっと大胆に宣伝普及していかなければなりません。
青年をとりまく日本の思想状況を考えざるをえません。ポピュリズムの影響があり、またさまざまな思想潮流があり、マスメディアも政府や財界、スポンサーの影響を強くうけています。多くの青年たちが無思想のような状態になっています。すると誤った方向に導かれていく危険性があるように思います。
しかしよくみると、よい面もでているようにも思います。沖縄の状況や辺野古について勉強して新しい時代を開いていこうという意志を感じるのです。
しかし発展を志向する面や反戦平和の意識が必ずしも朝鮮問題と結びついていかないことを感じます。朝鮮問題を正しく考えていこうというようにならないことにもどかしさを感じています。
それを突破していくには、やはり討議をふやしていく、話し合いをふやしていかなければならないでしょう。社会的地位のある人の講演をたんに聞くということだけでなく、問題提起をしてふみこんで考えていくような議論、相互批判もしながら、ほんとうにこれでよいのか、いまの考えですすめていって辺野古の運動は現状を突破して勝利できるだろうか、とつっこんでいくということが重要です。
問題をつきつめていったときに、朝鮮革命という経験にうらうちされたチュチェ思想に学んで身につけて、チュチェ思想で武装してたたかっていくという契機になると思います。
チュチェ思想を学ぶ研究会は、地道ではあってもひじょうに有効ではないかと思います。先日も新しい人や若い人が研究会に参加しましたが、発展する芽は十分あります。
朝鮮労働党はチュチェ思想を指導思想とする歴史上はじめて誕生した党であるといえます。朝鮮労働党が革命の終局的勝利にむけて力強く導いている現実をみると、わたしたちはいっそう深くチュチェ思想に学びたたかわなくてはならないと思うのです。