チュチェ思想国際研究所代表団との談話
1980年10月17日
金日成
わが国を訪問したみなさんが元気に過ごしていると知り、うれしく思います。
団長先生は、わたしが健康な体で朝鮮労働党第6回大会を成功裏に指導したことを祝うと言われましたが、感謝します。
わたしは、みなさんがわが党第6回大会と党創立35周年を記念する祝賀行事に参加して、今回の党大会と祝賀行事をより意義あるものにし、朝鮮人民と日本人民の友好・団結を強化するうえで大いに貢献したことをうれしく思います。また、みなさんが日本でチュチェ思想を研究・普及するための活動を活発にくりひろげていることにたいして謝意を表します。
今多くの国の人々は、チュチェ思想を指針として自国を富強な自主独立国家に建設するために努めています。とくに、発展途上諸国でこのような動きが大きくみられます。新興独立諸国、発展途上諸国でチュチェ思想を自国の政策作成の指針にしようとする動きが高まっていますが、それは国際情勢における複雑な問題と自国が直面している困難な問題を打開するには、必ず自主性を守らなければならないという自覚を次第にもつようになったことと関連していると思います。
今アジア、アフリカ、ラテンアメリカの多くの発展途上国の人々は、民族の独立を守り新H会を建設するためには、自主性を堅持し、自立的民族経済を建設しなければならず、そのためには自らの民族幹部がいなければならないということを多く強調しています。アジア、アフリカ、ラテンアメリカの多くの発展途上国の人々は、自立的民族経済を建設するには自らの民族幹部を育てなければならないという認識をもっていますが、いまなお技術神秘主義と大国、先進国にたいする崇拝思想からぬけだしていません。
それでわたしは、わが国を訪問する発展途上国の人々に、大国、先進国にたいする崇拝思想から人々を解放しなければならない、自国の知識人と青年を信じ、彼らをたちあがらせて経済建設をおこなうべきである、彼らを大胆に信じて彼らが新社会の建設で自主性と創造性を発揮できるようにすべきである、チュチェ思想を具現するうえで重要なのは、すべての人が自主性と創造性を発揮することだと話しました。外国の人々はわたしの言葉が正しいと言っています。
昨年九月、アジアのある国の代表団がわが国を訪問した際、わたしはその代表団と会見しました。彼らは、自分たちの国では小さな工場さえ外国の技術者によって運営されているのに、朝鮮ではどうして外国の技術者なしに工場を管理・運営しているのかと尋ねました。それで彼らに、あなたの国で外国の技術者に工場の管理・運営をさせるのは人々に大国にたいする崇拝思想が多いからである、人々を技術神秘主義と大国にたいする崇拝思想から解放しなければならない、何よりもまず、政府指導機関と政権党内の人々を技術神秘主義と大国にたいする崇拝思想から解放することが重要であると話しました。
今回のわが党第6回大会には、外国の政権党の代表団が多く参加しました。アジアのある国の政権党は、以前は他の社会主義国の党大会に自国の党代表団を送りませんでしたが、わが党第6回大会には代表団を派遣しました。わたしは、わが党第6回大会に参加するためにわが国に来たその国の党書記長を団長とする代表団に会って長い時間談話を交わしました。彼らは自国にいるとき朝鮮に関する本を多く読み、朝鮮が発達しているという話もよく聞いたが、この度、朝鮮に来て現実を直接みると、本を読み、朝鮮について知っていたことより、すべてのものが何倍も超越していると言いました。代表団団長は、今回朝鮮に来て主に非同盟運動を強化・発展させる問題だけを討議するつもりでしたが、朝鮮の現実を直接みては、その問題だけを討議するのではいけないようだと言いました。そして、自国の総理も朝鮮に来てみるようにすべきだと言いました。それは、自国の総理もわが国に来てみてこそ、自国を朝鮮式に速やかに発展させることができるという意味です。その国は人口も多く、国土も広く、資源も豊かな国です。彼は今回わが国に来て、自主性を固守するには自立的民族経済を建設しなければならず、自立的民族経済を建設するにはわが国でのように思想、技術、文化の三大革命を遂行しなければならないということを痛感したと言いました。発展途上国の人々は誰もがこう言っています。
今、発展途上諸国には二つの困難な問題が提起されています。
その一つは、自らの民族幹部が不足していることです。発展途上諸国に民族幹部が少々いるにしても、少なからぬ人が発展した国の援助なしには工業を発展させることができないかのように思っています。それは、彼らに欧州の発展した国にたいする崇拝思想が多いからです。
発展途上諸国のなかには、以前英国やフランスの植民地であった国が少なくありません。英国やフランスの植民地であった発展途上国の人々には、いまなお以前の宗主国にたいする崇拝思想が多いのです。発展途上諸国は、自国の知識人を技術神秘主義と欧州の発展した国にたいする崇拝思想から解放しなければなりません。
発展途上諸国に提起される今一つの困難な問題は、政権党が正しい指導思想をもっていないことから、自国の実情にあう路線をうちだせずにいることです。一部の発展途上国の政権党は、大衆をふるいたたせる能力が足りず、彼らを新社会の建設に正しくたちあがらせていません。
政権党であれば当然、自国の実情にあう路線をうちだし、その貫徹のために大衆を党のまわりに結集し、闘争へふるいたたせなければなりません。ところが、一部の発展途上国の政権党は、外国の人々が自国に来て何かをしてくれることだけを望んでいるありさまです。
アフリカの発展途上諸国では、何よりも農業を発展させて穀物の生産を増やし、食糧難を克服することが重要です。
わたしは、アフリカの発展途上諸国の国家元首や指導幹部に会う機会があると、農業を発展させて食糧を自給自足してこそ、大国の統制からぬけだすことができると彼らに話しています。
アフリカの一部の発展途上国は、社会主義路線をうちだして社会主義を建設すると言ってはいますが、どのように社会主義を建設すべきかについてはよく知らないようです。
今、アフリカの国々にはわが国の技術者が多く行っていますが、彼らは灌漑工事の設計も、技術指導もおこなっています。われわれはそれらの国に無料で灌漑設備を提供したり廉価で輸出したりしています。
わたしはアフリカの発展途上国の人々に、われわれの灌漑工事の経験もしばしば話しています。
わたしは彼らに、わが国が解放された直後もそうだったが、停戦直後もわれわれには何もなかった、わが国では農民たちが自分が食べる食糧を背負って灌漑工事の現場へ行ってご飯を炊いて食べながら、土を人力で運んで貯水池のダムを築き、水路を作って灌漑工事をおこなったと話します。アフリカの国の指導者はわたしの話に感動し呼応していますが、一部の国は大衆を正しくたちあがらせることができず、1,000ヘクタールの田畑に水をひく灌漑工事を10年余りかかっても終えていません。
わたしは、わが国を訪問するアフリカの発展途上国の国家元首と指導幹部に、わが国の灌漑工事の経験だけでなく他の経験についてもよく話しています。
わたしは彼らに、わが国で電気機関車を生産した経験も話しました。
わが国で電気機関車を初めて製造しようとしたときのことです。当時、わが国に駐在していたある国の大使は、朝鮮のような小さい国で電気機関車の生産などは不可能なことだとして、自分の国で生産したものを輸入して使うようにと言いました。彼は、朝鮮で電気機関車の製造に成功すれば、逆立ちをしてみせるとまで言いました。
もちろん、あのとき外国から電気機関車を輸入して使うこともできました。しかしわれわれには、外国から電気機関車を買い入れる金もなく、また金があるとしても、いつまでも外国から電気機関車を買い入れて使うわけにはいきませんでした。外国のものをひきつづき輸入して使うと、自国の工業を発展させることができません。それで、われわれは自力で電気機関車を製造することにしました。
あのときわが国の労働者と技術者は、自らの力と技術で電気機関車をついに製造しました。今、われわれが生産した電気機関車がわが国の各地を走っています。今は初めて製造したときよりりっぱな電気機関車を作ることができるので、外国に輸出もできるようになりました。わが国で電気機関車を作れば逆立ちすると言っていた外国の大使は、われわれが自力で電気機関車を製造すると、ひそかに帰国してしまいました。
わたしは、わが国を訪問する発展途上国の人々に、わが国で初めてトラクターを製造したときのことも話しています。
発展途上国の数多くの人は、われわれの方式通りにやってみたいという勇気はもっていますが、まだチュチェ思想を思いきって具現していません。
今、東南アジアの諸国でも多くの問題が提起されています。わが党第六回大会に東南アジアのある国の政権党の中央委員会書記が参加しました。その党も社会主義国でおこなわれる党大会に今回初めて代表団を送ったそうです。
その国は自主性を堅持するために努めていますが、自立的民族経済を建設するにはどうすべきかがよくわからないようです。彼らは今回わが国の現実をみて、自分たちも努力さえすれば自立的民族経済を建設することができるだろうと言いました。
ラテンアメリカの発展途上国の人々も、チュチェ思想の要求通りに生きなければならないと言っています。わたしがチトー大統領の葬儀に参加するためにベオグラードへ行ったとき、そこでラテンアメリカのある国の大統領に会いましたが、彼はどうしてもチュチェ思想がさししめした通りに自分の国を建設すると言いました。今年の春、その国ではチュチェ思想に関するラテンアメリカおよびカリブ地域の科学討論会がおこなわれました。
今、多くの発展途上国の政権党がチュチェ思想をうけいれていますが、これはよいことです。わたしは、チュチェ思想をうけいれる国の政権党が自国の政府に影響を与えて、自立的民族経済を建設し、自主性を堅持し、すでに獲得した政治的独立を固守するようにさせることが重要だと思います。
発展途上国の政府と政権党が自主性を守り、人民が自主性と創造性を発揮するようにするならば、大きな問題を解決することができるでしょう。
今回、わが党第六回大会に参加した多くの発展途上国の政権党代表団は、わたしが党大会でおこなった中央委員会活動報告に全面的な支持を表し、報告で示された通りに新社会の建設をおこなわなければならないと考えると言って帰りました。ある国の人々は、わたしがわが党第六回大会でおこなった報告をダイヤモンドのように貴重な文献だと言いました。
アフリカ諸国の国家元首も、わが国に来てよいことを多く学んで帰ると言っています。
ザンビア大統領は、今年わが国を訪問し、日本も訪問しましたが、彼はわが国の訪問を終えて帰った後、自国の進むべき道は朝鮮式に社会主義を建設することだ、自分たちも社会主義を建設することができる、と言いました。ザンビア大統領は、わが党第六回大会にザンビア民族統一独立党の書記長を送りました。
わが党第6回大会にはジンバブエの総理とギニア大統領も参加して帰りました。
タンザニア大統領は、自国で複雑な問題が生じて今回はわが国を訪問できなかったが、今後訪問すると言いました。彼は以前、わが国を訪問したことがあります。タンザニア大統領は、今後わが国を訪問してわれわれと社会主義建設の問題を協議したいという意見を提起してきました。わたしはチトー大統領の葬儀に参加するためにベオグラードへ行ったときにも、タンザニア大統領に会いました。当時彼は、以前わが国を訪れたときに全部学びきれなかったのを、今後わが国を訪問してさらに学びたいと言いました。
わたしは、チュチェ思想国際研究所と各国のチュチェ思想研究組織が、チュチェ思想を学術的にだけ解説するのではなく、チュチェ思想を具現したわが国の社会主義建設の経験、とくに自力更生の革命精神を発揮して自立的民族経済を建設し、民族幹部を育てた経験を多く紹介する必要があると思います。
発展途上国の人々に、われわれが民族幹部はいかに育て、自立的民族経済はいかに建設し、新社会の建設へ人民大衆をいかにたちあがらせたのかを広く解説・宣伝して、彼らをして発展した国にたいする崇拝思想と技術神秘主義をすてさせ、新社会の建設に積極的にふるいたたせることが重要です。
みなさんは、安井郁先生が他界される最期の瞬間までわたしにたいする切々たる思いをこめて著した図書『朝鮮革命と人間解放』をもってきたとのことですが、ありがとうございます。安井郁先生のご著書を大切に保管します。
わたしは、安井郁先生の他界にもう一度哀悼の意を表します。安井郁先生の他界は、日本人民だけでなく朝鮮人民にとっても大きな損失です。わたしは安井郁先生が他界したとき、彼の妻に弔電を送りましたが、今日みなさんに会った機会に、今一度哀悼の意を表するということを彼女に伝えてくださるようお願いします。
わたしは、安井郁先生が著した図書『朝鮮革命と人間解放』を出版したみなさんと田鶴子さんに謝意を表します。
みなさんがチュチェ思想国際研究所の名による祝旗と贈物をもってきてくださったことに、感謝します。
みなさんの健康を祈ります。
(2025年4月、朝鮮外国文出版社が発表)
チュチェ思想国際研究所代表団 (1980年10月)
団長故 宮川武雄 (チュチェ思想国際研究所理事・神奈川大学名誉教授)
団員故 東谷敏雄 (チュチェ思想国際研究所参事・チュチェ思想研究全国連絡会会長)
秘書長 尾上健一 (チュチェ思想国際研究所事務局長)