日朝関係の正常化は自主・平和の保証
ノートルダム清心女子大学名誉教授田代菊雄

 進展する朝米関係

アメリカのオバマ大統領も韓国のイミョンバク大統領も大統領就任当初、朝鮮にたいしてきわめて対立的な政策を実施していました。

オバマ大統領は、就任後まもなくの2009年4月、プラハにおける演説で朝鮮が打ち上げた人工衛星をミサイルに転用できるロケットと述べ、あたかも朝鮮がミサイルを発射したかのように聞こえる表現を用いて朝鮮を非難しました。さらには国連で朝鮮を非難する議長声明を出させるようにしました。

イミョンバク大統領は、キムデジュン元大統領とノムヒョン元大統領がそれぞれピョンヤンを訪れて金正日総書記とのあいだで結んだ南北共同宣言(2000年6月15日)と北南関係の発展と平和・繁栄のための宣言(2007年10月4日)を無視し、朝鮮が核を放棄すれば北の1人当たりGDPを3000ドルにするための経済援助をおこなうという「非核、開放、3000」政策を実施しました。

しかしアメリカは2009年8月、クリントン大統領が電撃的に訪朝し、金正日総書記と会談し、スパイ行為を働いて拘束されていたアメリカ人女性記者2名を解放しました。

またアメリカは同年12月にはボズワース朝鮮問題担当特別代表が訪朝して核問題に関して協議をおこないました。  2009年8月、キムデジュン元大統領が逝去し、朝鮮の弔問団が南を訪れ、南北高位級会談が実現しました。民間レベルにおいても、現代グループの会長が北を訪れ、金正日総書記と会談して、経済交流を促進することで合意しました。

アメリカも韓国も強硬路線から柔軟路線に転換しつつあります。

日本のマスコミの報道によれば、朝鮮は世界のなかで孤立しているように見えます。しかし実際は世界の160余か国と国交があります。朝鮮が外交関係をもっていないのは、アメリカ、日本、イスラエルなど、ごく一部の国に限られています。ヨーロッパで外交関係のないのはフランスですが、EUが朝鮮との外交関係があり、実質的には友好関係を結んでいるに等しいといえます。

朝米協議が進めば、当然、朝米国交正常化も射程に入ってきます。アメリカが朝鮮と国交を回復しなければ、日本は動き出さないのではないかと思います。いま朝鮮が日本に国交回復のための呼びかけをおこなっても応えないでしょう。

日本は朝鮮にたいして「経済制裁」をおこなっていますが、朝鮮にとっては必ずしも損害を受けているわけではありません。むしろ日本が経済的に打撃を被っている場合もあります。境港市では朝鮮から輸入していたフグやカニが入ってこなくなり、水産加工業界が損失を被りました。

朝鮮はいままで政治的、経済的な圧力を加えられ、経済的な発展を抑えられていました。朝鮮は自立的民族経済建設路線にもとづき、基本的に自国人民と自国の資源に依拠して経済建設をおこなってきましたが、それでも困難があったのです。

対外関係が好転し、貿易が活発になれば、それによって解決する問題も出てきて、経済的には有利になると思います。

朝鮮は、レアメタルなど鉱物資源が豊富です。また鉄道など社会的基盤の整備を自力で解決するだけでなく貿易によって解決するほうが有利な側面もあります。そうした場合には距離的にも近い日本との関係で解決することも出てくるわけです。

 日本は隣国に投資や消費市場としての予備があるにもかかわらず、それを自ら遠ざけてしまっています。その損失は量的に見ても大きな金額になるのではないかと思います。

日本では新聞やテレビで、朝鮮が孤立した国である、核実験をおこなう危険な国だと報道しています。しかし実際には多くの国と国交をもって交流を活発におこなっています。

わたしが訪朝したときにも外国人がたくさん訪れていました。

初めて訪朝した2003年9月にも朝鮮民主主義人民共和国創建55周年を祝賀するためにチュチェ思想国際研究所のビシュワナス理事長をはじめアジア、アフリカなど各国からチュチェ思想研究者と各界人士が訪れていました。

同じ人間として生きる

拉致問題について考える場合、日本人と朝鮮人が同等の人権をもっているという前提がないことが一つの問題としてあります。

多くの日本人は、日本人の人権は守られなくてはならないが、朝鮮人の人権は守る必要がないと考えています。

拉致問題を解決するためには、日本人も朝鮮人も同じ人間として人権が同等に守られなくてはならないというとらえ方を確立する必要があります。

日本は、戦前において800万人の朝鮮人を強制連行し、さらには20万人の朝鮮女性を「日本軍慰安婦」として強制連行しました。

かつて日本が朝鮮人を強制連行して朝鮮人の人権を踏みにじった問題は、日本人が拉致されたことと同じように重大な問題があるわけです。

ところが日本人が朝鮮人に拉致されたことはたいへんな問題であると騒ぎ立てても、日本人が朝鮮人を拉致したことについてはあまり熱心に取り組もうとしません。

日本人が拉致されたことも朝鮮人が拉致されたことも対等にとらえなくてはなりません。

日本人と朝鮮人の人権に差をつけてとらえるのは、結局、差別意識であるといえます。

1874年(明治7年)、「征韓論」にやぶれて下野した板垣退助らが自由民権運動を開始し、憲法制定をすすめました。政権側も「征韓論」の立場にあり、この政策をおしすすめています。「征韓論」の根底にあったのも朝鮮人を人間としてみず、支配する対象とみなすことでした。

明治政権は、朝鮮を支配するために、日清戦争(1894~95年)、日露戦争(1904~05年)を引き起こし、1910年には韓国を併合して日本の領土にしてしまいました。日本の朝鮮にたいする植民地支配は、他の国には例がないほど悪質で凶暴なものでした。

植民地支配下の朝鮮においては、裁判権も剥奪され、朝鮮人は氏名さえ日本名に代えることが強要され、日本語の使用が強要されました。経済的に関税は廃止されていました。

日本においてもかつて実質的に関税がなくなったことにより、外国の安い商品が日本国内に入ってくるようになり、国内産業に影響を及ぼしたことがありました。木綿などが欧米から輸入されるようになり、東北地方でつくっていた木綿が売れなくなるということが起こりました。

朝鮮にたいする差別、偏見の思想は、少なくとも明治時代以前にはありませんでした。

江戸時代には朝鮮通信使が12回も日本にやってきました。各地で歓迎の行事がおこなわれ、交流がもたれました。各地の知識人が朝鮮通信使を尋ねていっては大陸の文化を吸収しました。岡山にも瀬戸内海に面した牛窓という地域などに朝鮮通信史が宿泊して日本に大陸の文化を伝えたことが記録されています。

朝鮮半島から日本にやってきた人のなかには優秀な人も多く、1高(現東京大学)などの学校に入りトップクラスの成績を残したといわれています。しかし、そうした人たちは朝鮮名を使わなかったために、多くの人には事実が知られていません。

日本がもっとも優れていて、朝鮮は劣っているといった考え方は、明治時代になり、政府の教育によって植えつけられたものです。いまでも日本人の頭のなかには相当強く朝鮮にたいする偏見が残っています。

朝鮮脅威論に隠された真の意図

日本政府は、朝鮮脅威論を煽り、それを口実にして軍事力の強化を図っています。

日本政府には朝鮮を足場にしてアジアを支配しようとする野望があります。

一方で日本はアメリカとのあいだで日米安保条約を締結しており、政治的、軍事的にアメリカの支配下に置かれています。

日米安保条約は元来、アメリカが日本を支配することを合法化するために締結されたものです。日本はアメリカの支配下にあることにより、いかなることであろうと勝手に判断しておこなうことはできません。

対朝鮮政策といえどもアメリカの意図を無視して実施することはできません。アメリカの政権が、強硬路線から柔軟路線への転換を迫られているなかにあって、日本の超強硬路線がおさえられている側面があるように思われます。

各国の軍事費のランキングを見ると、アメリカが第1位で、世界の軍事費(1兆3000億ドル、2007年)の約半分を占めています。イギリス、フランス、中国とつづき、日本は、世界第5位です。朝鮮はそのランキングにも入りません。さらにアメリカは核兵器を1万発近く保有し、50万の兵力を世界の至る所に配置しています。

軍事力だけでアメリカや日本と朝鮮を比較すれば、まったく問題になりません。

アメリカや日本が朝鮮脅威論を叫ぶのは、朝鮮の軍事力自体が脅威なのではなく、他の意図があります。アメリカは、90年代以降、ソ連東欧社会主義が崩壊し、冷戦体制が終結するなかで、新たな敵を見つける必要がありました。アメリカはまた、中国、ロシアを狙っています。アメリカは経済的に急成長をつづける中国を内部から瓦解させようと画策しており、それを隠蔽するために朝鮮脅威を必要以上に煽っているのです。

アメリカは、日本自体を支配するために日米安保条約を締結しています。アメリカは日本にたいする支配を維持するためにも朝鮮脅威を煽り、日米軍事同盟体制を強化して、日本をアメリカの世界戦略のために利用しようとしています。

日本の支配層は、朝鮮が統一するとアジアが平和になり、軍事基地が必要でなくなることを恐れています。朝鮮統一を妨害するために、朝鮮脅威を煽り、拉致問題を執拗に持ち出しているのです。

朝鮮が統一すればアジアが平和になり、日本に駐留する米軍基地もいらなくなります。基地は戦争のための出撃基地であり、どこに移設するかではなく基地自体をなくさなくてはなりません。

朝鮮を正しく知り、日朝国交正常化をおし進めることは日本とアジアの平和を実現していくうえで決定的な契機となります。

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チュチェ思想は、自主性の時代を反映して創始された自主の思想であり、自主の流れを促進させるものです。チュチェ思想は、単なる机上の理論ではなく、日本の自主化を実現するための指針です。

チュチェ思想に学びながら、日本の人々のために、日本の人々の力に依拠して、新しい運動をつくっていくことが大事です。