わたしは、大鷹淑子先生がわが国をふたたび訪問されたことをうれしく思い、あなたを熱烈に歓迎します。
先生とお会いしたときからすでに4年という歳月がすぎました。わたしは、先生が1975年に田村先生といっしょにわ 国にこられたときのことをいまでもはっきりと覚えています。
最近、祖国に来た総聯議長から、先生が民主主義的民族権利の擁護と祖国の自主的平和統一をめざす在日朝鮮同胞のたたかいに深い関心をよせており、朝鮮人民の祖国統一偉業を積極的に支持声援してくださっているということをうかがいました。
わたしは、大鷹淑子先生が朝鮮人民の正義の偉業を積極的に支持声援し、朝・日両国人民の友好・団結のために尽力されていることに感謝します。
先生は、このたびの訪問日程にゆとりがなくて、金剛クムガン山を探勝できずに帰られるとのことですが、わが国には金剛山をはじめ名山がたくさんあります。白頭ペクトウ山や妙香ミョヒャン山も有名な山です。今後、時間の余裕をとってまたわが国を訪ね、ゆっくり休息しながら金剛山も探勝されるようにしてください。
わたしの母について語ってほしいとのことなので、簡単に話すことにしましょう。
わたしの母は非常に慈愛深い人でした。母は、わたしやわたしの友人をとても大事にしてくれました。母は、わたしが学校に通っていた当時は、わたしといっしょに勉強していた学生を、わたしが革命闘争をしていたときには、わたしとともに革命闘争に参加した友人を大事にしてくれました。友人たちは、わたしの母をいつも「わたしらのお母さん」と呼んで非常に尊敬していました。
母は、わたしやわたしの友人をいつも励ましてくれました。われわれに、つねに祖国と人民を忘れず、国の独立のためにたたかわなければならないと教えてくれました。
母は大衆性のある人でした。
母はみずから革命闘争に参加したばかりでなく、革命闘争に参加した同志たちの活動を積極的に助けてくれました。
母は非常に剛毅な人でした。
わたしの父は革命活動のため家をあけることが多く、日本の官憲に二度も逮捕され、獄中生活もしました。わたしの叔父も、革命闘争をして日本の官憲に逮捕されて獄中生活をし、わたしも、革命活動の初期に逮捕されて獄中生活をしたことがあります。ですから母は、心理的な苦痛を多くなめ、生活の面で非常に苦しい思いをしました。しかし母は、そういう苦しみや悲しみを一度たりともわれわれに見せたことはありませんでした。
母は、わたしが武装闘争をはじめたときになくなりました。わたしは、母が重い精神的負担のためになくなったのではないかと思っています。40歳をいちごに、あまりにも早い他界でした。
朝鮮の女性運動については先生もよくご存じのことと思いますので、長く話さないことにします。
女性運動でなによりも重要なのは、女性を社会的に解放することです。女性の社会的解放を実現するためには、封建的な抑圧と人身的な従属、社会的不平等から女性を解放しなければなりません。わが国では、すでに久しい前に男女平等権法令が実施されて、女性に男性と同等の権利が保障され、女性の社会的解放が実現しました。
女性の社会的解放を実現したのちには、男性と同じように社会に進出して、革命の車輪の片方を動かさなくてはなりません。そのためには、女性に社会へ進出して活動できる条件を十分に保障しなければなりません。
女性が社会に進出して活動できる条件を保障する上で大切なのは、彼女らの文化知識水準を高めることです。女性の文化知識水準が高くてこそ、社会に進出して男性と同じように活動することができます。
われわれは、女性の文化知識水準の向上に深い関心を払ってきました。解放直後には識字運動をくりひろげ、すべての女性が読み書きできるようにし、戦後には初等義務教育制と中等義務教育制を実施して、女性が男性と同じく人民学校と中学卒業程度以上の知識水準に達するようにしました。こんにちわが国の女性は、大部分が中等義務教育をうけているので、社会に進出してよく働いています。
いまわが国の女性は、ほとんどが社会に進出して働いています。もちろん、わが国における女性の社会進出率は、男性より多少劣っています。それは女性の特性と関連しています。
女性は肉体的特性からして、社会的に男性と同じ負担を負うことはできません。
わが国の女性は、主に軽工業、商業、公共サービス、保健医療、教育などの部門で働いています。こんにち、わが国の女性は国の堂々たる主人として社会に進出し、祖国と人民から負わされた任務をりっぱに果たしており、社会のために女性の手でできる仕事を受け持ってよく働いています。わが国には、協同農場の管理委員長、工場、企業所の支配人、中央機関の幹部として活動している女性がたくさんいますが、みなりっぱに働いています。
女性が社会に進出して活動できる条件を保障するうえでまた重要なのは、家事の重い負担から女性を完全に解放することです。女性は家事の負担からも解放されてこそ、社会に進出してりっぱに活動することができるのです。
われわれはまだ、女性を家事の負担から解放するという課題を完全に実現していません。ですから、社会に進出している女性はいまなお二重の労働負担を背負っています。女性は、職場に出て男性と同じように働き、家に帰ってからは家事をしなければならないので、肉体的にかよわい女性にとってこうした負担は力に余ることです。
われわれは、女性を家事の重い負担から解放する事業に大きな力をそそいでいます。われわれは幼児を国家的に、社会的に養育することに大きな力を入れ、幼児を育てる骨のおれる仕事から女性をほとんど解放しました。しかしまだ加工食品や家庭用品を十分に生産供給できないので、女性を家事の負担から完全には解放していません。炊飯を工業化し、台所の仕事をたやすくできるようにすれば、家事の重い負担から女性を解放することができます。
われわれは今後、第五回党大会の決定どおり、食品加工工業と日用品工業をさらに発展させ、女性を家事の負担から完全に解放する計画です。女性を家事の負担からも解放すれば、わが国における女性問題は完全に解決されることになるでしょう。
先生は、朝鮮の男性と結婚して夫といっしょにわが国に来て暮らしている日本女性が、なんの心配事もなく幸せで朗らかな生活をしている姿を見て大きな感動をうけたことを日本人にかならず伝えたいとおっしゃいましたが、結構なことだと思います。
朝鮮人と日本人は同じアジア人であり、朝鮮と日本の風俗も似ているので、朝鮮に来た日本の女性は、朝鮮人の生活にすぐ慣れ、社会に進出しても人びととよくうちとけます。彼女らは朝鮮語も上手です。いつだったか、わたしは朝鮮に来て暮らしている日本女性に会ったことがありますが、彼女らは朝鮮語でよく話しました。
朝鮮で暮らしている日本女性は、子どもたちをみな学校にやって勉強させており、夫とむつまじく暮らしています。わが国に来て暮らしている日本の某女性が先生に、自分の家庭には大学生が七人もいると自慢したそうですが、そういう人はたとえぜいたくな暮らしはできなくとも、一家に大学生が七人もおり、衣食住の心配がないので満足しているのではないかと思います。
わたしは数年前、わが国に来て暮らしているある日本女性に会い、朝鮮に来て暮らしてみてどうかとたずねてみました。彼女は、日本にいたとき夫はいくら働いても生活が苦しいので、よくやけ酒を飲んでは自分に毒づき、なぐるときさえあったが、朝鮮に来てからは、生活に心配がないのでよく働き、酒もすこししか飲まず、自分を大切にしてくれるといっていました。そして、朝鮮に来て暮らすようになってからは、衣食住や子どもの教育の問題で心配することがなくなっただけでなく、夫になぐられなくなったのでとても幸せだというのでした。
わたしが彼女に、わが国の軽工業製品をはじめ一部の製品は、日本の製品にくらべて劣っているから、そういうことで生活に不便な点があるのではないかと聞いたところ、日本の商店にはぜいたく品は多いが、金のない人にはそれが買えない、朝鮮の商店にはぜいたく品は少ないが生活に必要なものはそろっており、価格も安いので、朝鮮に来てなんの不便もなく暮らしているといいました。
先生が提起した、朝鮮在住の日本女性を日本にいる父母に会わせる問題は、わが国と日本政府が相互主義の原則により十分実現できる問題だと思います。わたしは今後、朝・日両国間に観光客が行き来して親善往来がさかんになれば、この問題も解決されるのではないかと思います。
先生は、わたしが4年前に会ったときより若返ったようだといわれましたが、わたしはいま健康です。わが国ではすべてが順調にいっているので、わたしの健康も保たれているのだと思います。
こんにち朝鮮人民の寿命は、解放前にくらべてかなり長くなりました。
わたしは、人間が長生きするためには、なによりも生活にたいする心配があってはならないと思います。朝鮮人民は生活についての心配をしません。朝鮮には、税金をとりたてる人もいなければ、借金を背負って暮らしている人もおらず、人間による人間の搾取もありません。朝鮮では国家が子どもをみな教育し、人が病気になれば無料で治療してやります。衣食住の心配をすることなく、心安らかに暮らすので、寿命が長くなるのは当然です。
ただいま先生がいわれたように、わが国では子どもや生徒が歌を一つうたうにしても明朗で元気いっぱいうたい、幸せを思う存分享受し、すこやかに成長しています。
わが国には、ある国のように自殺をしたり非行に走る学生・生徒はおらず、また、そのようなことはおこるはずもありません。学齢前の幼児はみな託児所や幼稚園で保育され、学齢に達すれば、義務的に学校に入学して教育をうけます。
児童・生徒は、授業が終われば楽器をもって工場や協同農場に出かけて芸術活動をします。先生がここに来るとき、楽器をもって歩いている生徒を見かけたとのことですが、いまは田植えどきなので、それは多分田植えをする人たちを励ますため農村に出かけるところなのでしょう。児童・生徒がそういったことをするのはよいことです。児童・生徒がそのような活動を大いにおこなえば、元気で活発になります。
児童・生徒は少年団野営所に行ってたのしいキャンプ生活もします。われわれは、全国各地に児童・生徒のための野営所をつくっておきました。先生がまた朝鮮にこられたときは、児童・生徒のキャンプ生活も見ていただきましょう。
われわれは、青少年学生にマスゲームもさかんに奨励しています。マスゲームはスポーツであり、芸術であるといえます。
マスゲームは、青少年学生に、組織性と規律性、集団主義精神をつちかい、体力を養い、芸術的技巧を高めるのにたいへん役立ちます。マスゲームは、人民に党の政策を解説、宣伝するうえでも効果があります。
マスゲームは、児童・生徒の勉強の妨げになりません。大がかりなマスゲームをするときには、各学校に一つ二つの部分を分担してあらかじめ練習させ、それをあわせれば短時日内に完成することができます。わが国では、ピョンヤンだけでなく、道や郡でもマスゲームをしています。
われわれが幼児や児童・生徒の教育を重要視するのは、ほかならぬ、かれらが国と民族の未来であるからです。幼児や児童・生徒を豊富な知識と健全な思想をもった未来の担い手としてりっぱに育てあげてこそ、かれらが社会に進出して人民のために忠実に奉仕することができ、社会をりっぱに発展させていくことができるのです。
わたしがいまどのような問題にいちばん深い関心をもっているかという先生の質問ですが、わたしは、第二次七か年計画を成功裏に遂行して人民生活をいっそう向上させる問題をはじめ、いろいろな問題について考えています。とくに、祖国統一の問題についていろいろと考えています。
祖国を統一することは、わが民族の最大の念願です。わが国はいまなお分断状態にあり、朝鮮半島の緊張は取り除かれていません。これは、全朝鮮人民に大きな不幸をもたらしています。
どの年だったか、わたしは開城ケソンに行ったとき、ある工場の労働者と話したことがあります。そのとき、ある女性労働者に、家でだれといっしょに暮らしているのかと聞いてみたところ、戦争のとき兄は南朝鮮に行き、いまは母といっしょにいるとのことでした。そして、祖国解放戦争当時、人民軍が来れば皆殺しにされるという敵の悪宣伝をまにうけ、荷をくくって兄を南朝鮮に行かせたことがいまだにくやまれるというのでした。彼女は、アメリカ帝国主義と南朝鮮かいらいの民族分裂策動のため、戦争当時南朝鮮に行った兄の生死さえまだわからないありさまです。
第35回世界卓球選手権大会のとき、アメリカ国籍を所有しているある朝鮮人がアメリカ卓球選手団の通訳として祖国に来て、母と姉に会ったことがあります。かれはおよそ30年ぶりに祖国に来て、母、姉と感激的な対面をしました。かれは、南朝鮮かいらいのデマ宣伝を聞かされてきたので、母と姉はとっくに死んでいるか、生きているとしてもピョンヤンではなく、地方に住んでいるものとばかり思っていたそうです。ところが、予想に反して母と姉が生存しているばかりでなく、地方ではなくピョンヤンで暮らしており、姉は医科大学を卒業して医師として働いており、大学の講座長をつとめている義兄とも会えたのですから、かれの感激ぶりは想像を絶するものでした。かれは、母と姉に会ってからは、ホテルをひきはらって姉の家にいきました。
朝鮮には、コイカル、ムクドリ、ウグイスをはじめ、いろいろな種類の鳥がたくさんいます。鳥は南北を自由に飛び交っています。わが国の鳥類学の某博士が、南朝鮮で鳥類学を研究している自分の息子の名を、鳥をつうじて手にしたことがあります。学生が標識脚環をつけた鳥をとらえたところ、それには鳥類学博士の息子の名が記されていたのです。そこで鳥類学博士も鳥の脚に標識の環をつけ、その鳥をふたたび放したそうです。こうした事実を知った人たちは、鳥でさえ北と南を自由に行き来しているというのに、南北に別れた家族は手紙のやりとりさえできないとなげいたそうです。
国土の分断によって朝鮮人民がなめているこうした不幸と悲劇は1日も早くなくさなければならず、朝鮮はかならず自主的に、平和的に統一されなければなりません。
朝鮮人民は祖国の統一を望んでいるのですが、南朝鮮かいらい一味は祖国の統一を望んでいません。南朝鮮当局者は北と南の対話をしようと宣伝していますが、かれらのいう対話なるものは、国の分裂を永久に固定化させようとするところに目的があります。
南朝鮮当局者は1972年に自主、平和統一、民族大団結の三大原則を基本内容とする7・4南北共同声明に署名しておきながら、すぐさまそれをくつがえしました。かれらは南北共同声明が発表されたあと、分裂策動をいっそう強化し、ありもせぬ「南侵の脅威」を口実に「非常戒厳令」まで布しきました。
わたしは、北と南の高位級政治会談に参加するためピョンヤンに来た南朝鮮側の代表に会って話しあったときにも、わが民族の分裂を防ぐべきであり、北と南が「対決」するのではなく、団結し合作すべきだと強調しました。わたしはかれらに、北と南が理解を深めるには経済分野から合作すべきだといって、つぎの三つの問題について語りました。
第一に、共和国北半部には鉄鉱石や石炭をはじめ地下資源が豊富であるから、南朝鮮は労働力を出し、われわれは機械設備を出して、それを共同で開発しようといいました。
南朝鮮当局者は、大勢の南朝鮮人民と女性を西ドイツやブラジルなどの資本主義諸国に売り渡しています。はなはだしくは、子どもまでも外国に売り渡しています。数年前ある国の代表団がわが国に来たとき、その団長は、自分の友人も南朝鮮の子どもを買って育てているといっていました。
第二に、北と南が合作して、南朝鮮の農村を水利化しようといいました。
わたしは南朝鮮側の代表に、あなたがたがいまやっている「セマウル運動」というのは、日本からプラスチック・プレートを買って農村のわらぶき屋根をふきかえることなのだが、そういうことで農民の生活問題が解決されるだろうか、農民が食の心配をせずに安心して暮らせるようにするには、南朝鮮でも水利化をおこない、ヘクタール当たりの穀物収量を高めて食糧問題を解決すべきだ、われわれには水利化の経験もあり、灌漑技術者もおり、水利化に必要な機械設備もあるから、われわれと合作して南朝鮮の農村を水利化しようといいました。
第三に、南朝鮮の漁民が共和国北半部の領海に来て漁獲できるようにしようといいました。わが国の東海にはよい漁場がありますが、南朝鮮の漁民は漁場がなくて魚をいくらも捕れず、たいへんな苦労をしています。わたしは南朝鮮側の代表に、南朝鮮の漁民が共和国北半部の領海に来て自由に漁獲できるようにさせよう、われわれは南朝鮮の漁民がしけにあえば退避させ寝食も保障してやる、といいました。するとかれらは、まったくりっぱなお言葉だ、南朝鮮当局者も歓迎するだろうといいました。ところがその後、南朝鮮側は、北と南の合作のためのわれわれの提案にことごとく反対し、金剛山を共同開発して観光業でもやろうといってきました。
このたびピョンヤンでおこなわれた第35回世界卓球選手権大会に、北と南の卓球選手が統一チームを構成して参加する問題について北と南の卓球協会代表の会談がおこなわれましたが、南朝鮮反動層の妨害策動によって、これも実現しませんでした。
いま南朝鮮当局者は、民族の分裂を永久化するため、軍事境界線にそって鉄筋コンクリートの障壁まで築いています。南朝鮮当局者は、軍事境界線に鉄筋コンクリート障壁を築くことによって、祖国と民族のまえにさらに大きな罪を犯しているのです。
南朝鮮当局者は祖国の統一に反対し、民族の分裂を永久化するためあらゆる策動をしています。かれらが民族の分裂を永久化しようといくら策動しても、それはけっして意のままにはならないでしょう。
朝鮮民族は一つの民族です。わが民族は同じ言語と同じ風習をもち、一つの国土で暮らしてきた単一民族です。朝鮮人民の闘争によって敵の民族分裂策動は粉砕され、祖国統一の偉業はかならずや実現されるでしょう。
先生は4年ぶりに朝鮮を訪問し、その間、新しい建築物がたくさん建てられたのを見て驚いたといわれましたが、われわれはこれまでかなりの建設をしました。
第35回世界卓球選手権大会のときにわが国に来たアメリカの記者たちも、敵のデマ宣伝ばかり聞かされていたので、ピョンヤンには乞食が多く、住民は穴ぐらに住んでいるものと思っていたのだが、このたび来て朝鮮の発展ぶりを目のあたりにして驚いたといっていました。かれらは、アメリカにはピョンヤン体育館のようなりっぱな施設の体育館はなく、またアメリカでは劇場の入場料が非常に高いのだが朝鮮ではまったく安いといっていたそうです。
アメリカ人がこのたび朝鮮に来るときいちばん心配したのは、われわれがかれらを差別待遇しはしまいかということだったそうです。われわれはかれらを他の国の人と同じように待遇しました。かれらはわれわれから差別待遇をうけなかったばかりでなく、朝鮮の現実をじかに見たので、わが国にたいしてよい印象をいだいて帰っただろうと思います。
われわれは今後も建設をさかんに進める計画です。建設をさかんにしてこそ、国の発展をうながし、人民生活を向上させることができます。今年は、ピョンヤンに大きな産院とヘルスセンターを建設する予定です。もちろん現在、区域ごとに浴場があり、区域病院には産婦人科がありますが、それらは規模の小さいものです。われわれは、規模が大きくて近代的な産院と、プールまで併設したヘルスセンターを建設する考えです。
日本人民に伝えることはないかという先生のお言葉ですが、われわれは日本人民との親善・団結を強めるために努力しています。われわれは最近も、しけにあった日本漁船の船員たちの便宜をはかってやったことがありますが、それは朝・日両国人民の親善・団結のために好ましいことであると思います。
日本は、わが国と地理的に近い隣邦です。こんにち朝・日両国の人民は、ともに東北アジアの平和のために努力しています。
われわれは、日本人民が、祖国の平和的統一をめざす朝鮮人民の闘争を積極的に助け、朝・日両国人民の親善・団結のために努力してくれるよう望みます。われわれのこのような願いを日本人民に伝えてください。
日本政府も、朝鮮の平和的統一に有利な環境をつくりだすため努力すべきでしょう。
先生が帰られましたら、朝鮮人民の平和統一偉業に支持声援をよせている日本人民に、わたしのあいさつをお伝えください。