チュチェの党建設理論は労働者階級の党の 建設において堅持すべき指導指針である
-朝鮮労働党中央委員会の責任幹部におこなった演説-

1990年10月10日
金正日

きょうわが党は、 創立四五周年を意義深く迎えています。 わが党は創立を宣布して40年になりますが、 金日成同志によって初の党組織が結成されたときからすれば60年であり、 「トゥ・ドゥ」の旗のもとに党の歴史的根が下りはじめたときからは、 それよりさらに長い歳月が流れています。 わが党は長い歴史をもっているだけでなく、 きわめて豊富で貴い業績と経験を積んでいる洗練された老練な党です。

長いあいだ、 栄えある闘争の道を歩んできた党の創立記念日を迎えて、 われわれが格別高い誇りとするのは、 党の創立者である金日成同志とともにこの意義深い日を記念していることです。 世界には労働者階級と勤労人民大衆の利益を代表する党は少なくありませんが、 党の創立者とともに半世紀以上の闘争の道を歩んできた党はありません。 朝鮮の革命偉業を開拓してわが党を創立した金日成同志を60余星霜変わることなく党と革命の首位に高くいただいているのは、 われわれ党員と人民のこのうえない光栄であり、 幸せであります。

こんにちわが党は朝鮮人民の絶対的な信頼を得ており、 自己のまわりに人民大衆をかたく結集しています。 朝鮮人民は 「党が決心すればわれわれは実行する!」 というスローガンを高くかかげ、 党の路線と政策を実行するために水火をいとわずたたかっています。 これは、 党にたいする人民大衆の信頼がいかに厚く、 党と大衆の統一団結がいかに強固なものであるかを明白に示しています。

わが党は国際的にも高い権威をもっています。 いま、 世界の革命家と進歩的人民は、 帝国主義者と動派の悪辣あくらつな反社会主義策動にも微動だにせず、 社会主義の道を力強く前進しているわが党の闘争に大いに励まされています。

わが党にたいする朝鮮人民と世界の革命的人民の厚い信頼は、 党の不敗の威力とチュチェの革命偉業の正当さ、 チュチェの党建設理論の偉大な生命力を如実に証明しています。

働者階級の党の指導は、 労働者階級の革命偉業の勝敗を左右する決定的な条件です。 労働者階級の革命闘争が勝利するためには、 科学的な理論と戦略戦術によって指導されなければなりません。 科学的な理論と戦略戦術は労働者階級の党によって提示されます。 労働者階級の革命闘争は、 労働者階級と勤労人民大衆が高い政治的自覚をもち、 組織された部隊としてかたく団結してたたかってこそ勝利することができます。 労働者階級と勤労人民大衆を意識化、 組織化し、 一つの戦闘隊伍に結束することは、 労働者階級の党によってなされます。

労働者階級と勤労人民大衆は、自己の解放偉業のために組織的な闘争に立ち上がった当初から、 その闘争を導く政治的参謀部を求めました。 労働者階級の革命闘争発展の合法則的要求から出発して、 マルクスははじめて労働者階級の革命的党を創立しました。 それ以来、 世界には労働者階級と勤労人民大衆の利益を代表する数多くの党が出現し、 労働者階級の革命偉業、 社会主義偉業は党の指導のもとに開拓され、 発展してきました。

共産主義運動の歴史は、 労働者階級の党の闘争の歴史です。 労働者階級と勤労人民大衆は、 自己の前衛的党を代表者におし立て、 革命闘争の歴史を創造します。 労働者階級と勤労人民大衆の革命闘争は、 労働者階級の党の指導のもとでのみ勝利の道を切り開いていくことができます。

わが党は労働者階級の新しい型の党、 チュチェ型の革命的党です。

党の性格と特徴は、 その党が何のためにたたかい、 どのような思想によって指導されるかによって規定されます。

党の偉業は党建設と党活動の根本的方向を規定します。 わが党の偉業は、 人民大衆の自主性を完全に実現するためのチュチェの偉業であります。 チュチェの偉業を完成するのはわが党の闘争目的であり、 崇高な使命であります。

指導思想は党の路線と戦略戦術の思想的理論的基礎となります。 正しい指導思想にもとづいてのみ、 科学的で革命的な路線と戦略戦術を作成することができます。 指導思想は党隊列の統一と団結の思想的基礎となります。 正しい指導思想にもとづいた党の思想・意志の統一団結のみがもっとも強固な統一団結になります。 わが党の指導思想は偉大なチュチェ思想です。 チュチェ思想を指導思想としてわが党が建設され、 党の偉業が開拓されてきました。 チュチェ思想を唯一の指導思想としているところにわが党の特性があり、 その偉大さと不敗性の源があります。

マルクスによってはじめて組織された労働者階級の党は、 マルクス主義を指導思想としました。 マルクス主義はレーニン主義によって継承され発展し、 大部分の労働者階級の党はマルクス・レーニン主義を指導思想としてきました。 マルクス・レーニン主義が出現してから長い歳月が流れるにつれ、 時代は変わり、 革命は前進し、 それにともなってマルクス・レーニン主義の歴史的制約性が露呈するようになりました。 マルクス・レーニン主義の歴史的制約性は党建設理論にもあらわれました。

マルクス・レーニン主義の創始者たちは、 党建設理論も唯物史観にもとづいて展開しました。 マルクス主義の唯物史観は、 社会を土台と上部構造に区分し、 土台に規定的意義を付与しました。 このような唯物史観の原理をもってしては、 革命の主体にかんする思想と、 革命の主体において中核的力量をなす労働者階級の党にかんする理論は正しく解明されえませんでした。 もちろん、 マルクス・レーニン主義の創始者たちも、 労働者階級の解放闘争における党の役割に重要な意義を付与し、 一連の党建設原則を示しました。 しかし、 従来の労働者階級の党建設理論は、 その基礎となった社会的歴史的原理の制約性によって、 党の思想建設原則をはじめ多くの問題を十分に提示することができませんでした。 労働者階級の党は人びとが結集した政治的組織であり、 その活動対象も人間です。 したがって、 党建設原理は当然、 人間の本質的特性についての科学的な解明にもとづいて展開されなければなりません。とくに、 人間のすべての活動は思想意識によって規定されるため、 労働者階級の党建設では思想論の原理を十分に具現しなければなりません。

金日成同志は、 史上はじめて人間の本質的特性を科学的に解明し、 人民大衆の自主的で創造的で意識的な運動としての社会的歴史的運動の原理を新たに解明し、 それにもとづいて労働者階級の党建設理論を独創的に展開しました。 その結果、 労働者階級の党建設理論において画期的な転換となるチュチェの党建設原理が示されるようになりました。

マルクス・レーニン主義の党建設理論の制約性は、 それが依拠した社会的歴史的原理の制約性とともに、 時代的条件と実践的経験の制約性とも関連しています。

マルクス・レーニン主義の党建設理論は、 時代的制約性のため、 各国の共産主義者が自主的に党を建設する道を示すことができませんでした。 マルクス・レーニン主義の創始者によってインターナショナルが組織され、 個々の国での党建設が主に国際的中央によって指導されていた時期には、 自主的な党建設の道が満足に開かれえませんでした。 国際共産主義運動の草創期にはまだ、 各民族国家に、 独自に労働者階級の党を建設し、 革命を導くことのできる共産主義的中核が準備されていなかった状況のもとで、 個々の国での党建設事業は、 国際的中央の指導と大国の党の援助のもとにおこなわれるのがある程度やむを得ぬことと認められていました。 元来、 労働者階級の党は自主的に建設されなければなりません。 それは、 労働者階級の党があらゆる支配と従属に反対し、 勤労人民大衆の自主性を実現するためにたたかう自主的な指導的政治組織であるからです。 共産主義運動が世界各国で発展し、 広 範な人民大衆が自主性のための闘争に立ち上がった新たな歴史的環境は、 共産主義者が自国の革命を自ら責任をもち、 自国の実情に合わせて自主的に進め、 党建設も自主的に進めることを切実に求めました。 しかし、 国際的中央の指導と大国の党の援助のもとに既成の経験と枠にとらわれて党建設を進めていた古い観念はなかなか克服されませんでした。 かつてわが国でも、 教条主義、 事大主義に毒された分派分子らは、 数名ずつ寄り集まっててんでに 「党」 をつくり、 コミンテルンの承認を受けようと歩きまわりました。

金日成同志は革命発展の合法則性と時代の要請を洞察し、 確固たる主体的立場に立って自主的な党建設の道を新たに切り開きました。 金日成同志は、 党建設と党活動で提起される諸問題を朝鮮人民の志向と要求、 わが国の具体的実情に合わせて自主的に解決することにより、 わが党を新しいチュチェ型の党に建設しました。

マルクス・レーニン主義の党建設理論は、 実践的経験の不足から、 党建設で提起される原則的な問題に全面的な解答を与えることができませんでした。 かつて労働者階級の党の創立は通例として、 少数の共産主義先駆者によって共産主義グループが結成され、 それにもとづいて党中央を組織し、 党の創立を宣布する方法でなされました。 マルクス・レーニン主義の創始者たちはまた、 相異なる歴史的条件のもとでの党建設経験を積むことができませんでした。 マルクス主義の創始者たちは、 労働者階級が政権獲得をめざす闘争を展開していた革命段階の歴史的条件のもとで活動したため、 政権党建設の経験を積むことができませんでした。 レーニンがはじめて社会主義革命を遂行し、 政権を掌握した労働者階級の党を指導しましたが、 その経験は政権党建設の理論を体系化するにはあまりにも未熟なものでした。 マルクス・レーニン主義の党建設理論は、 その創始者たちの限られた未熟な実践的経験を一般化したものであったため、 全面的に完成された党建設理論にはなりえませんでした。

金日成同志は、 党の創立から強化、 発展にいたる党建設の全過程を指導しながら、 独創的な経験を積みました。 金日成同志は、 既成の党創立方法とは違って、新しい世代の青年共産主義者で最初の党組織を結成し、 それを母体にして各地域に党組織を拡大しつつ、 党の組織的思想的基礎を強固に築いた基盤のうえで党を創立し、 その過程で基層党組織をはじめ各級党組織を組織、 指導する豊富な経験を積みました。 また党を創立した後にも、 党細胞にいたるまで各級党組織にしばしば出向いて自ら指導しながら、 党活動の経験を豊富にしました。 そして地下革命闘争と抗日武装闘争から民主主義革命と社会主義革命、 社会主義建設にいたる各段階の革命闘争を指導しながら、 相異なる革命段階と闘争条件での党建設の経験を積み、 この多様で豊富な党建設の経験にもとづいて党建設理論を新たに体系化しました。 とくに、 長期にわたる豊富な政権党建設の経験にもとづき、 政権党の建設で提起される理論的実践的諸問題を全面的に解明しました。

わが党は、 金日成同志の独創的な党建設の理論と伝統を汚れなく継承し、 それを革命発展の要請に即してたえず深化発展させました。

金日成同志によって創始され、 わが党によって継承され発展してきたチュチェの党建設理論は、 革命の新しい指導思想であるチュチェ思想にもとづいて展開された科学的で革命的な党建設理論であり、 相異なる革命段階と闘争条件での党のすべての活動経験が全面的に集大成されている百科全書的な党建設理論です。 チュチェの党建設理論によって、 従来の党建設理論では提起されなかったか、予見できなかった数多くの新しい理論的実践的問題が科学的に解明されるようになりました。

われわれはチュチェの党建設理論を堅持し、 党建設と党活動にりっぱに具現していかなければなりません。

労働者階級の党は、 唯一思想体系にもとづいて建設されなければなりません。

唯一思想体系にもとづいて党を建設するのは、 労働者階級の党建設の合法則的要求であり、 固有な特徴です。 党の唯一思想体系は、 領袖の思想体系であり、 指導体系です。

わが党は、 労働者階級の革命偉業遂行における領袖の地位と役割を解明し、 それにもとづいて党の唯一思想体系確立にかんする理論を体系化しました。 社会的集団内での指揮にかんする問題は社会的運動一般で提起される問題ですが、 領袖の地位と役割にかんする問題は共産主義運動で新たに提起される問題です。 共産主義運動は他の社会的運動とは異なり、 集団主義の原則にもとづき同志的に結合した勤労人民大衆の目的意識的で組織的な運動です。 集団主義の原則にもとづき、 高度に意識化され、 組織化された運動としての共産主義運動は、 勤労人民大衆の意思をもっとも高く体現した卓越した領袖の指導によってのみ発展するのです。

マルクス・レーニン主義の創始者たちは、 労働者階級の革命偉業遂行における領袖の地位と役割にかんする問題に正しい回答を与えることができませんでした。 もちろん、 マルクス・レーニン主義の創始者たちも、 労働者階級の革命偉業遂行において領袖が重要な役割を果たすことを述べています。 しかしかれらは、 領袖の役割と、 社会的運動一般における指導者や労働運動の責任ある位置にある指導的幹部の役割とさほど区別しませんでした。 これは事実上、 労働者階級の領袖の役割を社会的歴史的運動における個人の役割と変わりないものとみなしたことを意味します。 唯物史観の原理によれば、 個人の役割はその活動を制約する物質的・社会的関係にかなり依存するようになります。 このような唯物史観の原理にもとづいては、 労働者階級の革命偉業遂行における領袖の地位と役割の問題が正しく解明されません。

チュチェ思想は歴史上はじめて、 労働者階級の革命偉業遂行において領袖が絶対的な地位を占め、決定的な役割を果たすことを科学的に解明しました。 労働者階級の領袖は個人ではなく、 階級の最高代表者です。 個人はいかにすぐれた才能をもっているとしても、 社会的集団の一構成員として限られた役割しか果たせません。 労働者階級の領袖は、 社会的集団の運命を開き、 労働者階級の歴史的使命を遂行するうえで決定的な役割を果たします。

従来の理論で、 領袖の役割にかんする問題を卓越した個人の役割にかんする問題とみなすようになったのは、 社会的運動一般におけるように、 領袖の役割にかんする問題を主として指揮にかんする問題とみなしたこととも関連しています。 領袖の地位と役割にかんする問題は、 単なる指揮にかんする問題ではなく、 社会的政治的生命体の中心、 最高頭脳にかんする問題です。 共産主義運動では、 革命隊伍が集団主義の原則にもとづいて組織的、 思想的に結合した一つの社会的政治的生命体をなします。 階級的対立がなくなった社会主義社会では、 全社会が運命をともにする社会的政治的生命体として結合されるようになります。 人間の生命有機体にはすべての生命活動を指揮、 調整する頭脳があるように、 社会的政治的生命体には、 その活動を統一的に組織、 指導する頭脳がなくてはならず、 社会的政治的生命体での頭脳の役割は領袖が果たすことになります。 共産主義運動と社会主義社会における領袖の地位と役割にかんする問題は、 チュチェ思想によってはじめて科学的に解明されました。

社会的政治的生命体の強固さと生命力は、 思想と指導の唯一性によって保障されます。 思想と指導の唯一性が保障されてこそ、 社会的政治的生命体内での領袖、 党、 大衆の一心団結がなしとげられ、社会的政治的生命体の運命がりっぱに切り開かれます。 社会的政治的生命体内において、 思想と指導の唯一性は領袖の思想と指導によって保障されます。 社会的政治的生命体において、 その構成員の意思は領袖によって集大成され、 その構成員の行動の統一は領袖の指導によって実現されます。 労働者階級の党は、 領袖の思想と指導にもとづいて党内に思想と指導の唯一性を確固と保障しなければならず、 そのためには唯一思想体系を確立しなければなりません。 党の唯一思想体系を確立することは、チュチェの革命的領袖観にもとづいて提示された労働者階級の党建設の根本原則です。

わが党は終始一貫、 唯一思想体系の確立を党建設の基本路線とし、 それをりっぱに具現することにより、 全党に領袖の思想体系、 指導体系を確立し、 もっとも強固な統一団結をなしとげ、 それにもとづいて革命と建設を力強く推進することができました。

労働者階級の党は大衆的政党に建設されなければなりません。

少数の搾取階級の利益を代表するブルジョア政党とは異なり、 労働者階級をはじめ広範な勤労人民大衆の利益を代表する労働者階級の党は、 大衆的政党に建設されるのが合法則的です。 労働者階級の党を大衆的政党に建設することは、 党の社会的階級的基盤がかつてなく拡大された新しい歴史的時代になってよりさし迫った問題として提起されました。 もちろん、 労働者階級の党が政権を掌握していない状況下では、 彼ひ我がの力関係によって大衆的党の建設にはある程度の制約性があるはずであり、 したがって革命情勢の要請にそって党建設を能動的に進めなければなりません。 労働者階級の党が政権を掌握すれば、 党を大衆的政党に発展させうるいっそう有利な条件がつくりだされます。 とくに社会主義革命が遂行されれば、 相異なる階級と階層の人びとがすべて社会主義的勤労者になり、 社会主義建設の進捗過程で社会構成員の社会経済的地位が労働者階級の姿に改造されていくので、 党の社会 的・階級的基盤はさらに拡大されます。 社会主義社会では、 労働者階級の党が必ず労働者、 農民、 勤労インテリの先進分子を結集する大衆的政党に建設されなければなりません。

大衆的政党の建設は、 党の労働者階級的、 革命的性格を固守し、 党を組織的、 思想的に強化することを前提とすべきです。 党を大衆的政党に建設するからといって、 だれでも入党させ、 党隊列の組織的思想的強化に相応の関心をはらわなければ、 党隊列の純潔を保つことができず、 党が戦闘力のある部隊になれず、 結局は革命の前衛部隊としての役割を十分に果たすことができなくなります。 わが党は一時、 党の戸口をみだりに開こうとした反党反革命分派分子の策動を排撃し、 党勢拡大において革命的組織原則を固守しました。 わが党は労働者階級の中核党員を多数育成し、 党員の党性鍛練をはじめ党を質的に強化する活動を重視し、 それを強力におし進めました。 わが党は、 党の労働者階級的性格を確固と保障し、 党隊列の量的拡大と質的強化を密接に結合して大衆的政党建設路線をあくまで貫くことにより、 党を大衆のなかに深く根を下ろした強力な党に発展させました。

これまで少なからぬ政権党は、 労働者階級の党建設の合法則的要求に即して党を大衆的政党に建設することができませんでした。 一部の党は党の質的強化に相応の関心を払わず、 誰でも党に受け入れ、党内教育も正しくおこないませんでした。 その結果、 党が試練に直面したとき、 少なからぬ党員が脱党する事態までまねきました。 こういう党は、 党員数がいくら多くても真の大衆的政党とはいえません。 最近一部の国で労働者階級の党が破壊され、 共産主義者が少数の政治集団の地位に落ち込んだ主たる原因の一つはまさに、 党を政治的、 思想的にうちかためず、 広範な大衆のなかに深く根を下ろした真の大衆的政党に建設しなかったところにあります。

労働者階級の党は、 組織性と規律性の強い戦闘的党に建設されなければなりません。

革命的組織性と規律性は、 労働者階級の党の生命です。 労働者階級の党は熾し烈れつな階級闘争を導く戦闘的武器であり、 おり重なる試練と難関をつきぬけて革命闘争と建設事業を指導する革命の参謀部であります。 労働者階級の党は無定型的な集団になってはならず、 強い組織性と規律性をもった戦闘的部隊にならなくてはなりません。 労働者階級の革命的党があらゆる日和見主義的党と区別される重要な特性の一つは、 まさに全党が全一的に組織化され、 唯一的な規律によってひとしく行動する戦闘的な組織であるところにあります。

組織化され規律のある党の建設で提起される重要な原則は、 民主主義中央集権制であります。 マルクス・レーニン主義は、 党の組織原則としての民主主義中央集権制の一般的な規範を示しました。 党の民主主義中央集権制の重要な要求は、 党員は党組織に、 少数は多数に、 下級党組織は上級党組織に、全党員と党組織は党中央に服従し、 基層党組織から党中央にいたる各党組織の指導機関を民主主義的に選挙し、 すべての党員が党活動にかんする創意的な意見を十分に提起できるようにすることです。 党の民主主義中央集権制の原則を正確に具現するには、 民主主義中央集権制の根本的要求、 中央集権制と民主主義の結合方式が正しく規定されなければなりません。 この問題は、 チュチェの党建設理論によってはじめて明確に解明されました。 党の中央集権制は領袖の唯一的指導を実現するためのものであり、 党内民主主義は領袖の思想、 党の路線と政策にもとづく党員大衆の創意を発揮させるためのものです。 中央集権制と民主主義の結合は、 中央集権制を確固と保障する条件で民主主義を発揚させるものとなるべきです。 党内に中央集権制をぬきにした民主主義を許すのは、 つまるところ党内にブルジョア自由主義を引き入れ、 党を無定型的な組織に転落させることです。

党の規律は、 党員の高い組織観念と自覚にもとづく規律であり、 唯一的な党生活規範にもとづく規律です。 わが党は党員の党組織観念を高め、 党員の党組織思想生活にたいする指導、 統制を強め、 全党に唯一的な党生活規範にもとづく革命的な党生活気風を確立しました。 わが党は、 党の唯一思想体系の確立にもとづいて、 民主主義中央集権制の原則を正確に具現し、 党員の党生活を強化することによって、 領袖の唯一的指導のもとに全党がひとしく行動する強い組織性と規律性をもった不敗の革命的党に強化され発展しました。

労働者階級の党は、 党活動において対人活動を基本とすべきです。

対人活動を基本にすべきだとするチュチェの党活動理論は、 人間があらゆるものの主人であり、 すべてを決定するというチュチェ思想の哲学的原理にもとづいています。 革命と建設を推進する主体は人民大衆であるため、 労働者階級の党は当然、 党建設と党活動で提起される諸問題を対人活動によって解決していかなければなりません。 ところが、 かつて少なからぬ党は、 従来の党建設経験の枠から脱皮することができず、 対人活動を深めることができませんでした。 しかも党内に日和見主義が浸透して、 労働者階級の党の本性に反して党活動を行政化する偏向があらわれるようになりました。 そのため、 労働者階級の党が政治的参謀部としての役割を十分に果たすことができなくなり、 党を弱体化させ、 党にたいする大衆の信頼を弱める重大な結果をまねきました。

わが党は、 党活動を対人活動、 すなわち幹部との活動、 党員との活動、 大衆との活動に確固と切り換え、 幹部事業体系、 党員の党生活指導体系、 大衆との活動体系を整然とうち立てました。

対人活動は人間の思想に働きかける活動です。 人間の思想に働きかける活動とは、 人間の思想を革命的に改造し、 革命と建設において人間の思想を啓発する活動を意味します。 わが党はつねに、 党員と勤労者の思想教育に優先的な関心を払い、 思想教育を力強くくりひろげていきました。 わが党はすべての思想教育をチュチェ思想にもとづく革命的内容で一貫させ、 思想活動の形式と方法を発展する現実の要請に即してたえず深化、 発展させました。 こうして、 わが党は党と革命隊伍を組織的、 思想的にうちかため、 革命の主体をいちじるしく強化し、 それにもとづいて革命と建設を成功裏に進めることができました。

労働者階級の党は、 革命と建設にたいする政治的指導を実現しなければなりません。

革命にたいする党の指導をいかに実現するかということは、 革命の勝敗を左右する要諦であり、 これは労働者階級の党が政権を掌握し、 社会主義建設を指導するにともなってさらに重要な問題となります。

チュチェの党建設理論は、 革命と建設にたいする党の指導の本質と原則からその方法にいたるまで、党の指導の問題を全面的に解明しています。

わが党は革命と建設にたいする党の指導の本質を正確に規定し、 革命的な指導原則を提示しました。わが党は革命と建設にたいする党の指導を、 政治的指導、 政策的指導と規定することにより、 党の指導を否認したり、 それを行政化する偏向を未然に防ぎました。 わが党は、 党の唯一的指導と革命的大衆路線の結合を、 党の指導の根本原則とし、 それをりっぱに具現することによって、 指導と大衆を正しく結合し、 党の指導的役割をたえず高めました。 わが党は党委員会を当該単位の最高指導機関とし、 その活動で集団指導を堅持させることにより、 社会生活のすべての分野で政治的指導の統一性と大衆の創意性を正しく結合させるようにしました。 わが党は党活動と行政・経済活動を密着させることにより、 革命の主体を強化し、 その役割を高めて社会主義建設を力強く推進できるようにしました。 革命の主体がいちじるしく強化され、 社会主義建設が成功裏に進められているわが国の誇らしい現実は、 革命と建設にたいする党の政治的指導を確固と保障する道のみが、 党が自己の革命偉業を成功裏に実行していける唯一の正しい道であることを証明しています。

労働者階級の党は、 自己の本来の要求に即して、 革命的活動方法と人民的活動作風を確立しなければなりません。

活動方法と作風の問題は、 革命の主体を強化し、 大衆を革命闘争に奮起させるうえで、 その成果を左右する根本問題の一つです。 党の路線と政策がいかに正確に樹立されても、 幹部の活動方法と作風が悪ければ、 その実行に大衆を正しく奮起させることができません。 活動方法と作風の問題は、 政権党の建設でとくに重要な問題となります。 労働者階級の党が政権を握ると、 革命的に洗練されていない幹部のなかから、 すべての問題を大衆に依拠するのでなく、 権力を頼んで解決しようとする傾向があらわれるようになります。 政権党だからといって党の権能をふりかざして官僚主義に走り、 権柄ずくになっては人民から支持されず、 革命と建設を正しく指導することができません。

最近、 一部の国で、 少なからぬ大衆が帝国主義者と反動派の反社会主義策動にあおられて労働者階級の党と政府にたてついてきたのは、 党が政権を握っているからといって官僚主義に走り、 権柄をほしいままにして、 人民の信頼を失ったからにほかなりません。 もともと労働者階級と勤労人民大衆にとって、 労働者階級の党は自分自身の党であり、 したがって労働者階級と勤労人民大衆が党に反対するのは結局、 自分自身に反対することになります。 しかし、 党が活動方法と作風の問題を正しく解決しなければ、 大衆から遊離し、 しまいには排斥される重大な結果をまねくようになります。

わが党は党建設の全過程にわたって、 党活動の方法と作風を正すために根気よく努力し、 全党に革命的大衆路線にもとづく革命的活動方法と人民的活動作風を全面的に確立しました。

わが党の活動方法は、 金日成同志がつとに抗日革命闘争の炎のなかで創造した抗日遊撃隊式の活動方法であり、 それを社会主義建設の現実的要求に即して深化発展させた青山里 (青山里)精神、 青山里方法であります。 青山里精神、 青山里方法の基本的要求は、 上部が下部を援助し、 上下が心を合わせて党の路線と政策を実行し、 つねに現実に深く入って実態を具体的に調べ、 問題解決の正しい方途をみつけ、 すべての活動において政治活動、 対人活動を優先させ、 大衆の自発的熱意と創意を発揮させて革命課題を遂行するようにすることです。 青山里精神、 青山里方法は、 指導と大衆を密接に結びつけ、 領袖、 党、 大衆の一心団結を強化し、 大衆の創造力を最大限に発揮させるもっとも革命的な活動方法です。

わが党は革命的活動方法と人民的活動作風を確立するため、 幹部のあいだで官僚主義と権柄に反対する闘争を根気よくくりひろげてきました。 われわれは、 幹部陣容に世代の交替がなされ、 革命的鍛練に欠けた幹部の比率が高まる状況のもとで、 権柄と官僚主義をなくすことにいっそう大きな関心を払いました。 わが党は 「人民に奉仕する!」 というスローガンを示し、 すべての幹部が人民に忠実に奉仕し、 人民大衆との血縁的つながりを強めるよう導きました。 その結果、 幹部のあいだに、 人民大衆の利益をあくまで守り、 人民大衆のなかに入ってかれらに依拠して活動し、 人民大衆と生死、 苦楽をともにし、 率先垂範して人民大衆を導く革命的活動方法と人民的活動作風が確立されました。 われわれはこれまでの成果に満足することなく、 官僚主義と権柄をはじめあらゆる誤った活動方法と作風を一掃する闘争をひきつづき強力に展開すべきです。

労働者階級の党は、 その発展において継承性を確固と保障しなければなりません。

党建設において継承性を保障するのは、 共産主義運動と労働者階級の党発展の合法則的要求です。労働者階級の革命偉業が代を継いで長期的に進められ、 共産主義運動の発展過程で世代の交代がたえまなくつづく状況のもとで、 労働者階級の党建設偉業も代を継いで継承されなければなりません。 国際共産主義運動の歴史は、 労働者階級の党を代を継いで強化、 発展させなければ、 革命が陣痛をなめ、腰砕けになって挫折するようになるという苦い教訓を残しています。

マルクス・レーニン主義は、 革命偉業の継承問題、 党の指導の継承問題を提起することができませんでした。 元来、 マルクス・レーニン主義の創始者たちは、 労働者階級の革命偉業の遂行が長期性をおびることを予見できず、 私的所有と階級的対立が一掃され、 階級的差がなくなれば革命が終わり、 国家もしだいに凋ちょう 落らくするものと判断したので、 党の指導の継承問題を提起することができませんでした。

党の指導の継承問題は、 党の政治的領袖の地位と役割を継承する後継者をおし立て、 その指導体制を確立する問題です。 労働者階級の革命的党を創立し、 革命を開拓した領袖に限りなく忠実であり、領袖の偉業をりっぱに継承、 発展させていく資質と能力を兼備した後継者をおし立て、 その指導体制を確立してこそ党が変質せず、 党の偉業が最後まで遂行されます。 国際共産主義運動の教訓は、 後継者を正しくおし立てられなかったり、 またおし立てたとしても、 その指導体制が確立されなかった場合は、 背信者によって党が翻弄され、 その偉業が破綻をまぬかれないことを示しています。

わが党は、 われわれの時代の革命発展の合法則的要求と国際共産主義運動の歴史的教訓から、 党の指導の継承問題を、 労働者階級の革命偉業を代を継いで完成するためのもっとも重大な問題として提起し、 それを理論的、 実践的にりっぱに解決しました。 その結果わが国ではチュチェの革命偉業を代を継いで継承し完成できる確固たる保証がもたらされました。

じつにチュチェの党建設理論は、 われわれの時代の労働者階級の党建設の方向を示すもっとも正確な指導指針となります。

チュチェの党建設理論は、 わが党建設の歴史的経験と、 党の指導のもとに達成された朝鮮革命の輝かしい勝利と成果によって、 その正当性が全面的に証明されています。 わが国におけるチュチェの党建設理論を具現するための闘争は、 それに反する誤った要素との深刻な闘争をともないました。 一時わが党の内部でも、 党の要職についていた反党反革命分派分子が伝統的なチュチェの党建設原則に背き、 外部から官僚主義、 形式主義など誤った党活動方法を取り入れてはびこらせました。 わが党は、 あらゆる不健全な要素を排撃し、 チュチェの党建設原則をりっぱに具現することにより、 党を唯一思想体系にもとづいて一心団結し、 強い組織性と規律性をもった鋼鉄の党、 人民大衆のなかに深く根を下ろし、 大衆と混然一体となった不敗の党、 領袖の偉業を代を継いで輝かしく継承し完成させていく前途洋々とした党に強化、 発展させました。 わが党は、 チュチェの党建設理論を指導指針として党をわれわれの方式で建設してきたので、 帝国主義者と反動派のいかなる攻撃にも微動だにしない不敗の力をもつようになりました。

チュチェの党建設理論の正当性と偉大な生命力は、 国際共産主義運動の教訓によっても証明されています。 多くの国の党が、 教条主義、 修正主義に陥って党建設を着実に進めなかったため試練と曲折を経ることになり、 東欧諸国では労働者階級の党が完全に崩壊する重大な事態をまねきました。 階級の敵との対決で、 少なからぬ社会主義国の労働者階級の党が試練にたえられず敗北するにいたった主たる原因は、 それらの国の党が正しい党建設理論をもてず、 党を強固に築くことができなかったところにあります。 マルクス・レーニン主義の党建設理論に制約性があるうえに、 少なからぬ党がマルクス・レーニン主義を指導指針にすると称してそれを教条主義的に固執したため、 党建設理論を発展させることができず、 そのため変遷する時代と前進する革命の要請に合う闘争力のある党を建設することができませんでした。

マルクス・レーニン主義党建設理論の制約性が露呈し、 党建設理論がたえず前進する革命と建設の現実的要請に即して発展、 完成されなかったことを奇貨に、 現代修正主義は労働者階級の党を変質の道に誘引しました。 もともと、 労働者階級の党にたいする態度の問題は、 日和見主義との闘争において中心的問題の一つとなってきました。 歴史上に台頭した各種各様の日和見主義者は、 例外なく政治的参謀部としての労働者階級の党を変質、 弱体化させ、 改良主義的党に転落させるため悪辣に策動しました。 労働者階級の党を変質させようとする日和見主義者の策動は、 現代修正主義の台頭とともにさらに危険な段階にいたりました。

現代修正主義者は、 労働者階級の領袖によって党が建設され強化、 発展する合法則性を否認し、 労働者階級の領袖の権威と威信を失墜させました。 修正主義の反動的本質で基本をなすのは、 労働者階級の領袖の権威と威信を失墜させることです。 現代修正主義者はもっとも悪辣な方法で労働者階級の領袖の権威と威信を失墜させることにより、 党の栄えある歴史に泥をぬり、 領袖の思想と領袖によって築かれた業績と伝統を骨抜きにして抹殺しました。 こうして労働者階級の革命的党を日和見主義、 改良主義の党に転落させました。 これは現代修正主義者のもっとも醜悪な背信行為です。

現代修正主義者は党の労働者階級的性格を否認して 「全人民的党」 にかんする理論をもちだし、 党を階級的に変質させました。 もともと、 党は一定の階級の利益を擁護し、 その要求を実現するためにたたかう階級の前衛部隊として出現しました。 労働者階級の党は労働者階級と勤労人民の利益を擁護してたたかう革命的党であり、 労働者階級をはじめ勤労人民大衆のなかのすぐれた先進分子で構成されます。 労働者階級的性格、 革命的性格をぬきにしては、 労働者階級の党について論ずることができません。 それゆえ、 労働者階級の党は決して 「全人民的党」 にはなりえません。 現代修正主義者が「全人民的党」 にかんする理論をもちだしたのは、 党の労働者階級的性格を骨抜きにすることによって、事実上、 階級の前衛部隊としての党をなくそうとする策動でした。

現代修正主義者は、 労働者階級の党の思想的全一性を否認し、 党内に異質の思潮をみだりに引き入れて党の思想的基礎を切り崩しました。 労働者階級の党には労働者階級の思想があるのみであり、 党内にブルジョア思想を引き入れれば党が思想的に瓦解するほかはありません。 現代修正主義者は思想教育をおろそかにしただけでなく、 党内で思想の 「自由」 を許し、 ブルジョア思想の浸透に扉を開きました。 その結果、 党内に各種各様の主義主張が台頭し、 ブルジョア思想が氾濫し、 党が思想的に瓦解、 変質するようになりました。

現代修正主義者は党内に中央集権的規律をうち立てず、 党を組織的に弱体化させました。 現代修正主義者は党内に初歩的な党生活体系も確立せず、 無規律と無秩序を助長しました。 かれらはとくに、党内での分派活動を許すことによって、 党を四分五裂させました。 党内で分派活動が許されれば、 党が組織された部隊としての自己の存在を維持することができません。 少なからぬ党が、 組織的思想的統一に相応の関心を払わなかったばかりでなく、 民主主義の看板のもとに党内で分派活動の自由を許したため、 派閥によって党の組織的基礎が崩れ、 偶然分子、 政治的ペテン師によって党が翻弄され、外部勢力が党内に反対派勢力を扶植し、 かれらをそそのかして党の指導部を転覆する事態までまねくようになりました。

現代修正主義者は政治的参謀部としての党の本性に反して、 党を行政機関化、 権力機関化することによって、 自己の大衆的基盤を弱めました。 党は行政機関ではなく政治組織であり、 したがって党活動の方法は行政的ではなく説得と教育を基本とする政治的方法でなくてはなりません。 党は大衆の上に君臨する権力機関ではなく人民の奉仕者であり、 したがって党の活動作風は官僚主義と権柄ではなく、 人民に献身的に奉仕する人民的な活動方法であるべきです。 にもかかわらず、 少なからぬ党は党を行政機関化、 権力機関化し、 行政的方法と官僚主義、 党の権威乱用を許すことによって大衆から遊離するようになりました。

1950年代の中期に台頭した現代修正主義は数十年ものあいだ国際共産主義運動に大きな弊害を及ぼし、 深刻な教訓を残しました。 歴史の教訓は、 困難な闘争の試練にうちかち革命を勝利に導いた労働者階級の党であっても、 修正主義を許せば結局は破滅をまぬがれないことを明白に示しています。

社会主義社会では、 革命の進展にともなって労働者階級の党の社会的・政治的基盤が強固になり、 その地位と役割が強化されるのが合法則的です。 しかしこれは、 社会主義社会で労働者階級の党の地位と役割がおのずと強化されることを意味するのではありません。 社会主義社会でも、 労働者階級の党は党の強化、 発展のために根気よく努力せずには、 自己の指導的地位と役割を高めることができません。 社会主義社会で安定した生活が長くつづくにしたがって、 人びとのあいだに革命性が薄れ、 安逸に走る傾向があらわれるようになります。 これは社会主義社会の本性からではなく、 古い思想の残りかすが息を吹き返すことから生じるものです。 古い思想の残りかすはきわめて根深く、 帝国主義者の思想的文化的浸透もたえることのない状況下にあって、 社会主義社会にも不健全な思想が息を吹き返す危険は恒常的に存在します。 とくに、 人びとを革命的な思想意識で武装させる思想教育を地道にお こなわず、 物質的刺激を絶対視して物質生活一面にのみ偏重しては、 人びとのあいだに自分一人だけ楽に暮らそうと考える傾向があらわれ、 これを足場にして古い思想が頭をもたげるようになります。古い思想にもっとも毒されやすいのは新しい世代です。 搾取も抑圧もされたことがなく、 困難な革命闘争の試練もなめたことのない新しい世代は、 安逸と享楽のみを追求するブルジョア思想に容易に毒されるものです。 社会主義国の党において、 党員の大部分は革命の勝利後に育った新しい世代です。これは、 社会主義社会で労働者階級の党を強化する闘争をさらに力強く展開することを求めています。 ところが、 少なからぬ社会主義国の労働者階級の党は、 修正主義の影響を受けて党の強化、 発展をめざす活動を正しく展開せず、 結局は党そのものを変質させるようにまでなりました。

多くの国で労働者階級の党が現代修正主義によって変質させられるようになった根本的原因は、 党の指導の継承問題を正しく解決できなかったところにあります。

どの国でも、 苦難にみちた闘争のなかで革命を勝利に導いてきた卓越した指導者が党の首位にあるときには、 党が健全に発展しました。 多くの国で世代の交代が起きるにともない、 久しい前から党の指導の継承問題が提起されてきましたが、 それを正しく解決しませんでした。 党の指導的地位を新たに受け継いだ人びとが、 困難な状況のもとで社会主義革命を遂行した指導者の革命的な路線と政策を修正し、 かれらの権威と威信を失墜させようと中傷しはじめました。 社会主義はたえず発展し、 その前進途上には新たに解決すべき問題が多く提起されますが、 それは革命の始原が開かれたときからその最終的勝利にいたる全行程において、 前代の業績と経験を継承し、 豊かなものに発展させる過程を通じて完成されます。 労働者階級の党がきびしい試練にたえて革命と建設を導いていく過程で、 永久に鑑かがみとすべき貴い革命伝統が築かれ、 一貫して堅持していくべき指針がもたらされます。 このような党の栄えある過去を否認すること自体が、 すでに党の変質を意味するのです。 困難な闘争のなかで創立され発展してきた党の継承性を否認するものは、 例外なく革命の裏切り者です。

こんにち、 世界の真の革命家がわが党に深い尊敬と信頼を示しているのは、 まさにわれわれが、 金日成同志の創立した党とその偉業をゆるぎなく継承し発展させているからです。 社会主義偉業が破綻をきたしている東欧諸国と、 社会主義が生々発展しているわが国の相異なる現実は、 党の指導の継承問題が社会主義偉業の運命を左右する根本問題であることを明確に示しています。

労働者階級の党が現代修正主義によって変質するようになったのは、 革命と建設において主体性を確立せず事大主義に走ったところにも主たる原因があります。

共産主義運動は自主的運動であり、 主体性を確立するのは共産主義運動の生命です。 共産主義運動において主体性の確立を妨げる基本的思潮は事大主義です。 元来、 事大主義は人民大衆の自主意識をむしばむ反革命的思潮です。 共産主義運動は、 人民大衆が自己の自主性を自分の力で実現するための自主的な運動であるため、 共産主義運動内で事大主義は絶対に許されません。 事大主義は修正主義思想、 ブルジョア思想などあらゆる反革命的毒素を引き入れる水先案内です。 少なからぬ国の党は事大主義に陥ったため修正主義を見きわめることができずにみだりに受け入れるようになり、 しまいにはブルジョア思想まで引き入れることになりました。 事大主義に陥れば、 正否を見分けることができないばかりか、 外部の圧力もはねのけることができません。 かつて現代修正主義者が他国の内政に干渉したとき、 一部の党がそれを従順に受け入れたのも、 主体性を確立せず事大主義に陥ったからです。 少なからぬ国の党は、 事大主義に走り他国に盲従して、 はなはだしい被害をこうむったことがしばしばあったにもかかわらず、 依然として事大主義をすてずに頭から他国に追従しました。 最近にいたって事大主義病にかかった多くの国の党は、 他国が 「改編」 騒ぎを起こして圧力をかけてくると、 それに盲目的に追従して一緒に 「改編」 騒ぎを演じたあげく滅びてしまいました。

かつては多くの国の党からあがめられていた大国が、 こんにち現代社会民主主義の泥沼にのめりこみ、 アメリカをはじめとする帝国主義者と露骨に共謀、 結託して革命に背をむけている状況下にあって、 事大主義に反対し主体性を確立するのはいっそう死活の問題となっています。 かつては社会主義のとりでと称していた大国がこんにち、 七十年余りものあいだ自国人民が血と汗によって築いた革命の獲得物までことごとく台無しにしているありさまなのですから、 敵と手を握って友を売り渡すくらいのことはいとも簡単なこととみなしています。 久しい前から社会主義・共産主義をめざす道で肩を組んでともにたたかってきた一部の国の人たちが、 いまはアメリカ帝国主義とぐるになって南朝鮮かいらい一味と手を握り、 北半部の人民まで売り渡そうと策動しています。 われわれは誰にも売られたことがないし、 これからも決して売られはしないでしょう。 現実は、 わが党が事大主義にあくまで反対 し、 主体性を確立したことがいかに正当であったかを実証しています。

労働者階級の党が現代修正主義によって変質させられてきた過程は、 革命的原則を放棄する過程でした。 もともと、 修正主義は革命的原則を骨ぬきにする反革命的思潮です。 革命的原則を守るか放棄するかということは、 革命的党と日和見主義的党を見分ける重要な基準となります。 革命的原則を放棄し階級の敵と妥協するのが日和見主義の本性です。 革命的原則を一つ一つ譲歩すれば、 党が本来の姿を維持することができず、 結局は変質してしまいます。

労働者階級の党が革命的原則を守るというのは、 労働者階級の階級的要求と革命の根本的利益を固守し、 それにもとづいて党建設と党活動をおこなうことを意味します。 労働者階級の党が革命的原則を守るのは、 その使命から発する根本的要求です。 労働者階級をはじめ勤労人民大衆の自主性を実現するための労働者階級の党の偉業は、 自主性をじゅうりんするあらゆる敵との熾烈な階級闘争のなかで遂行されます。 階級の敵は、 革命が前進するほど革命を破壊しようといっそうやっきになり、 したがって労働者階級の党は革命の最終的勝利が達成されるまで革命的原則を堅持しなければなりません。

革命的原則を放棄しはじめると際限がありません。 革命的原則から一つをすてれば二つをすてることになり、 次第にすべての原則を投げ出し、 しまいには党と革命そのものを台無しにするようになります。 東欧諸国の党に生じた事態がこれを如実に示しています。 現代修正主義者は、 帝国主義者に圧力をかけられて革命的原則を一つ一つ譲歩し、 ブルジョア自由化の風潮に扉を開きはじめました。 このような譲歩が次第に拡大され、 あげくのはては革命の根本原則まで放棄し、 党とその偉業を帝国主義者と階級の敵にことごとく売り渡すようにまでなりました。 帝国主義者と反動派は、 わが党にたいしても革命的原則から離脱させようとさまざまな策動を弄しました。 しかし、 わが党は革命的原則をいささかも譲歩せず、 原則をすてようとするささいな要素とも妥協することなくたたかいました。 帝国主義者の圧力に屈した現代修正主義者が党の指導を弱めて党を台無しにしているとき、 わが党は戦 闘力と指導的役割をあらゆる面から強化しました。 このようなゆるぎない革命的原則性によって、 わが党はいかなる敵も侵しがたい百戦百勝の威力をもった偉大な党、 革命の旗を高くかかげて社会主義偉業をりっぱに完成させていく栄えある党として誇れるようになりました。

現代修正主義によって長いあいだ進められてきた党の系統的な変質過程は、 現代社会民主主義の台頭により組織的な崩壊へ移行するようになりました。

現代社会民主主義は 「改編」 の看板のもとに、 資本主義への復活の道を開いています。 「改編」 政策の提唱者自身が、 かれらの行く道はいわゆる 「社会民主主義」 を実現したとする資本主義諸国のような社会をつくることであることを隠していません。 現代社会民主主義は、 共産主義運動内に浸透してきたブルジョア思想であるという点では、 現代修正主義の延長であるといえます。 しかし、 現代社会民主主義は現代修正主義の単なる延長ではなく、 もっとも反動的な変種です。 修正主義は労働者階級の革命理論にたいする修正を通じてその革命的真髄を骨抜きにする反革命的思潮です。 しかし、 現代社会民主主義は労働者階級の革命理論の修正にとどまらず、 それを全面的に否定します。 現代社会民主主義者は帝国主義者の 「平和的移行」 戦略を実行しながら、 それを 「民主主義的社会主義」 「人道主義的で民主主義的な社会主義」 「現代民主主義」 「民主主義的国民社会」 というさまざまな看板で覆い 隠そうと策動しています。

「社会主義の資本主義への平和的移行」 を追求するブルジョア復活主義者のなかには、 さまざまな政治勢力と派があります。 かれらのなかには、 過去の大地主、 資本家やその子孫をはじめ階級の敵がいるかと思えば、 共産主義運動内で思想的に変質して堕落し、 いわゆる 「第三の道」 にたいする愚かな幻想をいだいて社会主義に反対する道に立った者もいます。 「第三の道」 のための 「改編」 を唱える現代社会民主主義者のなかにも、 相異なる主義主張をおし立てるさまざまな派があります。 しかし主義主張はどうであれ、 「改編」 を唱えて 「第三の道」 を夢見るものは、 帝国主義者の 「平和的移行」 戦略を実行する革命の醜悪な裏切り者です。 帝国主義者と反動派は社会主義に反対するうえで、 最初は「第三の道」 を夢見る現代社会民主主義者をさまざまな甘言で誘惑し、 社会的混乱が激しくなるにつれて社会主義の完全な転覆へと右翼反動勢力をそそのかします。

ブルジョア復活主義者が社会主義を抹殺し資本主義を復活させるために攻撃のほこ先をむける第一の対象は、 社会主義社会の指導的力量である労働者階級の党です。 ブルジョア復活主義者は労働者階級の党を破壊するため、 党にたいする人民の信頼を抜き去ろうと悪辣に策動してきました。 かれらは労働者階級の党を攻撃するため、 党内にあらわれた欠陥を悪用しました。 もちろん、 労働者階級の党は党内にあらわれる欠陥をそのつど克服すべきであり、 官僚主義と権柄、 腐敗行為のような不健全な傾向を徹底的に防止しなければなりません。 しかし党内に欠陥があらわれたときは、 それがいかに重大なものであっても党内での闘争によって克服すべきです。 ところがブルジョア復活主義者は、 党内に官僚主義と権柄、 腐敗行為といった欠陥があらわれるや、 好機到来とばかりに 「公開性」 の看板のもとにそれを党の攻撃に利用しました。 かれらは、 党内にあらわれた欠陥があたかも党の指導的地位と党建設の革命的原則そのものから発しているかのようにでっちあげ、 党の指導的地位と役割を骨抜きにし、 党を破壊する方向へ人びとをそそのかしました。

一部の労働者階級の党にあらわれた欠陥は、 党の本性とはなんのかかわりもないことです。 事実、労働者階級の党が革命の前衛部隊としてのその使命に即して党建設と党活動で革命的原則を堅持していたならば、 そのような欠陥はあらわれなかったはずです。 ブルジョア復活主義者は党内にあらわた欠陥を誇張もしくはでっちあげて党を悪辣に攻撃し、 それにとどまらず謀略によって占めた党の指導的地位を利用して党の指導を完全に骨抜きにし、 党を破壊するための反革命的路線を組織的に押しつけました。

ブルジョア復活主義者は、 党は 「立法機関選挙の枠内で自己の政治を実施」 すべきだの、 「政経分離」 をすべきだのといって、 社会主義国家と行政・経済機関にたいする党の指導を拒み、 党と大衆団体のいわゆる 「同伴者関係」 について云々して大衆団体への党の指導を骨抜きにしました。 ブルジョア復活主義者は、 軍隊と社会安全機関など独裁機関の非政治化を主張し、 それらの機関内での党の活動を禁止する反革命的措置をとりました。 ブルジョア復活主義者は 「公開性」 の看板のもとに、 思想文化生活を完全に労働者階級の党の統制からはずし、 ブルジョア思想文化を全面的に引き入れました。 これらのことは、 労働者階級の党を、 社会にたいするいかなる指導力も行使できない有名無実な存在にしようとする凶悪な反革命的策動です。

社会主義社会において労働者階級の党の指導は社会主義社会本来の要求です。 社会制度と政治方式における社会主義と資本主義の根本的な違いは、 政党の地位と役割をそれぞれ異なったものにします。ひと握りの搾取階級が政治をする資本主義社会では、 政党が政治で大きな役割を果たすことができません。 資本主義社会では表面上、 ブルジョア政党が資本主義政治に大きな影響力を及ぼすかのように見えますが、 政治をあやつるのは政党ではなく独占資本家です。 金がすべてを支配する資本主義社会では、 国家も政党も、 億万の金を独り占めにした独占資本家の意思にしたがって動きます。 独占資本家は政党がなくても、 国家を通じて自己の政治的支配を実現することができます。 独占資本家が政党を必要とするのは、 かれらのブルジョア独裁を政治的にバックアップする道具、 暴力政治を覆い隠す煙幕として利用するためです。 資本主義以前の搾取社会には、 さまざまな政治分派がありましたが、 政党そのものは存在しませんでした。 搾取社会が資本主義に移行しながら、 資本家はブルジョア民主主義を粉飾するために議会制とともに政党制度をもちだしてきたのです。

社会主義社会は、 人類史上に存在したすべての搾取社会と質的に異なる新しい社会であり、 社会主義は政治方式にも根本的転換をもたらしました。 社会主義政治は、 労働者階級をはじめ勤労人民大衆の民主主義的政治であり、 それは広範な勤労人民大衆の意思を集大成した政治です。 勤労人民大衆の意思は労働者階級の党によって代表され、 集大成されます。 社会生活全般にたいする労働者階級の党の指導は、 勤労人民大衆が国家と社会の主人となっている社会主義社会本来の要求となります。

労働者階級の党が社会主義社会の指導的力量となるべきであるというのは、 労働者階級の階級的特性と関連しています。 労働者階級は社会的人間本然の要求をもっとも高く体現している先進階級であり、 全人民の利益を代表する革命の指導階級です。 労働者階級の歴史的使命は、 搾取され支配されるすべての階級と階層をあらゆる支配と従属から解放し、 勤労人民大衆の自主性を完全に実現することです。

勤労人民大衆が主人となっている社会主義社会本来の要求からしても、 労働者階級の階級的特性と歴史的使命からしても、 社会主義社会で労働者階級の党が指導的役割を果たすのは合法則的です。 社会主義社会で労働者階級の党の指導を骨抜きにするのは、 つまるところ、 社会主義そのものを抹殺することになります。 それでブルジョア復活主義者は、 社会主義を抹殺し資本主義を復活させるため、 革命と建設にたいする党の指導を骨抜きにしようと悪辣に策動するのです。

ブルジョア復活主義者は、 労働者階級の党から指導的地位を奪い取り、 党をとるに足らない野党に転落させるために複数政党制をもちだしてきました。 元来、 複数政党制は資本主義社会に存在する政党制度であり、 徹頭徹尾資本家の利益に奉仕する政治制度です。 ブルジョア複数政党制は、 人びとが相異なる階級と階層に分化し、 階級的に対立している資本主義社会の階級関係の反映であり、 資本主義支配層の専横を 「民主主義」 のベールで覆い隠すための煙幕です。 資本主義社会の相異なる階級と階層のあいだに平等な関係はありえず、 もっぱら支配と服従の関係があるだけです。 これと同様、 さまざまな階級と階層の利害を反映した政党間にも、 平等な関係はありえません。 資本主義社会では、経済と政治を牛耳る階級の利益を代表する政党が特権的地位を占めます。 資本家はかれらの利益を代表する政党の特権的地位を覆い隠し、 勤労人民大衆をあざむくために複数政党制の看板をかかげるのです。 独占資本家は、 他の政党が自分らの利益を脅かすときにはその活動を弾圧し、 しまいには暴力をもって解散させることもためらいません。 ブルジョア民主主義が少数の搾取者にのみ民主主義を実施し、 絶対多数の勤労人民大衆には独裁を実施するエセ民主主義であるのと同様、 ブルジョア複数政党制もブルジョア反動政治を覆い隠すためのかくれみのにすぎません。 社会主義社会では、 その社会的階級的特性からして、 資本主義社会でのような複数政党制は許されません。 社会主義革命の勝利によって階級的対立が解消された社会主義社会では、 複数政党制を実施する社会的階級的基礎が存在しません。 社会主義社会本来の要求に反して複数政党制を引き入れるならば、 それは勤労人民大衆を人為的に分裂させ、 反革命分子に公然と活動できる政治舞台を提供すること以外の何ものでもありません。 もちろん、 過渡的社会である社会主義社会には階級的差異をはじめさまざまな差異が存続する状 況のもとで、 労働者階級の政党とともに他の政党が存在することはできます。 しかし、 それらの政党は決して政権争奪戦のための政党にはなりえず、 労働者階級の党の指導のもとに友好的に協力する党にならなければなりません。 これは、 労働者階級と農民、 勤労インテリの根本的利益が一致し、 一つの運命共同体をなす社会主義社会の本性から生じる必須の要求です。 複数政党制を提唱するのは結局、 労働者階級の党の指導を否認し、 社会主義を破壊して資本主義への復活の道を開こうとする反革命的策動です。

ブルジョア復活主義者は、 労働者階級の党から指導的地位を奪うのみでなく、 党を内部から破壊し、完全になくしてしまおうと、 いわゆる 「党の改編」 をもち出してきました。 「党の改編」 とは、 民主主義中央集権制の原則の初歩的な規範まで投げだし、 党内での無制限な 「民主主義」 と 「公開性」、 「開放性」 を助長し、 基層党組織を上級党組織のいかなる指導、 統制もうけない 「自立的単位」 に転落させることにより、 事実上、 組織された部隊としての党を破壊しようとする反革命的策動です。 「党の改編」 を唱えていた少なからぬ国ぐにでは、 すでに労働者階級の党が政治部隊から姿を消し、 残っている党も事実上、 有名無実の存在となってしまいました。 労働者階級の党が破壊されるや、 それに代わって何々同盟、 何々労組、 何々演壇といった反動的な政党、 団体が羽振りをきかせ、 政権が右翼反動派の手中に落ちました。 これは、 労働者階級の党の指導を放棄して労働者階級の党を破壊するのが、結局、 社会主義を放棄し、 破壊することであることを如実に示しています。

帝国主義者とブルジョア復活主義者の悪辣な反社会主義策動により、 こんにち社会主義偉業は深刻な挫折と試練に直面しています。 しかしこれは、 人類が社会主義共産主義に進む歴史的路程での一時的な挫折と試練であり、 最終的勝利は社会主義共産主義の側にあります。 人類が社会主義共産主義をめざして進むのは阻むことのできない歴史発展の法則です。 帝国主義者と反動派は、 一部の国での資本主義復活騒ぎを見て社会主義が滅びたと歓声を上げましたが、 それらの国が直面している破局的危機の前で、 すでに焦燥感を隠しきれずにいます。

歴史の歯車を逆転させようとする帝国主義者と反動派の反革命的策動は、 全面的な破綻をまぬがれません。

いま、 資本主義復活の道に踏み込んだ国々は深刻な政治的危機と経済的破産、 社会的混乱に直面しており、 完全に無政府状態に陥っています。 日ましに深まるこの危機は、 いかなる資本主義的処方によっても、 帝国主義者の 「援助」 によっても食い止めることができません。

人民はすでに、 資本主義の復活が自分たちに自由も裕福な生活ももたらしてはくれず、 もたらされるものはもっぱら失業と貧困、 社会的混乱と犯罪だけであることを自分の目ではっきりと見ています。資本主義の苦汁をなめている人民は、 自分たちを甘い言葉で誘惑したブルジョア復活主義者こそ、 民主主義者でも人道主義者でもなく、 帝国主義の下僕であり人民の裏切り者であることを悟りはじめています。 人民は、 実生活を通じて二つの体制を対比し、 社会主義時代をなつかしみながら、 ブルジョア復活主義者の犯罪的策動を排撃しています。

こんにち社会主義が直面している挫折と試練は、 共産主義者に深刻な教訓を与えています。 不測の事態に直面して萎縮していた少なからぬ共産主義者が、 次第に事態の真相を見抜いて新たな闘争隊伍を結束する道に入り、 労働者階級の党を新たに建設するためにたたかっています。 かれらは苦い教訓を通じて、 過去の修正主義的な党ではなく新しい革命的党をつくるべきであることを自覚しています。かれらはこんにちの複雑な情勢のなかでも微動だにせず、 革命の旗、 社会主義の旗を高くかかげて進むわが党のゆるぎない気概と姿に励まされ、 わが党のチュチェ思想と闘争経験にいっそう注目しています。 新しく育つ共産主義革命隊伍は、 帝国主義者の 「平和的移行」 戦略とブルジョア復活主義者のあらゆる反革命的策動を粉砕し、 社会主義偉業の勝利を達成せずにはおかないでしょう。

国際部隊で進歩と反動、 革命と反革命のあいだに熾烈な闘争がくりひろげられているこんにち、 わが党にはチュチェ思想の旗を高くかかげて社会主義偉業を固守し、 たえず前進させるべき栄誉ある革命任務が提起されています。

帝国主義者と反動派が、 社会主義の旗を高くかかげて進むわが党とわが国に攻撃のほこ先を向けている状況下にあって、 われわれの任務はきわめて重大であり、 われわれの闘争は依然として困難をきわめています。

こんにちのきびしい情勢のもとで、 われわれは決して平坦な道をたどり、 安易な方法で革命の最終的勝利を達成しようと考えてはなりません。 わが党と人民が革命闘争と建設事業で達成した成果は大きいと言えますが、 慢心する根拠はなく、 これまでなしとげたことより、 これからなすべきことのほうが多いのです。 われわれが各自に負わされた革命課題を遂行できるかどうかは、 党の戦闘的威力とその指導的役割をいかに高め、 大衆をどのように奮起させるかにかかっています。

われわれはチュチェの党建設理論を固守してりっぱに具現し、 党を組織的、 思想的にさらにうちかため、 革命と建設のすべての分野でその指導的役割をたえず高めていかなければなりません。

われわれは党内で、 官僚主義、 主観主義、 権柄などあらゆる誤った活動方法と作風をなくす闘争をさらに力強くくりひろげ、 大衆との血縁的つながりを強めることによって、 広範な大衆を党のまわりにかたく団結させ、 大衆の革命的熱意と創造的積極性を高く発揮させなければなりません。

すべての党員と勤労者は、 党の指導に忠実にしたがい、 党の路線と政策をあくまで実行することにより、 帝国主義者とあらゆる反動派の策動を断固はねのけて社会主義建設を力強く推進し、 祖国の統一と社会主義・共産主義偉業の勝利を早めなければなりません。